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シカゴのブロードキャスター、ブルース・ダフィーが聞く

This project is created by courtesy of Bruce Duffle.

(5)

ルイーズ・タルマ  * louise talma

Talma portrait02_edited.png

From the book cover, Louise Talma: A Life in Composition

Published in 2014 by Routledge

ルイーズ・タルマ | Louise Talma

 

ピアニストの父、ソプラノ歌手の母(ともにアメリカ人)のもと、フランスに生まれる。ニューヨーク市育ち。コロンビア大学で化学を、ジュリアード音楽院の前身Institute of Musical Artsでピアノと作曲を学ぶ。フォンテーヌブロー(フランス)にあるAmerican Conservatoryで、ナディア・ブーランジェに作曲を学んだことがタルマを作曲家への道へと導いた。オペラ『The Alcestiad』(ソーントン・ワイルダー戯曲による)は、ヨーロッパの主要歌劇場で上演された、アメリカ人女性作曲家初めての作品。(1906~1996年)

*出生についてはアメリカの音楽学者ケンドラ・プレストン・レナードが、2014年出版のタルマ研究書で、いくつかの疑問を投げかけている。上記の記述は一般的に公表されているものの一つ。

(the original text of the interview in English)

20世紀初頭生まれの草分け的女性作曲家の一人、ルイーズ・タルマ。コツコツと着実に作品をつくりあげ、素晴らしい成果をあげて世にその名を知らしめ、あとに続く人々に大きな勇気を与えました。(葉っぱの坑夫)

ここで話された話題 [マクドーウェル・コロニー/ナディア・ブーランジェとの出会い/平均値は1日に4小節/締め切り嫌い/ソーントン・ワイルダーとの仕事]

このインタビューはブルース・ダフィーのサイトからの翻訳です。

 

<1986年3月1日、電話によるインタビュー>

 

あらゆる人にとって、中でも今の人たちが、新しいものやこと、重要なものはすべて最近起きたと考えるのはよくあることです。それに従っていけば、「最近」というのは、どんどん先へと進んでいきます。であれば前の時代を生きた人々が、忘れ去られたとしても、あるいは先駆者だったことが思い返されることがなかったとしても、驚くにはあたりません。

 

1970年代後半に、音楽家たちとのインタビューをはじめたとき、シカゴにやって来た人たちだけに焦点をあてるのではなく、ここまでやって来ない人も、あるいは旅程に「風の街(シカゴ)」を入れてない人も含めることにしました。まず意識的に、昔の人々を探そうとしました。そうすれば話しを聞く機会を失うことにならないでしょう。ちょっと無神経に聞こえるかもしれませんが、それを実行したことで、彼らが生きている間に会う機会がつくれました。

 

ルイーズ・タルマはそういった特別な人々の1人です。約1世紀前(詳しく言えば1906年10月31日)に生まれ、89年の人生を送りました。その間、彼女はゆっくりと着実に仕事をし、音楽の風景の中に、重要な足跡を残しました。ルイーズ・タルマは、いくつもの「最初の」を成した人物でもあります。また彼女はいくつかのレコーディングでピアニストをつとめてもいます。

 

わたしは彼女の80歳の誕生日を祝いたいと思い、1986年3月1日に電話をかけました。その結果が以下のインタビューです。このインタビューの日程は、彼女のマクドーウェル・コロニーでの仕事のため、少し変更されていました。ですからまずはそのことから話をはじめました。(ブルース・ダフィー)

インタビュー冒頭

ブルース・ダフィー(以下BD):マクドーウェル・コロニーでの仕事について教えてください。

 

ルイーズ・タルマ(以下LT):わたしは人生の半分くらい、このコロニーと一緒にやってきたんです。実質的にプロの作曲家としての仕事は、ここの恩恵によるものでね。わたしは当時若いとは言えず、でもまったく世の中に知られてなかったし、一度も作品の検証を受けてない人間だった、で、マクドーウェルの人々が、わたしを受け入れてくれたんです。これがわたしとマクドーウェルの今日までつづく長い協働の始まりだったわけ。ここでたくさんの友人関係をつくったし、仕事上の結びつきはもちろん、その後のあらゆる活動を可能にした場所がここなの。だからマクドーウェル・コロニーにはとても愛情を感じていて、この夏にまた行くことになってます。二つの依頼作品があって、それをやることが大きな楽しみになってますね。

 

BD:マクドーウェル・コロニーの目的というのは何なんでしょうか?

 

LT:芸術の世界にいる人々に、具体的には作家やあらゆる種類のビジュアル・アーティスト、画家や彫刻家、作曲家、そして今は映像作家もね、そういう人々に、作品づくりに専念する場所を提供することよ、義務も見返りもなくね。1日に3度、素晴らしい食事が提供されて、自分のしたいこと以外何もしなくていいの。三つある居住棟のどこかに自分の部屋をもって、さらに互いに見えも聞こえもしない場所に、個々のスタジオがあるの。森と草原に囲まれた400エーカーの敷地で、最大32人を収容できるようになってる。冬は20人くらいかしらね。

 

BD:ではあなたはそこで、自然に囲まれて、完璧に人里離れている感じで?

 

LT:そのとおり。もちろん夜になれば、もしそうしたければ、仲間のアーティストたちと交流したり、ゲーム室でビリヤードをしたり(わたしはこれが大好き)、ピンポンでも何でもしたいことができる。楽しい会話もあれば、友だちづくりもできるしね。だからとても理想的な環境なの。なんの義務もないわけで、別にこういうことに参加しなくてもいいのよ。一日中でも、一晩中でもスタジオにこもっていたければ、それが可能なの。つまり楽園みたいなものね。

 

BD:人里離れて仕事することは、そんなに重要なんでしょうか? ニューヨークのスタジオで仕事するよりもずっと?

 

LT:それは絶対にそう。ニューヨークでは、電話や郵便でしょっちゅう邪魔がはいるでしょ。毎日それは必ず起きるから、やろうと思ってたことがかなり中断されてしまうの。あと音もあるしね、近所の知り合いとの関係とか、自分がかかわることで邪魔されるの。だからこういうもの一切から離れられて、まわりを気にすることなく音を出したり、声をあげたりできるのは、ほんとうに素晴らしいことよ。わたしの作品の多くはあそこで書かれたわね。

 

BD:癒される場所という感じもしますね。あなたは静寂と孤立の中で最高の仕事ができると。

 

LT:わたしにとって欠くことのできないものよ。やらなくちゃならないときは、どこででもやるけど、でも圧迫感はあるわね、いろいろな邪魔が入って、特に電話よ。あ、この電話はのけてね、だってこれは約束の上だから。(両者、笑)

Soundshots - Piano by Sahan Arzruni
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From "Childhood Memories: Music for Younger Pianists"

2002年、New World Records 「ぶらんこ」「アヒルの二重唱」「なわとび」(Soundshots 全20曲より)

子どものためのピアノ曲集で、楽しい表題をつけた1分前後のごく短い曲ばかり収録している。上のサンプルの他「二人ずつやって来た」「走れ、うさぎ、走れ!」「ポニー急行」など。(このページにCDの紹介あり)

BD:あなたはナディア・ブーランジェ*のところで学びましたよね。どんなことを特別に学んだんでしょうか?

