ジョーン・タワー * Joan Tower
From the Jacket, Tower: Sequoia (Recorded 1982)
New York Philharmonic & Zubin Mehta
ジョーン・タワー | Joan Tower
作曲家、ピアニスト。1938年9月6日、ニューロシェル(ニューヨーク州)生まれ。9歳のときボリビアに移り住み、そこで暮らした経験がのちの音楽制作に影響を与えたと言われる。ピアノ演奏に才能を見せたタワーはアメリカに戻り、コロンビア大学でオットー・ルーニングの指導を受けるなどして、音楽の道に進む。1969年、バイオリニストとフルート奏者とともに、現代音楽の室内楽アンサンブルDa Capo Chamber Playersを結成。ピアニストとしてここで活動する中、多くの楽曲の提供もしてきた。タワーのエネルギーに満ちた力強い楽曲は、世界中のコンサートホールで、多くの演奏家たちによって演奏されている。ザ・ニューヨーカー誌はタワーを最も成功した女性作曲家の一人と称えている。つづきを読む >
非常にイキのいい話ぶりで、答えの一つ一つがシャープで的確。
わたしたちが、どんな風に音楽に親しんでいけばいいかのヒントを与えてくれます。(葉っぱの坑夫)
ここで話された話題 [クラシックとポップス/死んだ作曲家たち/子どもたちの音楽教育/指揮者たちの能力/自作について/作曲家と演奏家/街ごとの違い/楽譜への忠誠心の要否/女性作曲家たち]
このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。
<1987年4月、シカゴにて>
ジョーン・タワーはクラシック音楽界において注目を集める精鋭の一人です。現代音楽発展の第一線で、すでに地位を確立しています。
インタビューは1987年4月、シカゴ交響楽団がタワーの作品を演奏した際に、シカゴで行なわれたものです。わたしは彼女と話をした時間をとても楽しみました。その午後に話されたことを、ここに記します。(ブルース・ダフィー)
ブルース・ダフィー(以下BD):音楽はいま、どこに向かってるんでしょう?
ジョーン・タワー(以下JT):音楽ってどの? ポップスもあれば、クラシックもあるし、フォークだってあるし。あらゆる種類の音楽があるけど。
BD:さまざまな音楽の境界が、不鮮明になってるってことでしょうか?
JT:まだ充分じゃないわね。もっとこの境界が混じり合っていった方がいいと思っているの。
BD:どうして?
JT:クラシック音楽は過去の遺産の重荷に苦しんでいるから。今を生きているポップ・ミュージックと比べるとね。ある意味、ポップスは健全だと思う。この手の音楽はどこでもいつでも提供されているし、話題にされ、競争し合い、売り買いされてる。なのにクラシック音楽は今も、過去の中に埋もれてる。
BD:じゃあ、クラシック音楽は健全じゃない、と思うわけ?
JT:もう死んだ作曲家たちに関して言えば、健全だとは思えない。ベートベンは自分に並ぶ人が必要で、それによって音楽というのは、名曲みたいにいつも安泰なものじゃない、と気づかされる。だからそのことをもっと考えなくちゃいけないってこと。新しい音楽のいいところは、反応を引き起こすこと。「自分はこの音楽が好き? それとも嫌い?」って。聞き手というのは、音楽そのものに反応するから。でもベートーベンに対してはそうじゃない。
BD:違う演奏者による「素晴らしい交響曲」を聴きにくるだけってこと?
JT:そう。聴衆は演奏者に反応するの。
BD:責任の一因はレコード会社にあるのかな?
JT:まあそうね、レコード会社っていうのはお金を儲けるための組織で、利益が得られるかどうかで成り立ってる。どうやってレコードを売るかは、レコード会社にとって切実な問題でしょ。そのことで、自分たちは汲々としてると感じてる。業界自体が不安定なのだから、どうすることもできない。それで過去の名作を再販するの。するとみんなが買うだろうと思うような、有名人ばかりになってしまう。レコード会社が歩む道っていうのは、ものすごく狭いものだけど、選択肢はないの。それはお金を稼がなくちゃいけないから。
BD:ビッグネームじゃない作曲家のレコードをどうやって人々に買わせたらいいのかな。
JT:とても大きな問題に取り組まなくちゃね。複雑にして本質的な問題よ。一つは教育と関係してる。今後どんな子どもたちが現れてくるかよね。その子たちは何を面白がるかしら。国民の大多数に、音楽の活力を与えられるものが求められる。すごく難しいことで、レコード会社がやりきれることじゃない。それが仕事ではないからね。
BD:コンサートのプロモーターやレコード会社は、MTVを見ている人たちを狙えばいいのかな。
JT:そうしようとしてるんじゃない。でも死に馬にむちを打つことになる。興味ないんだから。
BD:じゃあ、どうやったら興味をもたせられるんだろう。
JT:子ども時代の教育だと思う。政府もこのことはわかってる。全米芸術基金はこのことに注目して、小学校や幼稚園が通常求められている以上に実のあることをしようと、教育の前面に打ち出している。草の根レベルで手をつけられる必要があるの。それは若い世代の聴衆が出てこないから。若い新たな聞き手というのが、本当にいないの。
BD:小学校の3年、4年、5年生年が交響曲のコンサートに連れていかれるってこと? もしそうなら、それはベートーベンのコンサート、それともジョーン・タワーのコンサート?
JT:そうねそれもいいと思うけど、それ以上に必要なことがある。子どもたちをただコンサートに連れていくんじゃだめ。そのコンサートから、彼らの反応が引き出せることが必要ね。子どもは地域に根づいていて、とても素晴らしいものよ。偏見や先入観もないけど、コンサートにただ行く以上のことがある。子どもたちは家で楽器を手にして、家や学校でそれを演奏するといい。19世紀にしていたように、もっと家庭音楽を楽しむの。
BD:「家庭音楽会(Hausmusik)」のような?
