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  世界消息:そのときわたしは

地球のどこかで起きたこと、起きていることを、その場所から記者や作家、学者、写真家たちが自分の言葉で伝えます。

9.子ども兵士オメロ

テキスト:パウラ・デルガド・クリング(Paula Delgado-Kling)

FARC戦闘員

FARCには10代の少年少女もいれば女性兵もいる。                               Photograph by Semana magazine archives

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コロンビア共和国とFARC

コロンビアは南アメリカ北西部に位置する国。1964年よりゲリラ活動が活発化し、1966年にはコロンビア最大の左翼ゲリラであるFARC(コロンビア革命軍)が発足した。2010年、対ゲリラ強硬策を進めてきたウリベ大統領に代わって、ファン・マヌエル・サントスが大統領に就任(第60代、第61代)、2012年末よりFARCとの和平交渉を開始した。2014年、サントス大統領は再選を果たし、2016年8月24日、50年以上にわたるFARCとの内戦終結に合意したと発表。サントス大統領は、この功績により2016年ノーベル平和賞を受賞する。

FARC(コロンビア革命軍)

1959年のキューバ革命に影響を受けて結成された反政府組織の一つ。1964年発足。武装農民運動から出発し、特定の少数派が権力を握る政治体制の打倒、農地改革、富の分配などを掲げ、社会主義革命政権樹立を目指した。1980年代半ばより麻薬密売組織と協力関係を結び、のちそれが政府によって弱体化されると、コカイン取引に直接関与して活動資金を得るようになり、勢力を拡大した。しかしその頃から、FARCは革命運動の思想的基盤を失っているのではないか、という見方が生まれる。

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マヌエル・マルランダ

(Manuel Marulanda Vélez)

コロンビアの左翼ゲリラFARC(コロンビア革命軍)の最高幹部。元自由党でのちに共産党に入党。1960年代よりFARCで政府との戦闘に参戦する。公共事業省で爆破専門技師としての勤務経験があり、射撃の名手でもあった。2008年、心臓発作で死亡。

FARC戦闘員

​ガスボンベ爆弾をつくる少年兵

Hector Fabio Zamora, El Tiempo newspaper, Colombia

instagram @hectorfabiozamora

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アルバロ・ウリベ大統領

(Álvaro Uribe Vélez)1952年7月4日生まれ。コロンビアの第58、第59代大統領(2002年~2010年)。ゲリラ政策としての平和的プロセスに向けた和平交渉が頓挫する中、国内の反乱に対応できる候補として注目され当選。就任中は政策として、コロンビアの3つの主な武装勢力、AUC、ELN、FARCを抑えることを謳い、中でもFARCに対する軍事行動を強化した。

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パラミリタリー(パラコス) 

右派民兵組織。左翼ゲリラへの自警や制圧を目的とした、政府の正規軍以外の右翼の準軍事組織。コロンビアの地方のほとんどの準軍組織を傘下に収める上部組織。パラスとも呼ばれる。

​戦闘員の3/4は子ども兵士と見積もられた

​戦闘員の3/4は子ども兵士と見積もられた

Semana magazine archives

FARC戦闘員

キャンプを見張る兵士

Semana magazine archives

パラミリタリー

パラミリタリーが銃を置くのは食事の時だけ

Hector Fabio Zamora, El Tiempo newspaper, Colombia

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ファクトチェッカー

メディアの記事内容や言説の真偽を検証する専門家集団。リサーチャーとも呼ばれる。新聞社や雑誌社などの報道機関にいる専門職で、アメリカではファクトチェッカー出身の著名ジャーナリストもいる。ワシントン・ポストのリサーチャーは、事実確認だけでなく、事実を探し出すこともすると言われる。

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オタワ条約 

正式名は、対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約。2016年12月現在、162カ国が署名し批准している。日本は条文作成時の1997年に署名、国会承認を経て1999年より効力を発生させている。

FARC戦闘員

野外演習

Semana magazine archives

FARC戦闘員

Semana magazine archives

FARC戦闘員

Semana magazine archives

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M-19革命運動

(4月19日運動)1980年代後半のゲリラ組織。社会変革を求めて武装闘争を続けていた。当時M-19以外に、PRT(労働者革命党)、マルクス・レーニン主義のEPL(解放民衆軍)、キンティン・ラメ(先住民の解放運動)など、様々なゲリラ組織が社会変革を求めて武装闘争を続けていた。M-19は1990年に武装放棄し、市民政党として政治参加の道を選択した。