*ナディア・ブーランジェ:フランスの作曲家、指揮者、音楽教師(1887~1979年)。20世紀の名だたる作曲家や音楽家を教え、育てたことでよく知られている。

 

LT:特筆すべきことはね、彼女は、わたしに作曲の才能があると認めてくれた最初の人だということ。そう彼女は言ったんだと理解したときは、面食らったわね。今わたしが立っている場所への道を、彼女が切り開いたわけで、それは大きなことよ。フォンテーヌブロー(フランス)で夏期講習に参加したの。戦争までの14年間、毎夏そこで過ごしたんですよ。その後は、時々だけど、彼女が亡くなる年まで通ってましたね。彼女の意見が聞きたくて、何であれ作った曲を見せに行きたかったの。彼女は絶対的に信頼できる耳の持ち主だったからね! それに彼女はね、わたしが自分でも気づいてる場所、直すべきところに正確に指をあててくるわけ。そして最後に作品を見せに行ったとき、それはミュージカル・ヘリテイジ・ソサイエティの録音のための1曲だったんだけど、曲の最後のところのテノールの部分を指してこう言ったの。「ちょっと簡単に終わらせ過ぎじゃないかしら?」 わたしにも、それはよくわかってた。最初に出てきたアイディアをそのまま使ってたの。そのあと何年もの間、あのとき彼女にはすぐわかったんだと思って、ずっと恥ずかしい思いをして過ごしたわね。

 

BD:これは作曲家みんなに必要なことなのか、つまり激励であるとか、作品に価値があると認められることとか。

 

LT:その人の性格によるんじゃないかしらね。ヴァン・ゴッホは生きてる間に、何の激励も得られなかったように見えるし、絵が売れもしなかったでしょ。ゴッホの弟だけが支援者だった。それだけ大変な人生だったのに、あれだけの素晴らしい作品を何百と生み出したのよね。もちろん、やっていることが認められなくて、しおれてしまう人たちもいるわけで。だから人となりによると思う。一般的に言って、友だちや仲間(特に仲間はね)が自分のやってることを信じてくれてるのは、とても大きなことよ。

 

BD:作曲を教えたことはありますか?

 

LT:作曲を教えたことはないわね。作曲は教えられるとは思わないから。作曲が人に教えられるものとは思えないのよ。小説を書くのと同じで、教えられないでしょう。商売のやり方なら教わることができるけど、想像力を提供することは無理よね。

 

BD:ということは、あなたは音楽は主として、技術ではなくてインスピレーションだと?

 

LT:いいえ、インスピレーションではないわね。もっといろいろ混ざり合ったことよ。それは、まずは、やるのが楽しいことよ。インスピレーションじゃないって言ったのは、インスピレーションを待たねばならないなら、わたしは一つの音符も書けないでしょうね。(笑)

 

BD:では何かに打たれる、っていうことじゃないんですね?

 

LT:ちがうわね、何かが起きて好奇心にかられるとか、気を惹かれるとか。キッチンでした音を聞いた、なんてことで起きたりもするの。わたしの『Thirteen Ways of Looking at a Blackbird(クロウタドリを見る13の方法)』はね、依頼作品でMHSレコードのものだったけど、キッチンでナイフとフォークをステンレスの上に落としてしまったときに、三つの音がして、それがわたしの耳を捉えた。なんでこの三つの音だったのか、別の場所で別の三つの音じゃなかったのか、わからないけど、それが音楽の始まりの火つけ役になったの、最初のフレーズよ。

 

この曲を聴けば、オーボエがこの三つの音を、1人で演奏してるのがわかる。この三つの音は、わたしがキッチンで聞いたまさにその音なの。説明しにくいことよ。何が思いがけないコンビネーションを生むか、わからないもの。ある人はピアノの前でぼんやりだらだらとやってて、あるいは何か気を惹かれるものがあって、それが曲をつくらせるかもしれない。

 

他の要素としては、誰かが何かわたしに頼んでくること、それが助けになったりもする。ある長さの曲を依頼されて、それが何で演奏されるものなのか、ピアノ作品なのか、複数の楽器のための曲なのか、あるいは合唱曲なのか、といったね、それが自分のやりたいことに枠組を与えてくれるの。もちろん、それが自分が書きたかったから書いたという作品を、それほどいっぱい作らなかった理由にはならないけど、誰かがやって来て依頼してくれることが、すごく刺激になるということはわかってるの。

 

たとえばコンティニュアムという演奏集団を知ってる? 彼らは20年間にわたって、アメリカ全土やよその国々をコンサートでまわって、2種類のプログラムをやってた。20世紀の作曲家を回顧するコンサートと、現代音楽の寄せ集めによるコンサート。それですごく成功してるの。

 

今晩、彼らは20周年のコンサートをやるの。2、3週間前に、グループを運営してるミス・セルツァーが、彼らの友人がこの記念のために書いた詩に曲をつけられるか、って聞いてきたの。わたしは仕事が早いほうじゃないし、あまりやりたくないことの一つが、締め切りがある仕事なの。だけど詩を見たときに、面白いって思ったのね、それでいいわよと答えた。やってみようとした。それで3、4日のうちに曲ができあがった。わたしの他にも4人の作曲家が同じ詩で曲をつくっていて、今晩、アリス・タリー・ホールで演奏されるわけ。

 

BD:それは興味深いですね、一つの詩を違う音楽で聞くとは!

