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この映画「エレファント」ずっと見たいと思っていた。(監督、脚本、編集:ガス・ヴァン・サント)「ボーリング・フォー・コロンバイン」にはがっかりしていたので、同じ素材をあつかった別の監督がどのような作品をつくったのか見てみたいと思っていた。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」は、わたしの中では退屈した映画のベスト3に入る映画。もともと自分で選んで行ったというより、何人かの知り合いにぜひ見てくださいよ、と薦められて見たものだった。そういう映画(人に薦められて見る)もめずらしいかなと行ってみたのだけれど。上映中、わたしは退屈したあげく途中居眠りまでしてしまった。が、劇場内は大受けも大受け、みんな大笑いしたり手をたたいたり喝采があがったりしていた。
「エレファント」は「ボーリング・・・・」と同じく、1999年コロラド州コロンバイン高校で起きた銃乱射事件を題材にしている。事件の起きた高校内の様子や生徒たちの日常を、その日の朝から事件にいたるまで、ドキュメンタリー風の手法で追っている。対象となる主体や撮るアングルをたびたび切り替えて、同じ事柄(事件前の何でもない光景など)を何度も提出する手法は、映画の時系列を切り刻み、現実の世界のありようそのものまで解体しているようで、不思議なリアル感をかもし後に起こる事件を予感させていた。
「エレファント」はドキュメンタリー映画ではない。そして作品の大部分の時間は、事件前のコロンバイン高校の何人かの生徒の日常の細部を追うことに割かれている。犯人の生徒の日常もふくめて。フィクションだからできたリアル感あふれる映像。現実には撮れっこない「現実」の映像化。事件や事故が起きることを誰も予測できない限り、その時点ではまったくニュース性のない、ただの退屈な(でも真実の見える)日常の羅列、ホームビデオの映像のようなものだから。(その点、監視カメラというのはすごい。カメラの設置によって事件性をあらかじめ予期、あるいは期待しているような気がしてくる)
生な現実の前には、通常カメラは据えられていない。(当事者以外)誰も知らないところで、事故や事件は起こる。もしカメラの眼が据えらたとしたら、そのとたん、そこにある「現実」は変貌する。そのことに自覚的でないドキュメンタリー映画はどうしてもウソくさくなる。何が本当で、何が本当でないか、は単純な思考による単眼的な目(カメラ)からは追えない、捉えられない。
映画を見終わって、コロンバイン高校で起きた事件について、もっと知りたいと思った。どうして、何があって、あの事件は起きたのだろう。事件を起した少年はその後どうなったのだろう。インターネットでColumbine High Schoolと引けば、さまざまな詳しい情報が検索できるだろう。そういう意味で「エレファント」は、見たあと、観客が自分の関心によって、監督の提出している疑問符を自分も追いかけてみたくなる、ある種の能動性を刺激する作品だ。「ボーリング・・・・」が、何かのプロパガンダ映画を見せられたあとの印象とよく似ていたの対して。*1(後註)
「エレファント」は会話劇ではない。映像の中にセリフも映っているという印象。そして音楽もほとんどなかったような印象。ベートーベンのピアノ曲、「月光」と「エリーゼのために」以外には。どちらも映画の中で、ほぼ全曲が流れた。「エリーゼ・・」の方は犯人の少年のかなり下手なピアノ演奏で、少年が演奏する風景とともに流していた。「月光」の方は、校庭での生徒たちのクラブ活動シーンや、生徒が歩いていく映像を背中からえんえん追いかけたシーンなどで使われた。妙に映像とマッチしていたことと、ベートーベンの楽曲が、映像と合わせられることによって、コード進行などベートーベンらしさがより際だって感じられたのも不思議な体験だった。
映像のフレームは真四角に近いサイズ(1:1.33)。美しいとされているシネマスコープではなく、ビデオ画像のような四角い映像。当然のことだけれど、音楽や映像のフレームといった作り全体の中にも、ガス・ヴァン・サント監督の意図は盛り込まれているのだろう。
「エレファント」が去年のカンヌでパルムドール(最高賞)を取りながらも、東京でも最後は単館ロードショーに近い公開だったのにくらべ、「ボーリング・・・・」は東京の単館でスタートした後、マイカル系などのコンプレックス型の映画館にもどんどん広がっていって、地方もふくめ大盛況だったらしい。どういうものに多くの日本人がいま反応するかがよく表われている事例のひとつだと思った。
そして今年のパルムドールはムーア監督の「華氏911」。アメリカで配給中止(配給予定だったディズニー側は、ずっと以前から決まっていたことなのに、なぜ公開寸前の今になってムーア監督は問題を表面化しだしたのか不思議、と答弁)という話題が、「ボーリング・・・」のときのアメリカのイラク攻撃開始と同期したこと(これは偶然の産物と思うが)と同じくらい日本の聴衆の「見たい」「共感したい」「溜飲をさげたい」モチベーションを高める役割を担えるかどうか。
「華氏911」、見に行くか迷うところ。「ボーリング・・・」は寝てしまったから、もう一度ムーア氏の作品をちゃんと見てみるか、という気持ちもなくはない。イギリスの女優で、今回のカンヌの審査員の一人、ティルダ・スウィントン(デレク・ジャーマン「カラヴァッジオ」やサリー・ポッター「オルランド」などに主演)も絶賛していたらしいし。その真偽を確かめてみたくはある。*2
だけどこれから公開される映画でいちばん見たいものは、「21グラム」(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、アメリカ)。この監督の「アモーレス・ペロス」(1999年/メキシコ)がすばらしかったから。自分の知ることのない(なかった)現実、あるいは現実の香りや手ざわり。そういうものをわたしは映画の中に常に探しもとめているのかもしれない。
2004年5月25日午後3時
大黒和恵・editor@happano.org
*1 こう書くと、この人はアメリカ支持者なのかな?と思う人もいるかもしれないけれど、わたしは今回のイラク戦争だけでなく、父ブッシュの湾岸戦争のときから(そのとき日本では反イラク派と反アメリカ派とがどういう割合だったか思い出してほしい)アメリカ政府に対して大きな怒りを感じていた。そのことと、マイケル・ムーアの映画に熱狂することとは、まったく問題の次元がちがうこと。
*2 ティルダ・スウィントンの「華氏911」についての発言。「米国やブッシュ政権についてだけでなく、システムについての映画。映画と観客、それにメディアの現実の関係が、映画と結びついている」「ブッシュの見方は毎日見ている。この映画でバランスがとれる」など。
*3 田中宇(たなか・さかい)さんという国際情勢解説者が、「華氏911とイスラエル」のタイトルで、マイケル・ムーアの作品のもうひとつの側面について書いている。この映画について、アメリカでも「ムーアはブッシュの謀略を暴いた」という好意的な論調が広まる中、アメリカの政治情勢をウォッチし続けてきた人の中には「謀略をやっているのはムーアの方ではないか」と感じている人々がいるというのだ。これは日本のマスメディアには登場しない視点なので一読の価値あり。
http://tanakanews.com/e0716moore.htm
Elephant オフィシャルサイト
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