JT:そうそう、家庭音楽会ね。
BD:でも今の社会の動きは、こういうことをするには忙しすぎないだろうか。
JT:そうね、クラシック音楽業界にとって、今の社会は二つの問題を抱えてる。一つは宣伝の影響。もし音楽家が名前をたくさん売れば、みんなはそれは才能のせいだと思う。でもそれは間違ってる。そうじゃない可能性もあるからね。本当に人々は評価できているかどうか。イツァーク・パールマンは素晴らしいバイオリニストなのか、ただ売れてるだけなのか、本当にわかってるかどうか。それは過去の作曲家についても同じ。あれが売れ筋一番、二番目はこれ、わたしたちは数が白黒つける社会に生きてる。あまりリスクは負いたくない。何がはやってるかばかり知りたがるの。
BD:コンサートに行く前に、それが楽しめるものかどうか知りたいってわけだよね。
JT:そうそう、自分の出そうしているお金に価値があるか知りたいの。有名な人の演奏が聞けるか知りたいし、有名な曲をやってくれるか知りたいわけ。聞いたこのない名前の演奏家のコンサートには行きたくないし、知らない作曲家の曲も聞く気がしない。どうして? なぜなの? 人々は音楽や演奏家を自分で評価する、っていう喜びを忘れてしまったのかな、と思う。そういう能力が失われてしまったんだと思う。
BD:聴衆が評価する能力をもっていたとしても、それはいつも正しいものなのか。
JT:いいえ、そうとは限らない。でも少なくとも自分で評価するという創造性が発揮される。新しい音楽が生まれてくればね。指揮者がその能力を失っていたとしてもよ。
BD:指揮者全員が? それとも多くの指揮者が?
JT:全部じゃないけど、多くの指揮者がそう。「おや、面白い曲だね。わたしは好きだな」 新しい楽曲を聞いてこう言う人はわずかしかいない。
BD:あるいは「あまり面白くはないね」とか?
JT:そうね、「あまり面白くはないね。わたしは好きじゃない」 レナード・スラットキンはその点で、他の指揮者とは違う。彼は新しい音楽に対して、自分が好きか嫌いか、はっきりした意見をもってる。すべてに賛成するわけじゃないけど、自分の見解をもってるの。
BD:彼の意見でプログラムを組むことが可能?
JT:そういうこと。そしてゲスト指揮者としてツアーを引き受けるとかね。だけどほとんどの主要な指揮者は、3メートルの竿を使ってさえ触れようとしない。どうしてなの? すごく面白い疑問だわね。彼らはどうやってその音楽を評価したらいいかわからないの。同じことがソリストたちにも言える。そこが問題。さらには、誰も彼らに「あなたに演奏して欲しいんですけど」とも言わない。言ってみてもいいでしょ。それだけじゃなくて、こうも言わない。「ジョン・スミスのこの曲が好きなんです。すごくいい曲ですから、あなたに聞いてほしいんです」 そういう風に言ったりもしない。
BD:ということは聴衆の教育もそうだけど、音楽家も教育する必要があると?
JT:そういうこと。現代音楽にまつわる間違った神話を広めてるからね。
From ”Riley: Cantos Desiertos” 2003年、Naxos
ギター:Jeffery McFadden、フルート:Alexandra Hawley
(Original data:8:25)
BD:ではここで、あなたの音楽やその創作について話しましょう。曲をつくっているときですが、仕上がったといつわかるんですか? 完成したとどうやって知るんでしょう。
JT:わたしが描く風景にははっきりした形がある、と思ってるの。輪郭や形がはっきりと感じられるよう、始まりと真ん中と終わりというように、しっかり作りあげるから、終わったかどうかはよくわかってる。わたしの音楽はとても有機的で、どこに向かってるか、どこに行き着くのか、どこで終わりになるのかがわからない内は先に進めないの。だから楽曲の終わり、始まり、真ん中、という感覚ははっきりある。少なくとも作ってるときはね。
BD:音楽はあなたが作ってるんでしょうか? それとも音楽自身によって作られるもので、あなたはそれを管理してるだけなのか。
JT:楽曲は音楽自身によって作られるもの、だからわたしは何が出来ていくのか聴こうとしてる。
BD:その行き着いた先に驚かされることはあるんでしょうか?
JT:そう、そのとおり、よくあるわ。わたしがある方向に持っていこうとしても、向こうがこう言うの。「いやいや、ちがうな、あっちにわたしは行きたい」 だからこちらはこう言う。「ちがう、こっちに行こうよ」 でも音楽はこう言ってきかない。「だめだ、あっちだ」(笑い) それで戦い開始よ。
BD:でもほんとうに戦ってるわけじゃない、あなたが指揮をとる。
JT:うーん、そうね、でも戦うことはある。なぜなら人は頑固だからね。でも耳を澄ませば、音楽というのはそれ自身のパーソナリティをもちはじめる、ということがよくわかる。だからその音楽に耳を澄ませること、そしてそれに導かれるようにするの。感覚を研ぎ澄ませて、それに応えられるようにするには、大変な忍耐や修練がいるけれど。
BD:曲をつくるとき、演奏にかかる時間には気をつかいますか?
JT:ええ、とても。時間を管理するのはすごく大変で、その理由は描いている風景が巨大なものだから。大きな風景を管理するのは、非常に困難なこと。音楽の中の時間は、捉えにくいものだからね。だからとても難しいの。
BD:作曲の依頼を受けた場合、何を受けて何を断るかどうやって決めるんですか?
