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サーフィン映画、いままでに機会あるごとに見てきました。ドキュメンタリーもあれば、フィクションもあります。そのどれもが、それぞれにいいのです。それぞれにいいのですが、何本か見ていくと、惹かれる理由の共通項にも気づかされます。それはサーフィンというスポーツ(遊び)そのものがもっている魅力から紡ぎだされるものが大きいのですが、それ以外に、サーフィンをする人々に共通する人柄やものの考え方、サーフィンをする舞台となる世界中のさまざまな土地、そこに住む人々とサーファーたちの交流、そういうところにも映画の見どころがたくさん、さりげなくちりばめられているところにも、独特の面白さがあります。
もちろんサーフィンの場面、素晴しいです。映像作品の素材として、これほどマッチするものはないというくらいです。生きた水の映像、生々しい水のシズル感と爆発する波のエネルギー、スピード感をこれでもかというくらい体感できます。サーフィンをしない人でも、海水浴で海に入っているときに沖から迫ってくる大きなうねりを、恐怖と期待の混じりあう興奮の中で待ち受けた記憶はあるでしょう。海辺の波乗りでさんざん遊んだ夜、夢の中に巨大な波が繰り返しあらわれてうなされるように、映像の中の波に過去の自分の波の体験を投影して体が反応しているのに気づかされるかもしれません。
Step Into Liquidでは、巨大で狂暴な波がたくさん登場します。画面いっぱいに迫る大きなうねりはやがて、ビルの高さくらいもあろうかという巨大なそそり立ちにまで成長し、最高潮に達したところでしぶきを上げながら太いパイプラインとなって周囲の何もかもを巻き込みながら崩れていきます。その波の上を、波の中を、勇敢なサーファーたちがつぎつぎに、全身に幸福感をみなぎらせて滑り、乗っていきます。すばらしいバランスと、波との美しい戯れを見せながら。
サーフィン映画に登場するのは大きくて勢いのある達人用の波だけではありません。波うち際の波、小さな波、横に長くつづく波、子どもたちが乗る波、何十年も乗りつづけてきた老練なサーファーが乗る波、犬といっしょに乗る波、逆立ちしながら乗る波。バラエティに富んだ波と波遊びが楽しくてしょうがないサーファーがいっぱい登場します。多くのサーフィン映画にはこういった映像がたいてい入っていて、サーフィンの魅力が大波や達人の技にだけあるのではないことがわかります。サーフィン映画の監督たちが好んでこういう場面を撮っていることが感じられ、そこがまたいいのです。
サーフィン映画のもうひとつの魅力、それは波をもとめての旅にあります。いい波をもとめてサーファーたちは世界中を旅します。Thicker than water(ミュージシャンのジャック・ジョンソン監督作品)では、インドやアイルランドにも行きましたし、Step into liquidではベトナムやミシガン湖でのサーフィンもしています。またタンカー・サーフィンとでも言うのでしょうか、大型タンカーのつくる波に乗るという耳を疑う方法でのサーフィンのためにテキサスに出向く変わり者たちもいました。ノースショア(ハワイ)やタヒチといったサーフィンの名所ポイントばかりでなく、こんなところでというようなところにも何か面白そうな情報や誘いがあれば、サーファーたちは迷わず出かけていきます。そしてそこで何日も波を待ちます。そういう意味でサーフィン映画は波を追いかけて世界をめぐる旅映画、ロードムービーの一種と言えるかもしれません。
Step into liquidでベトナムにサーフィンに行ったアメリカ人サーファー親子の父親は、ベトナム戦争の従軍時にベトナムのビーチでサーフィンをした人です。その場所にこの映画のために息子を連れて行くことになります。戦争時の任務は海上での救援活動のような仕事をしていました。この親子はベトナムのいくつかのビーチをたずね、地元の子どもたちと遊びます。子どもというのは浜の近くにいるものなのか、おおぜいの子どもがあっという間に集まってきます。最初のビーチでは波がないのでしかたなく砂山の急斜面でボードすべりを、これは子どもたちの方がうまくて、サーフボードを乗りこなす子もあらわれます。次の思い出の場所ではボードだけでなく大籠まで海にかつぎ出して、いっしょに乗って遊びます。子どもたちが波乗りに夢中になり、教わりながらつぎつぎにボードに乗って遊ぶ様子が楽しげに撮られています。この映画では、アイルランドのビーチでも、対立するカトリックとプロテスタントの子どもたちを遊ばせるプロジェクトに参加して、ともにサーフィンをする場面がありました。
Thicker than waterでは、インドのビーチで地元の子どもたちがたくさんあらわれて、いっしょに遊ぶシーンが印象的でした。子どもとビーチ、子どもと波乗り、きっともともと相性がいいのでしょう。サーファーたちと子どもたちは、どうしてか、どの映画でも、どこでもすぐに互いに好感をもちあい、仲良くなり、いっしょに遊びはじめます。
海というのは、ある土地の、土地が属する国に属しながらも、どこか治外法権的なイメージがあるからでしょうか。ひとが裸に近いかっこうで、直接水に触れ、広い海原の中ぽつんと浮かんでいる状態においてはなおのこと、たとえそれが兵士であっても存在としての自由と孤独を、動物に近い存在としての自由さを感じます。このことはサーファーたちの生き方の自由さやストイックさ、偏見のなさ(人種や民族、性差、貧富など)とも関係しているのかもしれません。サーフィンにもコンテストはあるものの、所詮、波というのは一瞬のうちに崩れさり消えさるもの、形も記録も残しにくいもの。過去の波を証明もできず、未来の波も予測できない。であれば、自分がそのときそこで体験できる波をとことん楽しむことがすべて、という思想が生まれても不思議はありません。
Step Into Liquidの中で、サーフィンはまだどこかまともに生きる人間のやることじゃない、という偏見がある、と発言するサーファーがいました。サーフィンには遊びの要素が大きいからでしょうか。それとも「功績」や「実績」が目に見えにくく、証明しにくいものだからでしょうか。エベレスト登頂などの登山家たちの功績が文字文化だとするなら、サーフィンはいわば、あとになって証明のしようない無文字文化のようなものかもしれません。人と競うことが無意味だというサーフィン、波の良さは大きさじゃないというサーフィン。どれだけ自分が楽しめるか、二度とないひとつひとつの波の体験を友とわかちあい記憶にとどめることができるか、その幸福感こそがサーフィンであると映画の中のサーファーたちは言っているように見えました。
Thicker than waterは去年DVDとして発売になった素晴しいサーフィン・ドキュメンタリーですが、手に入れやすい(レンタルショップなどで)作品としては、今新作として出回っているStep into liquidがお薦めです。「サーフィンと映像」の相性のよさにはまって、次々に作品を見たくなるかもしれません。上に上げた作品のほかにも、「エンドレスサマー」「エンドレスサマーII」「ビッグウェンズデー」「ブルークラッシュ」などの映画があります。また今年は何本かの注目のサーフィン映画の公開があるようで、その中にブラジリアン・サーファーの世界の旅を追ったドキュメンタリー作品 Surf Adventures や、ディカプリオが映画化権をとって制作中の All For A Few Perfect Waves などがあります。
大黒和恵
(2005年2月13日 午後12時50分)
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