 

LT:そうなの、参加した作曲家はみんなバラバラ、すごく違ってるの! ありがたいことにミス・セルツァーが「ソプラノとフルートでやってはどうかしら?」と言ってきたんで、「いいわね、それなら時間をかけずにできそうよ」って答えたの。さっき話したように、わたしは仕事が遅いからね。ピアノと歌だったら、もっと複雑なものになったでしょうね。彼女が言うには「ピアノとの曲はやってる人がいるし、複数の楽器とのコンビネーションもあるけど、ソロ楽器とソロの歌はないのよ」 で、それをわたしがやったの。昨日リハーサルを聞いて、演奏にとても満足したから、今晩を楽しみにしてるの。

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"Childhood Memories: Music for Younger Pianists"

2002年、New World Records

ピアノ演奏: Sahan Arzruni

エイミー・ビーチ、ロバート・ステアラー、ローレム、ダイアン・グールカジアン・ラビー、ウィリアム・メイヤー、ルー・ハリソンなどアメリカを中心とする作曲家による子どものためのピアノ曲全74曲を収録。ルイーズ・タルマは「Soundshots」のタイトルで51〜70までの20曲を提供している。タルマの曲はどれも機知とユーモアに富んだ楽しい作品ばかり。


 

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BD:あなたの曲がどんな風に演奏されるかに、たいてい満足しますか?

 

LT:その点ではわたしはとても運に恵まれてると思う。第1級と言っていい、最高のパフォーマンスばかりよ。その意味で、本当にわたしはラッキーだと思う。

 

BD:あなたは世界中で演奏される自分の曲に注意をはらってますか?

 

LT:あー、でも方法がないわね。人の口づてに聞くけれど、演奏からすごく時間がたってからのこともよくあるし。誰もわざわざ知らせてくれたり、プログラムを送ってくれたりはしないのよ!

 

BD:どこかで自分の曲が演奏されて驚くことはよくあるんでしょうか?

 

LT:そうよ、いつも驚かされてる。今の傾向として、自分のつくったものが常に人に聞かれることは期待できないから。いい環境とは言えないわね。

 

BD:それは聴衆のせい、それとも作曲家のせい、あるいは別のもの?

 

LT:そうね、両方かしらね。今世紀のあいだ、かなりの苦難があったでしょ。聴衆がわたしたちを信用しなくなる今日に至るまでに、いろんなことが難しくなって、それまであった音楽の状態から切り離されてしまった。一方で、聴衆の方は新しいものには何であれ反対したし。たくさんの人々がこう言っているのを聞いたわね。「プログラムの半分が終わるまでは行かないよ。だってアレとコレしかないからね」 バスの中で女性が、『ルル』(アルバン・ベルク*台本・作曲のオペラ)みたいなものをやってるときは、メトロポリタンに行きたいなんて思わないわね』と言ってるのを聞いたことがあるけど。聴いてみようともしないのよね! それってとても貧しい状況でしょ。

*アルバン・ベルク:オーストリアの作曲家(1885~1935年)。シェーンベルクに師事し、無調音楽、十二音技法による楽曲で知られる。

 

BD:こういうことと戦う方法はあるんでしょうか、それとも、もののわかった人が出てくるのを待つのか。

 

LT:おそらく両方じゃないかしら。もし脚本に問題があるとしたら、それは構成のせいで、わたしが音楽と呼んでるもののせいじゃない。それが状況をさらに悪くさせてるんだけど。また一方で、かたくなな心のせいで、さらに状況が悪化するわけ。どこかに行って、それが展覧会でも、本の展示でも、音楽会でも、行く前に「嫌いにきまってる」と言ってては、希望はないと思う。態度の問題よ。

 

BD:音楽は芸術なのか、それとも娯楽なのか。

 

LT:あー、それはまったくもって娯楽じゃないわね! (両者、笑)ちがうと思う。少なくともわたしの言葉の定義ではね、娯楽は取るに足りないものを含んでる。この定義は間違ってるかもしれないけど、わたしの言葉との付き合い方ではそうなの。で、音楽は人々を楽しませる目的のためにあるんじゃないの。

 

BD:楽しませちゃいけない、と?

 

LT:いえ、そう言ってるわけじゃないのよ。多くの音楽はすごくいっぱいユーモアがあって、舞台でやる劇音楽と同じように、器楽曲でもそうよ。ハイドンの素晴らしい音楽のことを考えなくちゃね、おかしな場面がいっぱいあるでしょ。音楽言語の観点からいって、とてもおかしいわけ。これはもちろん音楽言語を知ってるという前提で、どこがおかしいのかわかっているならだけど、ハイドンは曲を通してそうなの。彼は機知に富んでる人よ。だからわたしが楽しめるタイプのものを避けてるわけじゃないの! ユーモアとか機知というのは、あらゆるものの表現の一部だと思う。だけど全体として見るなら、その目的にはもっと大きなものがあるし、音楽は娯楽以上のものだと思う。

 

BD:ルイーズ・タルマの音楽にはユーモアや機知はあります?

 

LT:そういうものがある、と思いたいわね。わたしの名が知れるようになったごく初期の曲に、『Four-Handed Fun(4手の楽しみ)』というのがあって。これは5、6分の4手のためのピアノ曲で、二人でピアノを弾いて、弾いてる間いつもニコニコしてるの。だからこれは楽しい曲だと言えるわね。わたしにとって楽しいの。(タルマはこの曲のCRIの録音で、第2ピアノをつとめている。そこでは演奏時間3分13秒となっている) 最近の別の作品で、同じ(MHS)レコードだけど『Have you Heard? Do you Know?(聞いたことある?知ってる?)』という曲だけど、これははっきりと楽しめることを目指していて、演奏でも成功していると思うんだけど。

 

BD:ピアノソナタ1番の録音もありますよね?

 

LT :あれは素晴らしい録音よ。マクドーウェル・コロニーで実質的に最初の年に書いた作品なの。あなたは初期のものと最近のものと、両極が聴けるわね。もう一つ初期の作品で『Toccata for Orchestra』があって、これも同じ頃に書いたものよ。同じ年に書きはじめたか、次の年だったか。初めてのオーケストラ曲だったの。それはいいとして、もっと最近のものがよければ、最近のものもあるしね。

 

BD:だけどそれについては、そこまで夢中という風にも見えないですけど。

 

LT:あら、そんなことないわよ。とても好きよ。

 

BD:外に出したくない曲で、出てしまったものはあるんでしょうか?

 

LT:ないわよ。(笑) 紙に書き出したものはどれも、好きなな曲ばかりって言いたいわね。

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Toccata for Orchestra(オリジナルの楽譜)

BD:あなたは自分をスロー・ワーカーだと言ってます。心の中で曲想が整うのに時間がかかるのか、それともそれに手を入れて、何度も書き直すことで時間がかかるのか。

 

LT:わたしの仕事の平均速度は、1日に4小節なの。すごく少ないでしょ、その理由は本当に欲しい音とリズムを手にするのに、時間をかけて探しまわるからよ。

 

BD:だけどその4小節は正しいものになります?