JT:わたしの書く楽曲を演奏したいと心から思う人たち、何か新しいものと出会いたいと思っている人たち、そういう人々のために書きたいわね。それからわたしのよく知る人たち。知らない人のために書くことはとても難しい。演奏者と一緒に仕事するのが好きなの。わたし自身、長いこと演奏家だった(ピアニスト)から、彼らの抱える問題はよく知ってる。一つの楽曲というのは、二車線の道路と同じ。作曲家と演奏家が一緒に走る道よ、両者は音楽の創造において協力し合わなくちゃならないの。だから、そういう感覚をもっている人たちからの依頼は受けるし、一緒に音楽を作りあげたいという人たちもね。わたしが曲を書いてそれを演奏家に渡して、はい、じゃあ今度はそちらの番ね、というんじゃなくて。オーケストラの場合は、そうやって進めることもある。それは100人もの演奏家とそうするのは難しいから。でもセントルイスでは、その垣根を越えようと努力した。そのときわたしは作品制作のための招聘音楽家(コンポーザー・イン・レジデンス)のような感じで、演奏家たちと暮らしていたからね。『Silver Ladders』は、実際のところ彼らのために書いた作品だった。四つのソロパートがあって、それはセントルイス交響楽団の4人の演奏家のために書かれた。その他の部分はシンフォニーに向けて書かれたわけだけど。とても個人的な体験だと思う。
BD:じゃあ、ここシカゴにそれをもってきたら問題はないんでしょうか?
JT:いいえ、どこにもっていっても問題はないですよ。でもセントルイスの彼らとは一緒に作りあげたし、彼らは助けてくれた。ソロの部分を作るときは、ソリストたちに声をかけたし。わたしにとって、あれは本物の共同事業だったわね。
BD:じゃあ、もしその楽曲をシカゴ交響楽団のために書いたとしたら、違ったものになった?
JT:それはシカゴ交響楽団がただわたしに依頼してきて、こちらは彼らのことを全く知らないという場合? そうね、あまり面白みのない作品を書くということではなくて、個人的なつながりがない作品になるということ。だってシカゴのことは知らないわけで。だけどセントルイスでは、演奏者たちの隣りに座って、練習をともにしたのだから。
BD:演奏家の評判を知ってるだけじゃ不充分ということ?
JT:シカゴ交響楽団はアメリカで最高のオーケストラの一つだし、誰にとっても彼らのために書くことは誇りだと思う。今わたしが言ってるのはちょっと違うこと。それは人が一緒に、協力して成し遂げることを言ってるの。それはわたしが作曲家たちよりも、演奏者たちのことをいつも気にかけてるから。わたしの場合、作曲家というものを重要視し過ぎることはないの。演奏家は作曲家のようには全く考えない人たちね。
BD:演奏家は作曲家のように考えるよう学んだ方がいいとか?
JT:そう、このクラシック業界がもつ大きな問題ね。今の人間はそれをどうやるのか、忘れてしまったの。19世紀には、作曲家と演奏家が同じ人間だということがもっとあって、それによって創造的な関係性を両者にもたらすことができた。演奏家は、曲をつくる作曲家以上に曲ができる道筋に意識的だったし、その逆も真。だけど今は演奏家はずっと向こうの方にいる、何キロも先にね。彼らは全く別の問題にかかわってる。それは傾向への関心と高度な技術。わたしは彼らをオリンピック選手と呼んでるの、素晴らしいことだけどね。わたしたちは歴史の中で、かつてなかったほどの優秀な演奏家を手にしている。そうであっても、演奏家たちはいつも音楽的な選択をしているわけではないの。彼らがしているのは楽器に関わる選択。彼ら自身のせいではなくて、楽曲づくりに関する訓練を、キャリアの中で一度も経験したことがないからなの。作曲をする演奏家たちは、しない演奏家と比べて、とても違う演奏をしていると思う。
BD:で、あなたははるか彼方から、そういう人たちに目をつけてる。
JT:まあそうですね。でも作曲の才覚がありながら、全く曲を作ったことがない演奏家もいる。つまりその人たちは、演奏している曲の水面下に何があるのかについて、創造的な洞察力を充分に備えているっていうこと。でも音楽大学では、演奏家に作曲は求められていないし、作曲家が楽器の演奏を求められることもない。わたしたちはこの二つを再び一つにする必要がある。今のところ、アメリカではこの両者は、同じ学校にいながら、何十キロも離れたところで別々に教育を受けてるってこと。
BD:シーズンチケットの中で、セントルイス、シカゴ、あるいはどこの街でも、どれくらいの割合で新しい音楽が演奏されるべきなのか。
JT:それは都市によると思う。その街の考え方にね。すごく保守的にものを考える街もある。ロスアンゼルスは冒険を好む街だと思う。ミネアポリスも同様。こういう街では新しいことが行なわれている。あらゆる形態において、形式においてね。街の人々は創造的にものを考える傾向が強いの。一般的に、伝統を重んじる交響楽団のある街は、芸術について保守的な場所と言えると思う。
BD:オペラ以上に?
JT:いえ、多分ちがうでしょう。わたしはそれほどオペラのことに詳しくはないけれど。
BD:オペラを書こうとしたことはあるんですか?
JT:いいえ、まったく。
BD:全然?
JT:ないです。
BD:ここからの50年間に、三つのオペラを作品リストに加えた、と言えるようになるのでは?
JT:(笑)わたしが言葉を扱うのは難しい。言葉と音楽をいっぺんに扱うことなんか不可能。
BD:じゃあ、テキストを作品で扱ったことがない?
JT:ないと思う。よく訊かれはするけれど、声と言葉と音楽を一緒に扱うことには無理がある。それはなんか別のことに思える。わたしにはできない。
BD:じゃあ聴くのはどうです?
JT:ああ、もちろん聴きます。それにわたしは長いこと伴奏者をしてたし。歌曲は大好き。
BD:ていうことは、あなたが手にできないというのは、作者としてはということ?
JT:そうね。音楽と同じ場所に言葉を置く、ということがわたしにはできないことなの。
BD:音のみを扱う、と?
JT:そうね。バレエ音楽は書きたいと思う。大丈夫。何かを合体させるのは構わない。言葉が違う次元で加わることが嫌なの。
BD:あなたの作る曲に、視覚的なものとか電子的なものとか、取り入れることは? そういうのは関心の外?
JT:今のところはない。(両者、笑)でもダンスの振りつけには関わろうとしてる。
BD:じゃあ、いつかあなたの曲でバレエが見れるかも?
