だれも所有できない、そこに自然のようにある(作品)

内藤礼「地上はどんなところだったか」
2005年5月14日(土)午前11時40分 
東京・銀座 ギャラリー小柳にて


展示会場には自分ひとりしかいなかったので、心おきなく作品を見ることができました。最終日であることを考えて、朝早めに家を出たのです。

受け付けで渡された展示説明(作品番号とタイトル、会場内の位置を記した1枚の紙)を見ずに一巡しました。最初に壁面に直接貼られた空の小さな写真がありました。

つづいてもう一枚、空の小さな写真。その隣に1cm に満たないくらいの円形の鏡面が一つ貼られていて。

紙の束ようなものが乗せられた白い杭のようなものの脇をとおり(これは作品か?)

ガラスケースに中に見たのは、ごくごく小さな土色の土器の碗、そこに白い糸が何かの儀式のようにかけられ蝶に結ばれている。

そのガラスケースの上にもう一つ、ガラスケースがあって

白い細く切られた小さな3枚の短冊のような紙が、器のような形に糸で成形され、中央に花心のような白いガラスの玉が置かれている。

この展示のことを、自分のいちばん親しい人に説明しようとして、気づきました。この作品はどうやっても説明しえない(たとえ一つ一つの作品やその細部を説明したとしても、全体像の説明にはなり得ない)、その場所に身を置いた人だけに、その人の記憶の中だけにとどめておくことのできるものなんだと。もし記憶がなくなれば、二度と作品に近づきようがない。

展示のカタログもなく、たとえあったとしてもあまり意味をなすとも思えない。以前から気づいていたのは、内藤礼さんの展示や作品は作品集を見ても部分的にしか伝わってこないなということ。例外はちくま文庫の「世界によってみられた夢」(これは本として作られた作品集)くらいか*。ちょうど、演劇やダンスの舞台を写真集で見たり、テレビなどの映像で見る感じと似ている。何をやっているのか見ることは可能だけれど、受け手にかかわってくる作品の重要な部分がそっくり抜け落ちてしまうような。

その場にいなければならない。さらにはあるとき、その場にいたとしても、それはその時自分がいてかかわったものだけが見られるのであって、昨日や明日のことは見れらないし、自分が見落としたものは、もう一生見ることができないのだ。多分とりかえしはつかないだろう。

今回の展示会場に置かれていた作品の一つ一つは、土器であったり、アクリル板に挟まれた紙だったり、写真だったり、紙とガラスの影だったり、ドローイングだったりするのだけれど、どれも深い衝撃を見た瞬間与えられるのにも関わらず、「表現」というアプローチからは一番遠いところにある作品のように見えた。

もしこれが表現ではない、としたら、何なのか。

たとえばどこかの野原とか。

たとえばどこかの水辺とか。

床の上に水を模したような場があって、そこに数個の小さな糸に結ばれた土器が置いてあった。

さいしょのたみのくにに
うまれしもの、ここにあり。
とうぱる  - 石臼(いしうす)、
けんはっと - 貝殻ビーズ、
ぱびゆっと - ナイフ。
女がうたう歌 <ルイセニョの詩> より)

この展示とは何の関係もないけれど、見ているとき、この詩の一節がときどき浮かんだ。

最初にもらった展示説明の紙を見て、展示内容とタイトルを確認する。もう一巡する。
会場内に2点だけ、この場に来た者が持ち帰ることのできる作品があった。
3f. 船送り(2005/紙にオフセット印刷、210×297mm)
15b. 恩寵(2003/紙にオフセット印刷、直径78mm)
の2点。
ふと、この会場に来ていない友人の顔が思い浮かび、この展示のことを伝えたいと思い、余分に持ち帰った。

しかし、家に帰って広げてみたその作品は、ただのふつうの紙の破片だった。

展示の記憶が生々しい自分にとっては、美しく貴重なものだけれど、「あの場」を知らない人にそれを見せたところで、何か伝わるものはあるのだろうか。困惑させてしまうだけかもしれない。あの空間から「もの」だけを持ち出しても(それが小さな土器の作品であったとしても)、場のオーラを、イメージを脳内に持たない者には、即物的に「白い紙」という存在でしかない。場から持ち出し不可能な作品だということだ。

春の野に遊びにいって見つけた小さな花を、摘んで帰って人にあげたとして伝わるもの(伝わらないもの)と、どこか似ているのかもしれない。

大黒和恵
editor@happano.org
(2005年5月15日 午前11時4分)

*この印のところで書いたのは、わたしの知っている範囲でのことです。内藤礼さんの展示を見るのは今回が初めてですし、本も他に作品集として作られたものがあるかもしれません。

●内藤礼「地上はどんなところだったか」(_What Kind of Place was the Earth?_ by Rei Naito)は2005年4月1日〜5月14日まで東京のギャラリー小柳で開催された作品展示です。
(ひとつだけ展示で残念だったのは、ギャラリーの構造上の問題なのか、奥のオフィスの声がかなり大きな音でギャラリー内に反響して聞こえていたこと。開場間もない時間帯だったからだろうか。この作品はできれば無音の状態で見たかった。声をかけるべきだったかもしれない。)

●展示会場で配布されているテキストが著者のホームページ(クオリア日記)で読めます。
茂木健一郎(脳科学者)「小さきものたちにこそ、地上は支えられ

内藤礼:美術家。1961年広島生まれ。「地上にひとつの場所を」など内外で個展を開催。直島の家プロジェクト「このことを」でも知られる。ヴェネツィア・ビエンナーレ出品やフランクフルトの修道院での展示など海外でも活躍している。