ON A SMALL BRIDGE IN IRAQ
(イラクの小さな橋をわたって)
Text by Natsuki IKEZAWA
Photograph by Seiich MOTOHASHI
Translated by Alfred BIRNBAUM(English)
Traduction: Corinne Quentin(French)
Aus dem Japanischen von Otto Putz(German)
Published in Feb. 2003 by IMPALA


英文のオリジナルテキストにもどる
Review1, 2, 3, 4

REVIEW 1: Written by Marek W. Lugowski
マレク・ルゴウスキー

実際にイラクに行って人々に会って、イラクの人たち一人一人がどんな人々なのかを紹介する本というのは、なんにせよ良い読書をもたらします。ただ、いくらそうであっても、またこの本の素晴らしさを堪能したとしても、なお、この本の熱弁の一面的なところに、うんざりもしてしまうのが正直なところ。充分な反戦にはなりえていないし、単純な見地からの理解は避けるべきでしょう。残念ながら、著者の感傷は服の袖口からはみ出しており、自分の主観を超えようとはしていない。イラクの子供たちは善であり、アメリカのミサイルは悪である、という風な。だけれども、実際の世界や暮らしというのは、そんな明快なものでも、単純なものでもありません。とはいえ、この本を読んでよかったし、わたしを彼らのそばへ、そう、「イラクの子供たち」の近くへと連れていってくれた数々の写真をとても楽しみました。
(25 Feb. 2003, Chicago)
<Marek W. Lugowski@A Small Garlic Press>


REVIEW 2: Written by Jennifer Hill Kaucher
ジェニファー・ヒル・カウカー

池澤夏樹の「On a Small Bridge in Iraq」は、戦争がさしせまった時期に、イラクでの旅の経験を記した著作である。これは著者の情愛と探究心にみちた、率直な個人としてレポートである。池澤は、この国や人々を、心ある旅行者の目で見てきたばかりでなく、強い感受性と知性をもった一人のジャーナリストの目を介して観察してきたのである。のどかで平穏なイラクの人々の日常を撮った本橋成一の写真に満たされて、読者は最適なときにこの本を手にした思いで読了するのではないか。
(18 Mar. 2003, Pennsylvania)
<Jennifer Hill Kaucher@Wordpainting>


REVIEW 3: Written by Denis Emorine
ドニ・エモリン

イラクにアメリカの最初の爆撃が降りそそいだとき(わたしはこれを2003年3月20日に書いています)、「イラクの小さな橋を渡って」は新たな妥当性をもって響きわたりました。その共振はオープニングの数ページの中に引用されている、強烈な声明書から起こりはじめます。「2001年、国連は経済制裁によるイラクの死者の数を150万人と推定するレポートを発表した。このうちの62万人が5歳以下の子供であった」。共振と妥当性は、品位ある言葉によって語られた攻撃的な著作とは何かという姿勢によって、全編をおおうものとなっています。池澤、本橋の両著者は、尊敬の念をこめて、イラクの人々についての誠実なポートレイトを仕上げました。

これはある種の逆説なのでしょうか?提示される写真の数々は穏やかさのどかさの中にあります。ここでは見せ物的なものや不快な場面、衝撃を与えようとする映像の使用、そういうことを避けるという選択がなされています。写真は勘違いのエキゾチシズムや根拠のない美意識へと読者を導くことも防いでいます。イラクの人々は、うわべだけの美しい映画の中に登場する、ただのエキストラとして価値を下げられることもありません。目につくのは、子供たちの遊ぶ姿、祭り、市場、理髪店・・・、といった街の表情です。本橋成一の写真は、バランスと多様性をもった関心のありようを示しています。