 

LT:そうね、そうであって欲しいわね。最終的に落ち着いたものは、わたしにとって正しいように見える。だけどびっくりするほど時間がかかって、とてももどかしくイラつくわね。だって作ってたら、あの音もこの音もダメってわけだから。どうしてそれがわかるか聞かないでね、でもわかるの! 探して探して探して、オクターブの中でいろんな音を試してみて、どの音もぜーんぶダメって!(笑) フレーズの中のリズムの要素によるものだってことがよくあるの。リズム的にある場所が間違ってて、それを直すとぴったりこなかった音が大丈夫になるの。わたしには何故なのかわからない。作曲を教えようとしない理由の一つはここにもあるわね。なぜそうするのか、なぜそう変えるのか説明ができないわけ。

 

BD:トランス状態になることはない?

 

LT:あー、それは絶対ない、ないですよ。さっき娯楽について聞かれたとき、思ったのは、「曲を望んでるところに全てを収めることは、なんて厳しい、大変な仕事なんだろう!」ということ。作曲はすごく大変な作業だわね。さらには、最終的に書き上げて、清書して、印刷にまわして、パート譜にしてという、恐ろしい苦役がつづくわけ。わたしが事務的な作業と呼んでいるあらゆること、それが最悪なの! その中でも最悪なのは校正だわね。わたしはそれがすごく苦手、白状すればね。

 

BD:あなたは記憶によって校正をするのか、それとも草案から?

 

LT:いいえ、わたしは最初の草稿から、つまり鉛筆書きのラフ・スケッチからするの。これが耐え難い作業でね、いつも何か見落とすわけ。

 

BD:教えたくないと言われたけど、S.A.I.*の裁定をしてませんか?

*SAI(Sigma Alpha Iota)は、ミシガン音楽大学の7人の女子学生によって、1903年に設立された国際的な音楽友好会。アメリカ及び世界の音楽の質を高め、発展に寄与するための女性による組織。

 

LT:ええ、たしかに。

 

BD:作品を評価するとき、何を求めます?

 

LT:やっぱり、それは質でしょうね、それを定義することはできないけれど、耳で聴けばすぐにわかるものよ。音楽的に優れているかどうか。でもそれを定義しろって言わないでね!(両者、笑) だけどあるシステムのもと、作品としてまとめられたように見えるものについては、うまく反応できない。音楽は自然発生的につくられたみたいに見えることが必要で、だけど実は何度も何度もやり直してできたものなんだけど、わたしの場合はそう。でも苦労して何度もやり直したように、聞こえてほしくはないわね。だけど音楽として何がわたしの心を打つかは、言葉で言い表せない質に関係してると思う。頭の中でただ統合されたものじゃなくてね。

 

BD:あなたは「何度も何度も直して」と言いながら、音楽はそう聞こえてほしくないと?

 

LT:そうよ、絶対にね!

 

BD:とするとこれは演奏者がとおる道と同じですね、練習室で、あるいはリハーサルで、何度も何度もあるフレーズを練習するという。だから演奏されるとき、今生まれたみたいに聞こえるんでしょうか?

 

LT:そう、そのとおり。ベートーヴェンの一つのテーマのために書かれた何百ページにもわたるノートを見れば、たとえば『田園』は、とても生き生きしてる曲よね。だけど60ページくらいの試行錯誤があるわけ。あるいはピアノソナタ『熱情』の最終稿。わたしは幸運にもその複製をもってるの。エンディング部分の数ページには、大きなばってんがいっぱい書きなぐられていて、でも音符を覆い隠してはいないから、ちゃんと読めるの。それは完全に無効なわけ。もちろんその後で、彼はわたしたちが知る壮大なエンディングを書いたわけだけど。作曲に関するレクチャーをしたとき(レクチャーをすることはあるの、でも教えてはいない)、『熱情』の最終章を二つの終わり方で弾いてみせた。ベートーヴェンが最初の草稿で書いたエンディングを弾いてみせたところ、誰も信じられないようだった。なんて面白いことだったか、たいしたレッスンよ。

 

BD:ベートーヴェンに教わってるみたいな?

 

LT:まさに、そのとおり! ノートは、何がどう進んだかを見せてくれる、最高の素材なわけ。

 

BD:作品は紙に書き出す前に、頭の中にすでにあるんでしょうか。それともルイーズ・タルマのノートというものが書かれているのか。

 

LT:いいえ、ノートはないわね、でも両方の要素はある。よく気づくことがあるんだけど、眠ってる間に、ことが進んでるの。前の日にうまく収まらなかったことが、夜中に目が覚めて、あるいは朝起きると、ちゃんと整ってるわけ、そこにね。どういうことなのか、わたしにはわからないけど。

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The Ambient Air: III. Creeping Fog

Talma: The Ambient Air - Soundshots - Full Circle
2005年、Naxos

アンバーチェ室内管弦楽団

録音: 2004年4月 ロンドン、ケンティッシュ・タウン、セント・シラス教会
 

Diana Ambache(指揮, ピアノ)
Martin Outram(ヴィオラ)
Gabrielle Lester(ヴァイオリン)
Judith Herbert(チェロ)
Daniel Pailthorpe(フルート)
Jeremy Polmear(オーボエ)
Paul Sperry(テノール)

 

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BD:曲を書いているとき、それを演奏する人の技術や問題になりそうなことを意識しますか?

 

LT:それはあります、誰が演奏するかわかっているときにはね。たとえばS.A.I.が75周年記念の曲をわたしに依頼してきたとき、1970年代の後半だったと思う。女性コーラスと小さなオーケストラのための曲と知ってました。コーラスはプロではくて、S.A.I. のメンバーの人たちによるもので、あちこちから集まってくる人たちだとわかってた。まずは彼らがいつも一緒に歌っている仲間ではないということ、さらにはリハーサルの時間があまりないということ。もちろん、難しい部分をやわらげる必要もあったし、初見で歌えるようにする必要もあったから、書くときにそれを大いに考慮したわね。はっきりしたゴールがあるという点で、面白い状況だった。ひとたびゴールが決まれば、あとは集中するだけよ。

 

BD:だけど火曜日から3週間で、といったゴールは好きじゃないんでしょう?