JT:わたしの『Wings for Clarinet』をダンス曲として演奏した人から手紙をもらったの。その人はビデオに撮っているそうで、わたしは死ぬほどそれが見たいと思った。いつもわたしは自分のことを「音の振付家」と言ってるくらいだからね。踊りという観点からものを考えるし、ダンスには強く反応するの。
BD:そのビデオがあなたの刺激になるようなものであることを心から願ってます。うんざりさせるようなものじゃなくてね。あなたのコンサート音楽に話を戻すと、作品を通常のコンサートで演奏されたい、それとも現代音楽のコンサートの方がいい?
JT:きつい質問だけど、面白い問いでもあるわね。それはわたしはその両方でたくさんやってきたから。もう死んだ人たちの名曲をやるコンサートで演奏されるのと、現代音楽のコンサートで聴かれるのでは、作曲家として全く違う体験になる。すごく違う状況だと思う。
BD:どう違うんです?
JT:オーケストラの世界で問題になることの一つは、団員自身が新しい作品に抵抗するということがある。それが何故なのか、わかるまでにすごく時間がかかった。彼らは名作を演奏するのに慣れているでしょ。多くのオーケストラ曲というのは力強くて、しっかりしてて、楽器編成もすばらしく、うまく書かれているもの。そこに突然、新しい楽曲が渡されて、おそらく楽器編成もそこまでよくなく、揺るぎない強さがあるとか焦点がきちっと収まってるとかでもなく、それでこれを演奏してほしいと頼まれる。彼らはそれに取り組まねばならなくなり、練習をせざるを得ない。異次元の体験よね。わたしはベートーベンとチャイコフスキーの間に置かれたり、『展覧会の絵』や『ボレロ』と同じプログラムで演奏されたり、ありとあらゆる名作の中に置かれたわけ。わたしの曲にとっては、大変な挑戦だった。「この中で生き残れるんだろうか?」とハタと思ったわね。(両者、笑)
BD:で、生き残れた?
JT:ときにはね。生き残れることも結構ある。でも多くの場合、現代曲をプログラムの最初の方に置くから、それなりにやりやすいわけ。つまりベートーベンやチャイコフスキーやその他もろもろを追いかけなくて済む、だからやりやすいの。たていてはまず新曲がきて、次にソリストの演奏がある。その心は「新曲が気に入られなくても、ソリストの演奏が次にくればなんとかなるだろう」ってこと。本当にね。できたプログラムでしょ。で、休憩の次にくるのが大曲。でもすべてが現代曲のプログラムのときは、まったく違う器に入れられる。聴衆が批判的になることはない、それは作曲家が新顔だから。彼らは違う理由でそこに来ている。すべてが新曲。その場合、また別の生き残りの試練になるわね。多分、すべて死んだ作曲家のプログラムの中に置かれる方が厳しいと思う。わたしの経験ではそう。
BD:聴衆が新しい作品が名作であることを期待するのはよくないこと?
JT:新しい曲に対する聴衆の意見というのは、今の段階では、なんというか、、、突飛なものよ。
BD:でもわたしが聴衆と話す機会があると、彼らは新しい曲はどれも突飛だと言ってますよ。
JT:あのね、思考がとても狭くて、とても閉じてて、正しく聴かなくちゃと思いすぎてるってこと。新しい曲をがまんして聴かなくちゃいけない、という神話のせいなの。わかるでしょ。
BD:デザートとして野菜を頼むみたいな?
JT:そうそう、マグネシアミルクを飲むみたいな。マグネシアミルクを飲まなくちゃいけないの。そこに何かよくないことがあるの。みんなが聞き慣れているものから、左にしろ右にしろかけ離れている曲が今書かれているからなの。でも、もうそいういう議論はできない。ジョセフ・シュワントナー、ジョン・コリリアーノ、ジョージ・ロックバーグ、ジョージ・クラム、ジョン・アダムス、スティーブ・ライヒといった作曲家たちの楽曲を、聞き慣れないとは言えない。この人たちは馴染みある協和音の和声で書き、馴染みある身振りをつかい、馴染みある風景を描いている。新曲だからと言って、それを非難することはできない。彼らはすでにみんなが知っているものと、あまりに近いところで書いている。だからそれについて議論するのは有効じゃない。このことは、聴衆が彼らのやっていることを理解していないということを示してると思う。
BD:名作やさまざまな曲について言えば、われわれはオーケストラに、18世紀、19世紀のあまり有名じゃない作曲家の作品をプログラムに入れるよう、奨励すべきなんでしょうか?
JT:そうね、助けになると思う。それによってベートーベンやモーツァルトのまわりに、それほど名作指向じゃない人たちを集めることができると思う。確かにそうね。それによって何故ベートーベンやモーツァルトが素晴らしいのか、という視点が得られるかもしれない。おそらく何故彼らをすごいと思ってるのか、その先まで考えている人がいるとは思えない。
BD:彼らは単に、その時代に、他の作曲家より優れた仕事をしたという事実のその先まで?
JT:ちがう、彼らの名が歴史に残されて、お膳立てされた状態でわたしたちに伝えられた、という事実の先までってこと!(両者、笑) もしわたしがベートーベンの隣りにいれば、それはベートーベンを助けることになる。それは本当。聴く人の耳がわたしの楽曲を査定し、批評するよう仕向けられるから。「これが好き? それとも嫌い? なんで自分はこういう反応を示すのだろうか?」 こういうことがベートーベンを助けるの。なぜならそのことは、「ああ、これはベートーベンだからいい気分になれるはず。彼はだって、たいした天才ですもの。私ごときが彼の曲を批判なんてできないわ」と言う代わりに、今ここのベートーベンとして聴かれる可能性があるから。
Piano Concerto(1985年) Composed by Joan Tower
ピアノ:ユーソラ・オッペンズ、マックス・ブラガド=ダルマン指揮、ルイビル・オーケストラ
BD:基本的にあなたの作品が演奏されたものを聴いて、満足してきました?