池澤夏樹のテキストも同様に冷静沈着なものです。著者は、今回の戦争が始まる数カ月前、イラクという国を理解するために、できるだけ多くのイラクの人々と会うことを目標に、イラクでの2週間を過ごしました。この外国人を握手で迎えたイラクの人々は、本を読みすすむうちに、読者にとってとても近しい存在となります。いっぽう、池澤はイラク政権を理想化したり(なかでも言論の自由や女性の地位について)はしません。とは言え、イラク滞在中、どこを訪れるか、何を取材するか、どんな人々に会って話を聞くかについては、著者自身によって選ばれたものであるとも明言しています。池澤はイラクの北部から南部にかけての1600キロを超える行程を、取材を手助けする(イラク側の)通訳とともに旅しています。

もちろん、池澤は、ずっと中立のままでいるわけではありません。虚偽の、おどろくべき理由によってもたらされたアメリカの主張するルールづくりやその正当化(国を解放することや民主主義政権樹立の必要性など)に対して、強く疑問を投げかけています。あふれる感受性と人間性をベースにした、「内情を見てきた者」の視点は、著者の主張への賛同を読者にもたらすことでしょう。

「もしも戦争になった時、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった」、こう著者は言っています。2002年11月に書かれたこのテキストは、国と自分自身の勝ち点獲得に必死のブッシュ大統領によってもたらされた「個人的な」戦争のばかばかしさを照らし出すものであり、読者にとっては、この戦争がどういうものかを理解する手助けとなるでしょう。
(20 March. 2003, Landser, France)
<ドニ・エモリン>

フランス語から英語への翻訳:フィリップ・ジョン・アッシャー(Annetna Nepo編集人)
英語から日本語への翻訳:だいこくかずえ


REVIEW 4: Written by Phillip John Usher
フィリップ・ジョン・アッシャー

「イラクの小さな橋を渡って」を読むのに、わたしが少し慎重な気持ちであったことをまず書いておきます。わたしがこの原稿を書いているパリの街では、イスラム風ヴェールに顔をつつんだ黙りこくったような表情の(だけれども「なんて美しいんでしょう、なんて希望に満ちているんでしょう」と受けとられている)女性たちのいかにもといったのモノクロ写真を、これでもかと並べるアート絵葉書ショップに出会わずに歩くのはむずかしい毎日です。中東が世界情勢の中で、人々の関心を一手にに引きうけるようになって以来、この絵葉書のような「エキゾチックな美しさ」が、日増しに日常の中に溢れてきています。というより、むしろ、こう言ったほうがぴったりくるかもしれません。CNN視聴者はもはやテレビ画面の中の、中東のまことしやかな映像に慣れきっている、と。本橋成一の写真は、「エスニック(民族)を売りものにする写真」であると言われかねない危険性を充分にもっている作品です。このエスニックに対する感覚とは、エドワード・サイードによってとっくに神話性を失ってしまった「オリエント(東洋)の美」に対する19世紀的陶酔に相当するものです。この構造は容易には断ち切れないものであり、中東のイメージの増殖(何の注釈もなしに映像だけが流されたり、過剰に美化されて芸術的なものとなったり)により、落とし穴にはまらずにイラクをルポルタージュすることが誰にとっても困難になっています。この小さな本は(そう言っていいと思いますが)、こういった落とし穴だらけのところにくねくねと道をつけているのです。

この本の英語版は二つの部分にわかれています。最初の部分は、カラーの写真と、国連の経済制裁で引き起こされた諸問題の詳細とイラクの人々の生活についての印象記を混ぜあわせた断片的なコメントで構成されています。平穏な情景の中に始まる前半は、すがすがしく、ドキュメンタリースタイルにより写真は、人々の(そうであってほしい)楽しげな様子を美化することだけには終わっていません。イラクの人や社会のあり様についての記述は、いくぶん面白みに欠けています。「実に明るい人たちだ。しかもおそろしく親切」といったような。