 

LT:そうよ、2回しか締め切りのある仕事はしたことないわ。今晩のコンサートのものが2回目。もう一つはもっと大変なもので、ミルウォーキー交響楽団のための大きなオーケストラ作品だった。あれはすごく辛かったわね。ある日時までに曲を渡さなくちゃならないというプレッシャーに、固まってしまった。他の人たちはまったく違う反応を見せたりするけど。刺激剤になるらしいわね。

 

BD:依頼を受けるとき、向こうは「1曲欲しいんですよ、出来上がったら練習をはじめますよ」って言うでしょう。

 

LT:そうね、たいていは。ポール・スペリーが姪の21歳の誕生日のために曲を依頼してきたの。彼女はオーボエ奏者で、ポールは詩を指定してきた。「姪と一緒に何かやりたいんだけど、『Thirteen Ways of Looking at a Blackbird(クロウタドリを見る13の方法)』をオーボエとテノールとピアノ用に編曲してくれないかな」って言ってきた。もちろん誕生日その日じゃないとダメということではなく、その日あたりにということ。だから本当の締め切りではなかった。だけどミルウォーキーの場合は完全な期限付きだったわね。

 

BD:あなたは曲を書き終えるのにどれくらいかかるか、前もってわかるんでしょうか?

 

LT:さっきも言ったように、わたしの平均値は1日に4小節なの。調子のよくない日は、それ以下よ。

 

BD:だけど曲が何小節になるか、あらかじめわってるんでしょうか?

 

LT:曲の所要時間が決まってるときは、わかりますよ。

 

BD:ストップウォッチをつかって書いてるんじゃないでしょ???

 

LT:あー、あなた驚くわね。ストラビンスキーからとても面白いやり方でそれを学んだの。フォンテーヌブローで彼は2夏、とてもためになるセミナーをやってそれにわたしは参加したの。一度彼の家でやったとき、デイヴィッド・ダイアモンド*がクラスにいて、大きなオーケストラ曲を持ってきていてね。話がそれるけど、彼はピアノを弾かないの。で、わたしたちはストラビンスキーの小さなスタジオにいて、そこにはアップライト・ピアノがあって、ナディア・ブーランジェがいたわけ。で、彼女がこう言った。「彼はピアノが弾けないけど、わたしが弾くわ」とね。それで彼女は32のパートのオーケストラ譜を前にすわって、ピアノに合わせて音を減らしながら弾いたの。そういうことができることで、彼女は有名だった。ストラビンスキーはびっくりしてたわね。そしてこう言ったの。「前にこのスコアを見たことはないんだろう?」 で、彼女はこう答えた。「ないですよ」 何であれ初見で弾いてしまう人なの。

*デイヴィッド・ダイアモンド:アメリカの作曲家(1915年~2005年)。国内外で多くの受賞歴があり、ジュリアード音楽院で教鞭をとっていた。

 

BD:管楽器の移調すべてをやりながら弾いた?

 

LT:そう、もちろんよ! 基本の技術だったわね。誰もそんなこと聞かない。コンセルヴァトワールではやらされるし、誰でもできることなの。パリ・オペラ座のピアニストはみんなそうだし、言うまでもなく、指揮者のブーレーズ、その他誰でもそうよ。で、デイヴィッド・ダイアモンドのスコアのある部分にホルンのフレーズがあって、ストラビンスキーがダイアモンドに言ったの。「いいかな、君はここで、これこれの速度で、たくさんの小節をつかってる。時間がかかりすぎるね」とね。その計算の素早さといったら。そして「スコアの中のあの部分で出さねばならない効果を生むには、ここは時間が足りてない」 それを聞いて、わたしはびっくりだったわね。実は、ストラビンスキーはメトロノームの速さに還元して言ってたの。これが自分の仕事に応用したこと。わたしの手書き楽譜では、2、3小節ごとに何秒かかるか、何分かかるか、始まりのところから時間が記してあるの。わたしはこの時間の経過に注意を払っていて、締め切りがあればなおのことそう。 

 

BD:では演奏者には時間を無視してほしくない?

 

LT:えー、そうね。わたしがガッカリすることがあるとしたら、彼らがメトロノームの速さに注意を払わなかった場合よ。音楽の性格を変えてしまうからね。

 

BD:もし演奏者が「窮屈に感じるんですけど」と言ったら?

 

LT:それは全く認められないわね! それは演奏者の領域外のことよ。楽譜を実行するのが演奏者の仕事でしょ。楽譜にあることを演奏するために、そこにいるんであって。楽譜にどう書かれるべきか、指示するためじゃないの。

 

BD:ではあなたは、演奏者に楽譜に対して、完全な服従を期待する?

 

LT:ええ、完全にね!

 

BD:聴衆には何を期待します?

 

LT:心をひらいて、意欲的に聴くこと。聴く人は自分の好きなように聴けるの。どうであれ、わたしは、彼らが何を好むか指示する立場にはないしね。だけどこの二つのことを期待はするわね。

BD:自分の音楽が好かれることを望みますか?

 

LT:えー、もちろんよ! 結局のところ、ある種の関係性をつくろうとしなければ、誰かと何かをやりとりする意味はないでしょう。

 

BD:わたしはこのことに関心があるんです。ちょうど2、3日前にピエール・ブーレーズと話をしたばかりで、彼が言うには、音楽に期待するものは妨げだと。彼はあらゆる音楽が妨げになることを期待するって。

 

LT:わたしの考えとは違うわね。聴く人に素晴らしい体験をしたと感じさせるものだと思うけど。

マクドーウェル・コロニー
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Louise Talma

MacDowell’s Phi Beta studio in 1991.

Photograph by Jo Morrissey

1943年~1995年までの43シーズンをマクドーウェル・コロニーで過ごしたタルマは、ここで多くの主要作品を書いた。

 

マクドーウェル・コロニーは1907年、作曲家エドワード・マクドーウェルの妻、マリアン(ピアニスト)によってニューパンプシャー州に設立されたアーティストのための施設である。アーティストが静かな環境に一定期間住み、作品制作に打ち込むことを目的としており、約7700人の有名無名のアーティストを擁してきた。

 

音楽家の他に、画家や建築家、映像作家、劇作家、詩人などが自分専用のスタジオで仕事をし、その中からピューリッツァー賞、グッゲンハイム・フェローシップ、ローマ賞など数々の名だたる賞の受賞者を多数輩出した。

MacDowel Colony

https://en.wikipedia.org/wiki/MacDowell_Colony

BD:ではいくつかの他の仕事についてお聞きします。オペラ作品についてなんですが。これまでに書いたのは『The  Alcestiad』だけですか?

 

LT:ええ、そのとおり! 制作も含めると7年間もかかったのよ。わたしにはこの先7年はないわね! 『ニューグローヴ世界音楽大事典』をもってる?