JT:わたしはとてもラッキーだったと思う。すごく熱心な演奏家たちに恵まれてきたからね。ちょうど先週末に、わたしのチェロソナタをアンドレ・エメリアノフが演奏したの。彼のために書いた曲よ。彼はダ・カーポ・チェンバー・プレイヤーズの一員として、15年間わたしとやってきた人。アンドレはジェラルド・シュワルツがニューヨークで指揮するYチャンバー・オーケストラの首席チェリストなの。彼はとても優れたチェリスト よ。彼のためにこの曲を書いたんだけど、先週ハドソン交響楽団でもこれを弾いたの。わたしの友だちのバード大学学長のレオン・ボットスタインの指揮でね。レオンも、オーケストラも、アンドレも心からこの曲を気に入ってくれて、彼らの才能を最大限につかって最高の演奏をしてくれた。わたしにとって、励まされる経験だったわね。演奏者たちがその力をめいっぱい使って演奏してくれることに、わたしは価値を置いてるの。それって、すごく刺激的なことよね。「たしかに彼らは精一杯やってたけど、素晴らしい演奏だったとは言えないね」という風に、わたしは言わない。どの人にもその人が果たせる最高の地点というのがある。で、このときの3人は真に彼らの最高地点まで登りつめたの。こういうことに、わたしはすごく動かされる。有名オーケストラがわたしの曲をうまく演奏したけど、やり遂げたという感じではなく、彼らの限界までやったわけじゃないというケースより、こっちの方がずっといいの。そういうのは、わたしにとって、音楽的なことではない。それはただ滑っていくだけのオリンピックのスキーコースみたいなもの。そういう音楽づくりにはあまり関心がないわけ。
BD:あなたの曲を演奏するとき、指揮者は適切な身振りを見せるものですか?
JT:指揮者の身振りについてはわからない。耳で聴いたものだけね、わかるのは。
BD:あなたの曲で踊ってる指揮者を見ないんですか?
JT:いいえ、見ないわ、たいていは。耳で聴いてその結果を確かめるだけ。人の曲を指揮しているときは、見るわね。でも自分の曲の場合は見ない。
BD:あなたはさっき、作曲者と演奏者が調和して仕事することを話しました。演奏者たちは、あなたの作品の中に、あなた自身が気づいてないようなことを見つけたりするんですか?
JT:まさに、その通り。オーケストラの団員から受ける、最高の賛辞だと思う。曲を弾いて、リハーサルしてと仕事に取り掛かってから、彼らはどういう曲をやってるのか理解する。それでわたしのところまでやって来て、こう言うの。「36小節のところですけど、楽譜にあるよりも、少しこんな風に弱めた方がいいんじゃないかと」 こういう提案というのが、誰によるものであっても、わたしにとっては最大の賛辞になるの。つまり演奏者は、楽譜に書いてあることに抗するくらい、充分に楽曲を自分に引き寄せているわけで、それでわたしのところにやって来る。作曲者はまだ生きてるからね。そして変更することを提案してくるの。わたしのところにやって来て「トランペットの曲はあります?」と聞いてくる人より、ずっと嬉しいことなの。
BD:彼らの提案に対して、変更はするんですか?
JT:もちろん。でもこう言うわね。「やってみましょう、それから決めましょう。うまくいくかわからないか
らね」 ところでここを変えてほしいという提案をするときだけど、、、、楽譜に書いてあることに逆らうことが、演奏者にとってどれだけ難しいことか、わかる?
BD:楽譜を正確に弾く、ということを叩き込まれてますからね。
JT:そう、そうなの。楽譜に記されてることに価値はないということを忘れてる。単なる記号にすぎないのに。
BD:今から100年後に、その時代の人々が強弱を変えたり、音を変えたりしたい場合、何が起きるのでしょう?
JT:それが今起きてることよね。そうすることが許されてない。何故なら演奏する曲の作曲者の多くはもう死んでるから。
BD:あなたが死んだあとに、演奏者に楽譜を変えて演奏してほしいですか?
JT:楽譜が編集される過程で、ミスが起きることがある。演奏者がやって来てこう言うの。「ここのパッセージはもっと速く弾くべきじゃないですか?」 で、わたしはこう答える。「そのとおりだわ。出版社がテンポの変化を入れ忘れたのね」
BD:楽譜ごとに正誤表をつくって、あちこちに送った方がいいのでしょうか?
JT:そうね、よく演奏される曲があって、楽譜の間違いを変える必要がある。スコアから削られてしまった部分があるから。
BD:自分の楽譜を見直したりするんですか?
JT:それがかなり危険なことだとずっと前に学んだわね。表面上の修正ならある、オーケストレーションやその構想に目をやった場合は。でも音楽の中身を変える場合は、慎重にやる必要がある。それは自分が、その曲を書いたときとは違う場所にいるから。今は曲の外に立ってるから。離れたところからやって来て、音やリズムを変えるのは危険をともなう。『Silver Ladders』は1月にセントルイスで初演されたばかりで、その3楽章がはまってなかった。何故なのかわからなかった。オーケストレーションがはまってなかったのか、曲自体がはまってないのか、わからなかった。この二つは分かち難いものだから。それでシカゴ交響楽団で、オーケストレーションを変えてみることにした。表面的に修正をしたの。それで音楽がよくなるか見てみようとした。もしそれでうまくいかなかったら、音楽そのものを変えなくちゃならない。これによって判断ができる。でもわたしは幸運だった。セントルイスがまた演奏することになったの。彼らはこの曲でツアーを組んでいて、わたしはそれを聴いて、変えることもできる。そのあと彼らはこの曲を録音するから、そのときにまた変えることもできる。つまり、どれだけ運に恵まれてるかによるわね。
BD:これは理想的といっていいですね。でも100年後に誰かがやって来て、「これが原本ですよ。この通り弾
いて」と言ってきたとしたら、その音楽学者をいやなやつと思います?
