カメラを構えない写真家、踊りを踊らないダンサー


発条ト「Swingin' steve」
2001年2月11日(日曜/午後7時開演)/横浜ランドマーク・ホール

発条ト(Baneto)というユニットのダンス作品「Swingin' steve」(白井剛振付/粟津裕介作曲による新作)を見た。これを見に行くきっかけとなったのは、家に送られてきたDMの中にあった1枚の写真。縦長のポストカードのような紙に、添える言葉もなく、Swingin' steveとクレジットされたその写真は、20代と思われる男の子がスニーカーに普段着の何気ないかっこうで立っているものだった。右足のつま先がわずかに上がっていて、両手の先が形がわからないくらい大きくブレているところから、リズムをとっているように見える。ただ顔の表情やからだ全体のイメージは静、というか動くことにあらがっているような感じ。とても不思議な写真である。その男の子がダンサーのからだをしていなかったことも、わたしの好奇心を刺激した。これはいったい何なのか。

白井剛、粟津裕介はともに1976年生まれ、千葉大学工学部の出身。前作「Living Rooom - 砂の部屋」で2000年パニョレ国際振付賞を受賞している。二人の経歴にはダンス、音楽ともにとくに専門教育を受けた形跡はない。

この日の会場は日本人に混じって白人系フランス語人のグループや、カリブ系、あるいはアフリカ系と思われる若い男女、韓国語を話す人々などで賑わい小ホールくらいの大きさの客席は満席だった。

もう一つのプログラム、1996年パニョレ国際振付賞受賞のイ・ユンキョンの、非常に抑制された情緒が美しく際立つ作品「The Waning Moon」をはさんで休憩があり、その休憩の後半に舞台は幕が開けられ、バンドのセッティングがはじまった。ドラムス、エレクトリックギター、ベース、キーボード、ミキシングマシン、数本のマイクなどが次々セッティングされ音だしもはじまる。ロビーでコーヒーやビールを飲んでいた観客が席に戻り始めた。

ここから後に起こったこと、わたしが見たことを何と表現したらいいのだろう。まずわかったのは、あのDMの写真の男の子はダンサーではなくドラマーであったということ。多分作曲者でもある粟津裕介だろう、と。耳をつんざくエレクトリックサウンドとともに舞台の前面に立てられた6本のマイクの前に男女6人が立ち声を張り上げはじめた。この歌をがなっているのがダンサーたち。ほぼボウズの後頭部に色とりどりのヒップな髪飾りをつけている、ひときわ目立つダンサー、それが白井剛らしかった。この人はダンサーのからだをしていた。が、同時にかっこいい今の男の子のからだも持っていた。他のダンサーたちはよくからだは動いていたけれど、日常の中にあるからだをしていた。パッと見ただけではダンサーとはわからない、生のからだをしていた。これが作品を見ているあいだ中、ずっと心の底でわだかまっていた。これはひょっとて千葉大OBたちの学園祭の続編か?

ダンスと音楽は互いに耳や目をそばだて合い、ダンサーとミュージシャンは互いの領分を行き来し、寝そべってせんべいをかじる音や足音手音とギターやドラムスの音が会話し、音楽はフリージャズともロックともカリビアンとも聴こえるなかなか魅力的なサウンドを発し、ダンサーたちはあるときは縄跳びし、あるときはお笑い芸人かアニメのキャラクターのように妙な動作でコケたり横っ跳びしたり、ブルブルからだを震わせたりしていた。わたしは舞台に集中しながらも、「これは危険すぎる、危なすぎる」と心の中でつぶやいていた。もしパニョレ国際振付賞の受賞者たちと知らなかったなら、と何度も思った。