 

BD:ええ、第20版をもってます。

 

LT:今のところ、とても良くできてるわね。何年か前の編集だから、直近のことまでは触れられてないけど、でも『The  Alcestiad』について書かれていたわ。フランクフルト歌劇場で上演されたことが書かれてるかどうか、知らないけど。

 

BD:ああ、ありますよ、さらには、ヨーロッパの主要な歌劇場で初めて上演される、女性作曲家の作品であることも(注:第20版では書かれていないが、アメリカ音楽のニューグローヴの第4版には、「アメリカの」という言葉を添えてある。他にも彼女の「初めて」が両方の版に記されている)。

 

LT:最初の「アメリカの」女性でしょ、その前にええっと、イギリスの女性作曲家で、、、

 

BD:エセル・スミス?

 

LT:そうそう。彼女は「スマイス」って自分の名前を言ってるわね。そうなの、彼女は大きなオペラを書いてるわ。素晴らしい作品でもあるし。彼女のような作品をわたしは聴いてきたの。たくさん聴いてきたと思う。でも、わたしはアメリカで最初の、ではあった。

 

BD:そのこと自体は重要でしょうか? 主要な歌劇場でアメリカの女性による最初の作品が演奏されたということは。それともあなたのキャリアの中で、退けていることなのか。

 

LT:そうね、これはただの事実でしょ。最初の女性とは言えないし。特別にそれが重要だと思うことはないわね。事実として間違いないというだけのこと。

 

BD:そのことであなたが記録に残るのを知るのは、いい心持ちで?

 

LT:ええ、嬉しいですよ。たくさんの「初めての」がありますよ。

 

BD:自分を開拓者だと思います?

 

LT:ないですよ! あー、びっくり、ないない。ずっと前にたくさんいましたよ。ずーっと昔にもね、ルネッサンスの時代にも。知られてないけれど、その人たちは素晴らしいですよ。誰かその人たちの曲の演奏を企てればね。

 

BD:だけどあなたは、たくさんの「最初の」をもってるから、パイオニアと言っていいんじゃないですか?

 

LT:最初の、が意味あるとしたら、たとえば、グッゲンハイム奨励金を2度受けた最初の女性作曲家だったこととか。

 

BD:National Institute of Arts and Lettersに選ばれた最初の女性でもあります。

 

LT:ええ、今はAmerican Academy and Institute of Arts and Lettersと呼ばれるわね。同じものだけど。2、3年前に名前を変えたのね。(注:それが1976年のことで、さらに1992年にAmerican Academy of Arts and Lettersとなった)Institute of Musical Artがジュリアードになったようにね。まったく同じ学校なのにね。(両者、笑)

 

BD:オペラに話をもどしましょう。あなたは7年の歳月を費やしたと言いました。それだけ長くかかったのには、どんな問題があったんでしょう。

 

LT:まずソーントン・ワイルダー*(劇作家)がいて、コロニーでわたしが出会った人の一人でした。出会って2週間のうちに、彼が気軽な調子で「オペラをやってみたいって思ったことはないの?」と聞いてきたの。で、わたしは「いいえ、なんであれないですよ。わたしの好みじゃまったくないから」と答えた。彼はがっかりした様子で「そう、もし心変わりするようなことがあったら、わたしには考えがあるから」と言うの。わたしは全く気にしてなかったわね。

*ソーントン・ワイルダー:アメリカの演劇史における代表的な劇作家(1897~1975年)。小説で1度(『サン・ルイ・レイの橋』は2004年に2度目の映画化)、戯曲で2度のピューリッツァー賞を受賞している。

 

それから1年くらいたって、ある日彼が電話してきたの。「あなたに来てもらって、夕食をいっしょにしたいんだけど」と言って、共通の友人であるマージョリー・フィッシャーを連れてきた。「これからわたしのオペラのストーリーを話そうと思ってるんだ。それを聞いて、あなたがやりたいと思ってくれたらいいんだけど」 わたしは唖然としたわね。だってあらゆる作曲家が、国内でも国外でも、何年もの間、彼の戯曲をやりたがっていたんだから。なんでまたわたしを選ぶんだろうって。そのときは全くわからなかった。それを理解することはなかったわね。今日に至ってもよ。

 

というわけで、わたしたちは会うことになって、彼がオペラのストーリーを話したの。それは『The Alcestiad』ではなかった。全く違う題材だったの。興味がおありなら、その話は出たばかりのジャーナルに書かれているから。去年の12月(1985年)に出版されたんだけど、当時、彼が書いていたジャーナルで、最初のアイディアについて、かなりの長さを使って語ってる。で、思ったのは、彼がそこまでわたしに信頼を置いてくれるのなら、できないとは言えないってね。

 

それで合意したわけ。わたしは彼にこう言ったの。「わたしがつくった音楽の最初の10分を聞いて、はまらないと思ったら、この話はなしにしましょう」 彼は「いいでしょう」と答えた。それから少しして、エジンバラ・フェスティバルのために、彼は『The Alcestiad』の戯曲を書いていて、友人たちの前でそれを読むからわたしに来てくれって言ってきた。それを聞いたら、まさにわたしがやりたいものだって、わかったのよ! 

 

で、わたしはそのことを彼に知らせて、そこからかなりの時間がたって(その間、連絡がずっとなかった)、やっと彼からいけそうだ、という返事が来たの。彼は戯曲の刈り込みをやっていたの。少なくとも彼自身は、必要とされる刈り込みができたと思ったわけ。(両者、笑) わたしたちが作業をはじめると、すぐにまだ刈り込みが充分じゃないとわかって、彼は相当驚いていたようだったわね。「自分は舞台人で、どれくらい時間がかかるか、わかってるはずなんだが」と言っていた。

 

わたしたちは、すごく面白いやり方を見つけたの。その頃に、わたしにはローマへ行くフルブライト*があった。シニア・フルブライトの素晴らしいことの一つは、非常にたくさんの必要経費が与えられることなの。それで毎週日曜日には、オペラを予約できた。ローマ歌劇場の素晴らしいことの一つはね、プロセニアム・アーチ(舞台の幕前にあるアーチ型の額縁)の一番上にデジタル時計があることなの。つまりオペラの進行の間ずっと、時間が計れるわけ。このシーンは何分かかってるか、このアリアはどれくらいの長さか、ってね。

*フルブライト:アメリカの学者、大学院生、専門家などを対象とした国際文化交換プログラム、および奨学金制度。アメリカとその他の国々の間で、人や知識のやりとりをすることで、異文化交流することを目的としている。

 

BD:劇場に時計があるなんて、興ざめじゃないでしょうか?