JT:そうね、音楽学者というのは、楽曲の歴史的な成り立ちと、音楽そのものの特質を一緒くたにすることがある。バッハはそのいい例よね。もしわたしたちが今弾いてるバッハを聴いたら、彼は膝を打つでしょうね。天国で、わたしたちがしてるようにピアノで弾くにきまってる。聴いてみたいものだわね。だってピアノは、バッハにとってぴったりの楽器だからね。彼の音楽というのは、音の動きやハーモニーがとても大事で、ピアノという楽器は、打鍵の質や豊かな色彩によって、そのことを明確に示せるの。ピアノはバッハにとって完璧な楽器だと思う。ところが純粋主義者はこう言うのよ。「うーん、でもね、バッハが生きていた時代には、このような楽器はなかったわけで」 それは問題じゃないの。問題になるのは、その音楽がどういうものかということ。たとえばショパン、彼のピアノ曲を取り上げて、別の楽器で弾いたりしたら、その曲は即座に死んじゃうわよね。それはショパンがピアノのために書いた曲だから。他の楽器には移せない。でもバッハの音楽はそうじゃない。彼の曲は100万通りに変換できる。
BD:この問題をもう一歩進めて考えてみましょう。われわれはストコフスキーのバッハのオーケストレーションを、また聴いてみた方がいいのか。
JT:(両者、笑)いいえ、でもうまくやっている人たちもいるわ。
BD:長い間、バッハを聴く唯一の方法だったですよね。1930年代に育った場合、ストコフスキーによる巨大なオーケストレーションによるプレリュードやフーガを聴くことになった。
JT:そうね、バッハの曲はいろいろな楽器に移行できる。ほんとそうなのよね。でもピアノがバッハにとっては最高だと思う。完璧といっていい。
BD:ジョーン・タワーは他の楽器に移行可能なのかな?
JT:バッハのようにはいかない。わたしの音楽は色彩にかなり縛られている。ショパンはピアノでしか演奏できないと言ったけど、ベルリオーズのオーケストレーションをピアノに移行するのも無理ね。即座に死に絶える。それはオーケストラの色彩に負うところが大きいから。わたしの音楽はその中間のどこかにあると思う。そこまで極端ではないという意味で。
BD:音楽の真の目的とは何です?
JT:難しいわね。わたしにとってはあまりに当たり前すぎて。その質問は、わたしのここまでの人生を定義しろと言ってるようなもの。ある意味、人によってそれぞれ違うものだと思う。わたしが言えるのは、自分の音楽でわたしが何をしようとしているか、ということかな。わたしがしようとしてるのは、音による風景を振りつけることで、それが聴く人に、感情や直観として、形式として届くこと。「形式」というのはこの風景を一つのものと感じられること。
BD:曲をつくるのは楽しいこと?
JT:いいえ、全然。大変な仕事よ。すごくきつい。楽しいのは、曲が演奏されるとき。それは楽しいことよ。
From "Joan Tower: Instrumental Music" 2005年、Naxos
ビオラ:Paul Neubauer (original data: 7:17)
From "Joan Tower: Instrumental Music" 2005年、Naxos
ビアノ:Ursula Oppens (original data: 3:49)
BD:あなたは教えることもしている?
JT:ええ、してますよ。1週間に1回、ニューヨークから北へ2時間ほどいったバード大学で作曲を教えてる。
BD:作曲というのは、実際のところ、教えられるものなんですか?
JT:いいえ、できないわね。わたしにできるのは環境を整えること、それが学生の助けになるので。バード大学では、わたしの演奏グループ(ダ・カーポ・チェンバー・プレイヤーズ)を在留音楽家として招いていて、学生には彼らのために作曲をさせている。そこに他の生徒も参加させて、『展覧会の絵』みたいな作品をオーケストレーションしたり、他の作曲家のピアノ作品をオーケストラ曲にしたりしている。学生たちは、他のオーケストラ・バージョンを聴くことなしに、自分のやり方でオーケストラにしている。
BD:でももうすでに聴いてしまっているのでは?
JT:いいえ、今話してるのは初心者のこと。こういう音楽にまだ晒されていない子どもたちのこと。仮に聴いたことがあったとしても、特にこれを聴いてきたということではないから。
BD:『展覧会の絵』のことをあなたは言いましたけど、誰もが一つや二つはオーケストラ版を聴いているんじゃないでしょうか?
JT:今はこの曲にしろ、他の曲にしろ聴いたことがない子どもはたくさんいるの。
BD:作曲家になろうっていう子どもはたくさんいるんでしょうか。
JT:うーん、いないわね。演奏家になろうって子はたくさんいるけど。仕事を得られるかどうかで見るなら、演奏家になりたい人の数は多すぎると思う。実際のところ、作曲家になろうという人は少ないわね。
BD:自分の作品を発表したい新人作曲家はたくさんいそうに見えますが。
JT:そういう風には見えないけど。わたしがそういう見方をしてないのかもしれないけど。ただ彼らにはたくさんのチャンスがあるとは思えない。オーケストラでクラリネット奏者の欠員が1人出たら、200人の応募者があらわれる。そういう割合になることは、作曲家の世界にはないわね。
BD:音楽の未来に対して、楽観的ですか?
JT:クラシック音楽とポップミュージックの間に、もっと結びつきが増えていくべきだと思う。クラシックをもっと現代の枠組の中に引き入れるためにね。そしてポップミュージックをもっと洗練された枠組の中に引き入れるためにも。
BD:つまり、あなたはその両方を動かしたい?
JT:そうね。両者を少しでも動かしたいわね。それが起きるとして、かなり長い道のりが待ち受けてるでしょうね。
BD:「ロック」は音楽でしょうか?
JT:そうね、ロックは音楽としてとてもよくやってる。そうあるべきだし。
BD:そのことがロックを音楽にするんでしょうか?