この日の昼間、わたしはインターネットで小林のりおという写真家のホームページを2時間くらいかけて見ていた。たまたま友人の写真家が紹介してくれたからである。小林のりおという写真家は自分のホームページに、すでに写真集として出版した作品も含めてぼうだいな量の写真を載せている。子供時代や高校時代に撮ったものまで載せている(英語版のみ)。そして自分の家のキッチンを35万画素のオールドデジカメで撮り、日々ページに更新し続けている。写真家はこう言う。写真はもうWeb抜きには語れないところまで来ている、Web的なスピードが写真そのものを変質させている、と。そしてアマ・プロが撮る写真が億・万と溢れるWebという場所、みんなが自らの在り処を探し互いに共有し合っている、その「無益なゴミ溜めの中」へ「私は降りてゆく」と。この小林のりおという写真家は、ここ2、3年はほとんどの写真をデジカメで撮っているそうだ。つまりカメラを構えない写真家である(デジタルカメラの普及版はたいていの場合、撮影の際、ファインダーを覗かないでモニター画面上で画像を確認する)。しかしこの人は9歳のときから40年近く写真を撮り続け今も写真で遊ぶことが楽しいという人であり、1993年には木村伊兵衛写真賞まで受賞しているのだ。

「これが最後の曲目です」。低く下げたマイクに腰をかがめた妙な姿勢でダンサーの男の子の一人が、ぼそっと言った。わたしはこの最後の作品を見てやっと、心の底のわだかまりが溶けていくような気がした。ダンサーのからだをもたないダンサーたちが、ひとりひとり思い思いの自分の動きを、自分という存在が編み出した踊りをソロのパートでつぎつぎ踊っていく。発上トのあり様がひしひしと伝わってくる作品だった。多分その踊りは、ダンサー自身にとっては、嫌なところもいいところも切実に含まれたからだの動きであろう。と同時に充分に意識化されたからだであり、動きであるに違いない。白井剛という若い振付家は、これらのことをきちんと頭で組み立て、表現にまで高めることのできる、考え深く勇気ある振付家なのだ。見た目は直観力だけが突出したようなヒップでかっこいいお兄さんであるが。

発条トのライブ作品(と彼等は言っている)を見終わってすぐに、昼間見た小林のりおの写真家としてのあり方やその表現を思い起こしていた。どちらも表現者として切実なものに突き動かされての方法論であるには違いないけれど、ぎりぎりの危険をともなう表現だと思った。ただ彼等は、この明確に意識化された表現者としての行為が、「切実な今」と「切実な未来」を飢え求めている受け手たちに対して必ず深い印象を残すことも確信していただろう、とも思ったが。

家に帰りついてからつけた深夜のスカイパーフェクのテレビ画面に、チャイコフスキーの「白鳥の湖」に乗ってコンテンポラリー・ダンスというダンスをなぞり踊る日本人ダンサーたちを見て、この思いはさらに強まった。


2001年2月12日(月・祝)午後1時30分
大黒和恵・editor@happano.org


*白井剛らしかった/発条トの制作担当の根木山さんからメールをいただきました。白井剛さんは「髪の毛を三つ編みにしていたヒッ プな男ではなく、黄色のTシャツを着ていた、痩せ型の男の方です」とご指摘いただきました。おー、なんという勘違い。すみません。ということは、最後の曲を紹介した人が 白井さんだったんでしょうか。でもいずれにしても、白井さんが勇気ある素晴らしい振付家、ダンサーであることにかわりはありません。次のライブもぜひ見に行きます。(2月13日)

*35万画素のオールドデジカメで撮り/小林のりおさんからもメールをいただきました。「35万画素のカメラ」は初期の作品だけだそうで、 現在は300万画素〜400万画素のものを使われているそうです。そうか。当然でしょうね。自分(筆者)が頑固に35万画素を使っているからといって、プロをいっしょにしては いけませんね。因みに葉っぱの坑夫のサイトの『ことばの断片』#14のそめやまゆみさんのエッチング作品は、印刷物等からのスキャンではなく、そういう 高性能デジタルカメラで原画を撮影したものです。(2月13日)