 

LT:そうね。多くの人はそこに時計があることすら気づいてないと思うけど、わたしには最高だったの。それで書きはじめると(最初の10分間をね)、ローマでソーントン・ワイルダーと会って、それを弾いてみせた。すべてのオペラに当てはまるかどうか知らないけれど、わたし流の書き方だと、音楽に乗せると、普通に読んだときの2倍の時間かかったの。それで彼は基準測定値が得られたわけ。この時間の制御については、音楽にとっても、戯曲の言葉にとっても、とても重要なの。それで歌う場合は2倍の時間がかかるというのを知った上で、各幕をどれくらいの長さにしたいかを決めていった。外部からの要素はいっさい入ってなくて、その時点では、神のみぞ知るよ、上演や制作物について誰にもわからない状態だったからね。わたしたちは第一幕に約1時間を当てた。50分、55分になるかもしれなかったけど。

 

BD:っていうことは、これを読んだ場合、30分で読めるということになります?

 

LT:そのとおり。で、彼はまさにそれをやったの。それからは全く問題なしよ。彼は各幕をどのように扱ったらいいか、正確に理解したわけ。

 

BD:ではあなたは何も決まってない状態で、憶測で作曲に時間をつかったわけで?

 

LT:そうよ、そのとおり! 彼はこう言ったの、「グランド・オペラを書こう。制限なしでね! たくさんのソリストに大きな合唱隊、大きなオーケストラ、ダンサー、いろんな装置!」 これがアメリカではあまり上演されない理由の一つよ。(笑) とくに最近の経済の状態だとね

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オペラ『The Alcestiad』を検証するソーントン・ワイルダー(劇作家)とルイーズ・タルマ(1958年頃)Photograph by Bernice Perry. Records of The MacDowell Colony, 

BD:フランクフルトで上演されたときは、ドイツ語に翻訳されたんですか?

 

LT:そうよ、それがまた頭痛の種になったわね。ドイツ語でやりたいと向こうが主張したからね。運よく、わたしは子どもの頃、ドイツ語をしゃべってたから、ドイツ語をつかえた。それで翻訳者がやった酷いドイツ語を直すことができたの。

 

BD:オペラというのは通常、翻訳されるものなんですか?

 

LT:アメリカを除いて(イギリスは知らないけれど)、ヨーロッパ人はみんな自国の言葉でオペラをやりたがるわね!

 

BD:それは正しいんでしょうか?

 

LT:いいえ! 明らかにちがう。それは言葉による音声は、音楽の音にとって重要な要素なの。『ボリス・ゴドゥノフ』を見てみて。これを英語で歌うのを聞けば、酷いってわかる。ロシア語独特の響きが必要で、それは音に影響するだけじゃなく、リズムにも関わってくるわけ! まったく違うものになってしまうのよ!

 

BD:多くのテキストが、喉のどこかで消えてしまう。

 

LT:そう、まさにね。それに聴衆は一言一言を理解するために来るわけじゃないから、ある程度の準備をする必要があるの。戯曲そのものじゃなくても、物語を読んでおけば、舞台で何が起きているか理解できる。

 

BD:いまはオペラで字幕も出せるし。

 

LT:そうそう、それを言おうと思ってた。わたしそれは間違いだと思うの。映し出される字幕を読むことと(視覚で)、舞台の上で起きてること(音楽)に集中すること、この二つに分断されてしまうから。だからオペラに行くときは、一定の準備が必要だと言ってるわけ。誰でもできることよ! オペラの物語はいくらでも本になってるし。オペラを見ようとする人に、一定の参加意欲が求められるということ。だからその意味では、音楽は娯楽じゃないっていうこと。自主性のようなものが必要なのね。

 

BD:オペラの未来は、いまどうなんでしょう?

 

LT:かなり盛況なんじゃない。いろいろなものが上演されているし、新作もね。ニューヨークではそうじゃないけど、アメリカ全土ではそうよ。あちこちで上演されているのを聞くと、びっくりするわね。

 

BD:『The Alcestiad』を大きな歌劇場に持ち込んだりするんでしょうか?

 

LT:そうよ、するわね。フランクフルトでの上演以来、そうしようとずっとしてきたわね。いつも途中で引っかかるんだけど、それはたくさんのソリストがいるし、とても費用がかかるからなの。

 

BD:オペラの聴衆は、コンサートに来る人たちと違う種族のように見えますけど、わたしの誤解でしょうか?

 

LT:どうでしょうね。音楽の形式によってそれぞれ集まる人は違って、弦楽四重奏と歌のリサイタルでは、来る人の顔はそれほど重ならないけど、大まかに言えば、同じ種類の人たちじゃないかしら。あるものを他の人たちより好きな人がいる、っていうことじゃないかしらね。でも混ざってもいるわね。

Louise Talma: A Life in Composition

By Kendra Preston Leonard.

Published 2014 by Routledge.

音楽学者によるルイーズ・タルマの初の研究書。タルマの音楽言語、音楽と言葉のセッティングなどについて、彼女の手紙やスケッチ、スコアなどを交えて分析している。

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The Art Songs of Louise Talma 
(CMS Sourcebooks in American Music).

By Kendra Preston Leonard
Published 2017 by Routledge

同じ著者によるルイーズ・タルマの数多くある歌の作品についての研究書。

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BD:家電類の普及についてお聞きします。家で聴くための音響機器が、非常に広まっているように見えます。これはコンサートへ行く聴衆に、いい影響を与えるのか、悪い影響を与えるのか、それとも思いもよらぬ影響を及ぼすのか。

 

LT:悪い影響の方が大きいように思う。これは映画に起きてることと同じだわね。家で座ってテープをかけたり、ビデオを見たりするのは、冬の寒風の中でかけていって、何か聞こうとするよりずっと楽でしょう。そうであっても、ここニューヨークのホールは人でいっぱいだけどね。わたしの意見は、新聞などで読んだこと(特に映画については)から持った感想にすぎないけど。だからわからないわね。いいこと、悪いこと、両方あるんじゃない。いい点は、何度も何度も演奏することによって、いい録音がつくれることは素晴らしい。これは録音がはじまってから、ずっとやってきことよね。だけど同時に固まってしまうものがあって、気づけば、演奏家はそれに頼ってしまって、音楽を生み出す自分の能力を発揮しないことが起きる。ドイツ人が家庭音楽と呼んでるものは、ほとんど消えてしまった。今ではどこの家庭でもほとんどないでしょ。シューベルトの歌が好きだからという理由で、ピアノのまわりに集まって人々が歌うってことがない。プロだからそうするっていうんじゃなくてね。

 

BD:『Four-Handed Fun(4手の楽しみ)』のことをお聞きします。あの曲は派生的にできた曲だったんですか?