JT:ええ、そう、そのとおり。ロックは音楽の形をもってると思うし、とても生き生きした音楽の形態でもある。今はやってるすべてのロックを知ってるわけじゃないし、実際、ロックに詳しいわけでも全然ない。唯一ロックとの繋がりと言えば、踊るのが大好きだっていうこと。わたしは南アメリカで育ったでしょ、だからダンスがほんとうに好きなの。ロックを耳にした途端、わたしは立ち上がって踊りたくなる。そこには強いビートがあるからよ。わたしは聴くのをやめて、立ち上がって踊るわけ。それが大きな問題で、その途端、もう何も聞いてないからね。
BD:ただ感じてるだけ。
JT:そういうこと。
Purple Rhapsody(2005) Composed by Joan Tower
League of Composers Orchestra, with assistance by Manhattan New Music Project (MNMP)
BD:最初の方で触れましたけど、聴衆というのは街によってどれくらい違うものなのか。保守的とか進歩的というのは別にして。
JT:すごく違うわね。ミネアポリスはニューヨークとはすごく違うし、ニューヨークはセントルイスと全然違う。セントルイスはトゥーソンと違うし、トゥーソンはアルバニーとまったく違う。この違いっていうのは、とても面白いこと。健全なことだと思う。エネルギーのレベルも違うし、冒険心のレベルも違う。保守性のレベルも違ってる。
BD:一つの街で、交響曲を聴きにくる人々と、室内楽を聴きにくる人では違いがある?
JT:交響曲を聴きにくる聴衆は、ある意味、保守性が強い人たちかもしれない。ドレスアップしてやって来るし、富裕層に属してたり、中、上層部の人たちだと思う。その街のある特別な層でしょうね。ただわたしが今話そうとしてるのは、純粋なエネルギーのことで、音楽に対する個人的な反応のこと。それはとても違いが大きい。
BD:もしあなたが同じプログラムを何晩かやるとして、そのときのエネルギーというのはその晩その晩によって違うのか、それとも昼にやるマチネーだと変わるのか?
JT:街によってそれは大きく変わると思う、オーケストラはこう言うでしょうね。「ああ、あなたは土曜日の聴衆が気に入りますよ。彼らは大変熱心ですよ。それに比べて金曜日の聴衆は鈍くて受け身ですね」 確かにパーソナリティの違いはある。いつも露骨にそれを感じるわけではないけど、あることはある。あとはどこの街でも、オーケストラのコンサートには年配の女性客がたくさんいるわね。
BD:その人たちにはなかなか通じにくいことがある?
JT:いいえ、、、街によるわね。シンシナティに行ったんだけど。あそこには素晴らしいオーケストラがあって、そこの女性が、コンサート前にレクチャー(及びレセプション)を設けてくれたの。100人くらいの60代の女性たちが席についていたわね。雪の降った草原のような光景だった。聴衆の中に一人だけ男性がいた。司会者はなかなかのやり手だった。彼女は政治集会で音頭をとるような人物だったの。こう始めた。「次に話す方をご紹介します」 そしてわたしの経歴を披露したの。一つの間違いも犯さずにね。彼女はわたしを招いたことで興奮してた。それでこう始めたの。「今日、ここに初めて、、、」 で、わたしはこう続くだろうと予想した。「女性の作曲家をお招きしました」とね。ところがこう続けたの。「作曲家の方をお招きしました」(両者、笑)わたしは「おーー!!」となったわね。でも彼らは素晴らしい聴衆だった。エネルギーに満ちて、わたしの言ってることに同調してた。とても音楽的で、訓練された耳をもっていた。わたしがちょっと弾いてみせたとき、いかに彼らが高いレベルで聴いているかがわかった。だから違いはあるものよ。ある場所に行って、そこでは自分の話がまったく通じてないっていうこともある。
BD:あなたは女性作曲家と言われたいか、それとも単に作曲家と言われたいか、どっちです?
JT:自分の行くコンサートには、女性の作曲家がいないことに気づいてない人たちもいると思う。そいうことがあるから、わたしは「女性作曲家です」と紹介されるのがいいと思ってる。「女性の作曲家がいるって聞いたことある? そうだな、考えてみればないね」 これって人々の認識にとって大切だと思う。そのことを除けば、音楽は音楽そのもの、自分が女であることは音楽に何も影響しないわね。
BD:女性作曲家であることで、差別があったことは?
JT:いいえ、ないと思う。一般論としては、作曲家に対する差別はいっぱいある。女性であることは、その中では一番下にある問題かな。その位置においても小さなものよ。
BD:ルイーズ・タルマやミリアム・ギディオンのような女性の作曲家に対して、恩義とか感謝の気持ちはお持ちで?(両者とも1906年10月生まれ)
JT:ええもちろん。ルイーズもミリアムもよく知ってる。彼らの音楽はよく演奏してる。それは彼らが優れた作曲家だからということと、彼らには励みが必要だからね。今も活動してるでしょ。ダ・カーポが演奏したレコードがあるのだけど、とても誇りに思ってる。わたしたちの演奏グループのための二つの依頼作品があって、一つはルイーズの作品、もう一つはミリアムの作品なの。それぞれのLPの裏面には(著名な)コープランドとカウエルの短いささやかな「小品」が収まってる。(両者、笑) とても光栄に思ってる。わたしはコープランドの信望者なの。『Fanfare for the Uncommon Woman(非凡な女のためのファンファーレ)』をわたしは書いたけど、それは彼の『Fanfare for the Common Man(平凡な男のためのファンファーレ)』からの発想なの。ルイーズとミリアムはコープランドと同世代で、作曲家仲間なんだけど、二人が彼ほどの扱いを受けてるとは思えない。コープランドは彼女たちを大きく超えた才能の持ち主ではあるけれど。でも彼女たちと同じくらいのレベルの(男性)作曲家たちの中に、もっと注目度の高い人はいるのよね。だから彼女たちの曲をレコードにしたり、たくさん演奏したりしてることに誇りをもってる。彼女たち年長の作曲家たちは、とても苦労してきたんだから。
BD:なるほど。ギディオンやタルマがあなたの先鞭をつけてくれたように、あなたも未来の女性たちの先導役になるんでしょうか?