後半の部分(本編)はモノクロの写真と、イラクへの旅についての読み物で構成されています。「オデッセイア」を手にギリシアへ旅だったギュスターヴ・フローベールのように、この本の著者たちははじめは考古学プロジェクトの取材をする目的でイラクに出かけたのでした。本文と写真は、しかしながら、著者たちが今日のイラクに、国や人々をおおう今起きている窮地に目を向け続けます。テキストと写真は読む者に、街にはどんな空気が流れているのか、人々はそれぞれにうまく生活しているのか、というような、「イラクという国の鼓動」を伝えようとしています。この本に問題があるとすれば(他の同様の作品にとっても)、じかに知った事柄と巨大な政治的状況とを、いっしょくたにしてしまっているところにあります。「イラクの小さな橋を渡って」の中で忘れてはならないのは、わたしたちは状況を外部からのぞいていること、街で出会った人々は自分の国のことについて外国語で話しているということです。これは報道というものが常にもつ側面であり、事実の記録と論評との間にはっきりした境界線を引かせるものです。論評の方へわたしたちが一歩足を踏み入れると、うまくしたものでテキストは、わたしたちを部外者の視点へと引き戻します。ある意味で、サダム・フセインに対する100パーセントの支持は、多くの人々の感情のあらわれであろうと、本文は言っています。さらには、「サダム・フセインの支持が長く続いている理由を圧政だけに求めることはできない。よくも悪くも彼は政治家として優れている。」と述べています。状況の複雑さをほとんど意に介さないこのような論評に対して、どのように反応すべきかは難しいところです。このような論評と写真あるいはもっと記録を主体としたテキストの間に引かれる境界線は、二つの階層の間を行き来する興味深い旅を生み出しています。読者はイラクの現状に対して、無関心のままではいられないでしょう。

いまはあらゆることを寄せ集め、それをからみ合わせてみるときです。サダム・フセインは独裁者でした。が、ブッシュもまたごう慢なカーボーイ以上の何者でもありません。この二極を越えていくことは困難でありますが、かといってハンチントンの「文明の衝突」説に取りこまれるわけにもいきません。いまはまだ、善対悪、イエス対ノー、黒対白、イスラム対キリストといった紋切り型思考を越えていく途上にありますが、今後はもう少し物事がはっきりと見えはじめることでしょう。それはわたしたちが、「イラクの小さな橋を渡って」のようなドキュメンタリー作品に対して期待すること以上のことなのです。「イラクの小さな橋を渡って」が成していること、あるいはどのような意味で読む価値があるかと言えば、きこりたちの日常や子どもたちの歌の内面にわたしたちを連れていってくれることでしょう。それはわたしたちに、戦争とか国際情勢の複雑さというものは、トゥインキーズをむしゃむしゃ食べながら、「NYPD - ニューヨーク市警物語」に夢中になっているふつうのアメリカ人がそうであるように、多くのイラク人にとっても近しいものではないということを教えてくれます。この作品の最大の強みは、「写真に写っている人々やその場所にもうすぐ爆弾が落とされるかもしれない、という感情を、イラクの人々から分け与えられているんだ」という、かつて経験したことのない気持ちを読者から引き出しているところにあります。

この本が、アメリカの爆撃後イラクがどのように感じているかについての、非常に強力な論評となっているのは確かであり、「独裁政権後」の自由について、わたしたちの理解を切り開いていくもののようにも見えます。ただ自由といっても、「プレ〜」がかすんでいる分、多くの「ポスト○○(〜後)」状態(例:ポスト・コロニアル-- 植民地主義後の)に見られるような、「過去の遺物」的なものが持ち込まれることは間違いないでしょうが。

あなた自身がイラク問題にどう決着をつけるかのためにも、わたしはこの「イラクの小さな橋を渡って」を一読することを強くお薦めします。
(Thu, 29 May 2003, Paris)
<Phillip John Usher@Annetna Nepo>


日本語訳:だいこくかずえ



英文、フランス語のオリジナルテキストにもどる




Reviewの目次 | 葉っぱの坑夫Top