 

LT:いいえ。実際、おかしなことなのよ。どうしてあれを書いたか、覚えてないの。最初に一緒に演奏したのが誰かはわかってる。ルーカス・フォス*で、その年たまたま彼もマクドーウェル・コロニーにいたの。コロニーの図書館でコンサートがあって、それはミセス・マクドーウェルを祝うものだった。当時、彼女はコロニーの母屋に住んでいたの。それは彼女の結婚記念日だったと思うんだけど、コンサートをしたの。そんなものが進行してるって、わたしは知らなかったから、何も出し物を用意してなかった。それで慌ててニューヨークにいる友だちに手紙を書いて、誰かとここで一緒にやることになったから、『Four-Handed Fun』を送って、と頼んだ。それで届いた。それがあの曲を演奏した最初で、それから何度かやってるわけ。一番最近では、わたしがリタイアしたとき、ニューヨーク市立大学ハンター校でわたしの作品のコンサートがあって、そこでひいた。ルーカス・フォスはそのプログラムの中の1曲を指揮をしたんだけど、最後に(プログラムにはなかったけど、アンコールのような形で)、彼とまた連弾したのよ! あの曲をまた一緒に弾くなんて、本当に楽しかったわね!

*ルーカス・フォス:ドイツ出身のアメリカの作曲家、指揮者、ピアニスト(1922~2009年)

 

BD:そういう意味で、ぴったりなタイトルですね。

 

LT:そう、そのとおり! まったくそうだったわね! だけど何であの曲をああいう風に書いたか、思い出せないのよね。

 

BD:あなたは生涯をとおして、音楽シーンの観察者だったわけですけど、演奏者はどんな風に変わったんでしょうか、40年、50年、60年の間に。

 

LT:いい方向にとても変わったわね。いま若い人たちはみんな、20世紀のすごく難解な音楽をやってるし、スイスイとやってのけてるわよ。

 

BD:それは技術的に、それともいい音楽家として?

 

LT:両方においてよ。

 

BD:聴衆についても同じことが言えますか?

 

LT:いいえ! もちろん、ノーよ。これについてさっき話したけど、ちょっと訂正させてね。聴衆の数は19世紀と比べてずっと多いけれど、コンサートに来る聴衆の数というのは、基本的に少ないわけ。あらゆる音楽が王室のために書かれていたことを考えてみれば、19世紀になるまでは大きな聴衆というのはなかった。ずいぶんと違う。だからイエスとも言える、数が増えたことを見ればね。そして統計的に増えただけでなく、ちゃんと理解して、自分の聴こうとしてるものを愛してる。人々が好きじゃないものに行こうとする理由なんて、思いもつかないけどね。あら、さっき言ったことと矛盾するかしらね。「あの音楽が終わるまでは絶対行かないよ」っていう人たちのことだけど。(両者、笑)

 

BD:こういうことがあっても、あなたは音楽の未来に対して、楽観的でしょうか?

 

LT:うーん、そのとおりね! わたしはいつだって楽観的よ、人間に対して。

 

BD:それは結構。人間が自らを自滅させようとしてると思わない人がいるっていうのは、嬉しいことです。

 

LT:あー、そうね、それは可能性大いにありね。でもそういうことを、わたしたちは避けようとしてる、と思ってもいるの。

 

BD:作曲家でいることを幸せに感じてますか?

 

LT:とても! もちろんよ! 何もないところから、何かを生み出すというのはすごくそそられることよ。だって、文字どおり、何にもないところからだからね。音楽は、目に見える物体が何もない。空中でただ音が跳ねているだけなのよ。

 

BD:ルイーズ・タルマの次の予定は何です? 今晩のコンサートを終えたら。

 

LT:大きいのが10月7日にあるの。マーキン・ホールでわたしの作品のコンサートが開かれる。実は今月末のハロウィーンの日(わたしは魔女だわね)は、わたしの80歳の誕生日で。友人たちがわたしの音楽によるコンサートをする、というアイディアを持ち寄ったの。31日その日ではないんだけど。やるのは10月7日で、その日しか演奏者全員が集まれる日がなかったの。だからそのために準備がたくさんあって。

 

二つ初演作品があるんだけど、一つは室内オーケストラ曲で、このコンサートのために書いたの。もう一つはピアノ変奏曲。そして二つの大きなアンサンブル曲と大きな合唱曲が演奏される予定。それから、最初に話したけど、二つ依頼作品があるでしょ。一つはS.A.I.からのもの、もう一つは卓越したフルート奏者のパトリシア・スペンサーからのもの。彼女はわたしの作品をダ・カーポ・チェンバー・プレイヤーズ*と、ここニューヨークでずっとやってきた人。彼女がコンサートをやろうとしてて、それで作品をわたしに依頼してきたの。

*ダ・カーポ・チェンバー・プレイヤーズ:ジョーン・タワー(このシリーズの第1回目のインタビュイー)が始めた室内演奏集団。

 

BD:今日の午後、お時間をとっていただいて感謝してますし、またあなたの音楽のすべてに、ありがとうと言いたいですね。最近わたしは何人もの作曲家たちと話をしてきたんですけど、あなたは誰よりも、一つ一つの小節や一つ一つの音と格闘してきた人のように見えます。

 

LT:あー、そうね。満足いかないものを何とか収めようとして、体力的に痛めつけられてきたわね。文字通り、内臓が締めつけられる感じよ。とても辛いわね。だから闘いなの。

 

BD:初演のとき、あなたはその場に行くんでしょうか?

 

LT:そうできるときは、そうするし、あととても気になる作品の場合はね。でも場合によるけど。いつも行けるわけじゃないから。

 

BD:あなたのクローンがつくれて、一度に6カ所にいられたらどうです?

 

LT:ここニューヨークにいたままで、そうできるならね!

 

BD:(笑)電話であなたと話して、素晴らしい時間がもてました。

 

LT:ええ、いつかお会いしたいものだわね。

 

BD:今晩のコンサートが、そしてこの先のプログラムも、素晴らしい成功が得られることを願ってますよ。そして数ヶ月後には、幸せに満ちた80歳の誕生日が迎えられますよう!

 

LT:ありがとう!

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