JT:エレン・ツウィリッヒとわたしは、その道を築いていると思う。中でも交響曲においてね。
BD:あなたとエレンは、いわばあなたの世代の「ミリアムとルイーズ」ってことかな。
JT:そうね、おそらく。そう言っていいと思う。エレンとわたしは今も新たな道筋を築きつづけている。とてもいいことよ。女性たちにいくつもの道を開くことになるから。作曲をする女性たちがいるんですよ、これが彼女たちの作品、レコードを手にすることもできますよ、と人々に伝えることができる。こういうことはとても大切なの。偉そうに聞こえたらこまるけど、他の女性たちのために何かすることに幸せを感じてるの。わたしのできる範囲のことで、女性たちを手助けしていきたい。
BD:で、それはうまく進んでいるんですか?
JT:やろうと努力してるけど、受け身になってる女性もたくさんいるから。「誰が私の作品なんか聴いてくれる? そこまで私は才能ないし」という風に言う人たちもいる。作曲家たちの会議や集まりで、そういう人たちがたくさんいることに気づいたの。
BD:男性作曲家たちは気づいてない?
JT:そうね、彼らはこういうことを言って広めたりしない。もし感じてたとしても、それについて触れないわね。でも女性の方にも問題がある。お手本になるような人を彼女たちはもってないからね。もう死んだ作曲家の中に女性がいないのも問題。そして自分たちが属する社会の中に充分な支援の仕組がない。「ちょっと、これをやってよ。あなたにこれをやって欲しいんだ」そう言ってくれる人がいないの。だからみんな自分で道を築かなくちゃいけない。それをやるだけの強さをもたない人たちもいるし。
BD:作曲家になるには、相当な粘り強さや執着心が必要では?
JT:それはそう。それに加えて「頼む、わたしのために一つ曲を書いてくれないか」と言ってくれる人がいなかったら、それは気落ちするよね。
BD:でもあなたはそういう問題がなかったのでは?
JT:そうね、わたしに関しては、ちょっと事情が違うの。わたしは演奏家として仕事をしてたから。そして自分の演奏グループをつくってた。演奏家をどう扱ったらいいか学んでいたし、知り合った演奏家たちとの関係を発展させて、ネットワークができていた。だから自分のスコアを手にどこかに行って「わたしの曲を演奏していただけないですか」と頼まなければならないことがなかった。かなり違う道筋ね。演奏家たちがやってきて「曲を書いてもらえないだろうか」と言ってくれる。わたしはグループで演奏することを追求してきたの。それは自分の曲を聴きたいからだし、自分でも演奏したいから。演奏と作曲、その両方をしたかった。
BD:グループというのは、あなたが学校を卒業したあとにつくったものなのか、音大時代にできたものなのか。
JT:ベニントン大学を出てから、ニューヨークに行って、セツルメント・ハウスで教えてたの。わたしは現代音楽のシリーズ・コンサートを企画して、ニューヨークで一緒にやれる最高の演奏者と活動することができた。資金を調達して、そういう演奏家たちによってダ・カーポを結成した。ダ・カーポは独立した室内楽演奏集団になった。
BD:どうやって始まったのかな、と思ったんですよ。スティーブ・ライヒも同じようなことをしてるけど、彼の場合は学校で初めてるから。彼はそのグループを続けてきた。
JT:そうそのとおり。わたしたちは彼の作品の初演もしてるの。スティーブにこう言ったわ。「あなたは今も自分のグループと一緒なのね」 そうしたら彼はこう返してきた。「ああ、そうだよ、車椅子に乗るようになるまで一緒にやるんだよ」 わたしは2年前にグループから離れた。でも彼のグループとは大きな違いがあるの。わたしの演奏グループの人たちは名人芸揃い、すごく演奏に長けてる。で、もっともっと大きな楽曲に挑戦したくなったわけ。わたしの方は、ピアニストとして、もっと小さな、小さな小さな楽曲がやりたくなった。で、冗談みたいなことが起きた。「あのさ、ぼくらあの曲はできないよ、ジョーンがすべての音を弾きたがるからさ」(両者、笑)で、彼らにこう言ったわ。「よくわかったわ、ピアニスト見つけてきた方がいいわね」
BD:それであなたはグループを離れて、彼らは新しいピアニストを連れてきた。
JT:そのとおり。彼らは技能の高いピアニストを連れてきた、早弾きもできる人よ。でもスティーブの場合はまた別。彼の技能はグループに影響しないの。違う種類の音楽だからね、いわゆる技能を必要としないの。彼の演奏をみくびってるわけじゃない、違う種類の技術が求められているから。彼のやっていることにも、たくさんの技術が必要とされている。だけどハノン(ピアノの指練習のための教則本)を毎日1時間やらなくちゃいけないような技術じゃないの、わかるよね。(両者、笑)
BD:あなたが作曲家でいてくれて、感謝してますよ。
JT:あら、わたしもあなたの質問に感謝するわ。なかなか面白い質問だったからね。
ジョーン・タワー | Joan Tower (つづき)
タワーは最初のオーケストラ曲である交響詩『セコイア』(1981年)で世に名を知られるようになり、その後も様々な器楽曲をつくり続けている。中でも『Fanfare for the Uncommon Woman』は、アーロン・コープランドの『Fanfare for the Common Man』への応答として知られる。
タワーは1990年、『Silver Ladders』で、女性で初めてのグロマイヤー賞(作曲部門)の受賞者となる。1993年には、ピューリッツァー賞(作曲部門)の最終候補に残る。また2008年には、『Made in America』のナッシュビル交響楽団のレコーディングでグラミー賞3賞(作曲、アルバム、オーケストラ演奏)を受けている。<ページトップへ
ディスコグラフィー:ジャケットをクリックすると、試聴ページに飛びます。
Tower: Violin Concerto, Storke & Chamber Dance (2015)
Made in America (2004)
Tower: Sequoia (Recorded 1982)
New York Philharmonic & Zubin Mehta
Joan Tower: Silver Ladders, Island Prelude, Island Rhythm......(2004)
翻訳プロジェクト