助産婦として招集された女性たち

祖母の世代の女性たちは、戦時に助産婦として働いた

Hector Fabio Zamora, El Tiempo newspaper, Colombia

 オメロは生き残りの一人だった。1997年2月のある朝、10時間の眠りのあと、彼は目を覚ました。見れば、カンブーチェ(ジャングルの泥地に建てられた、雨水やヘビなどを避けるための高床式の小屋)に並ぶ寝台は、どれも空っぽだった。小屋の中は学校の寮のように、8台の寝台が2列に16台並んでいた。寝台には1枚ずつの毛布。きれいに畳まれたものもあれば、寝起きに床に投げ捨てられたものもあった。さびた屋根の穴からは、朝靄と木漏れ日がしのびこんでいた。

 拉致された夜、ジープに乗せられ、降りて長い距離を歩かされ、母親から引き離された心痛もあって、オメロはぐったりしていた。カンプーチェに着くなり眠り込んだ。家を離れて二日目の夜は、寝汗をかいては震え、少し眠っては目を覚ました。

 カンプーチェの外では、日々の活動がはじまっていた。調理用の火から煙があがるのをオメロは見た。そこに20人ほどの人間がいるのに気づいた。みんな迷彩服を着ていた。自分を誘拐した男、アルフレードがこう言った。「わき道にはチュロスがいる。道はこことつながっている」 男は寒くもないのに両手をすり合わせた。

 「あいつらはおまえたちに気づいたか?」 別の男が訊いた。

 チュロスというのは、ハゲワシのような大きな肉食のワシだ。なんでこの男たちはチュロスのことなど話しているのか。「いいえ」 一人の女が答えた。「イフエマードレー(あんちくしょう)たちはこの辺で緑の制服を着ることを恐れています。でもサン・ビセンテの外にいるときはわかります。それにあいつらはオートバイに乗ってます」 じょじょにオメロは事情がつかめてきた。ここにいる人たちは警官の話をしているのだ。返事をした女の日に焼かれた顔には緊張があった。木切れを奥歯で強く噛み締めていた。ポニーテールに結った髪からこぼれた後れ毛が、風に舞っていた。袖がまくり上げられ、しっかりとした二の腕が見えていた。履いている長靴は、湿った泥におおわれていた。

 「子ども7人をあいつらのところに送り込むか?」 アルフレードが訊いた。「ケ・ピエンサス(どう思う)? マルタ」

 「いいですね、アルフレード。でも経験者にしましょう。くそチュロスたちが包囲することはできないでしょう」 マルタは黄色い痰を地面に吐いた。「よくぞここまで飛んでこられると思ったものだわ」

 カンプーチェでは、一人の少女がオメロに近づいていった。「新入りの子なの?」

 「そうだと思うけど」 オメロは思わず瞬きした。彼はまだ毛布の中だった。「そうだよ」と言ってからもう一度、声を高めて繰り返した。「そうだ」

 「エルサ、新入りに来るように言って」 マルタ指揮官が外からどなった。少女は手を振って返した。

 「あんたもあたしも、いかなくちゃ」とマルタを指差し、小屋の中から地面につばを吐いた。「マルタ指揮官のところにね、ここはエスクエラ(学校)なの」

 「学校?」 オメロが訊いた。

 「ていうか、訓練用キャンプみたいなものだけど。革命が成功するように訓練を受けるのよ。金持ちを殺すのは革命を果たすため」 エルサが「革命」という言葉を口にしたとき、茶色の瞳が輝き、同時に胸を突き出した。彼女は背が低く、雄鶏のような雰囲気だった。

 「僕の名前はオメロ」 おずおずと言った。味方をもてば命が助かるかもしれないと見積もったのだ。

 「ちがう、そうじゃない。ここでは別の名前になるの」 エルサがピシリと言った。

 オメロの声の調子が変わり、叫ぶようにして言った。「ほんとか?」

 エルサはオメロのベッドの足元までやって来た。そしてうなずくとまたつばを吐いた。オメロには、彼女が外にいるマルタの真似をしているのだとわかった。

 「じゃあ、僕の名はカルロスだな」 オメロは自分の父親のことを思い浮かべてそう言った。

 「だめ、もうカルロスは一人いる。あたし、新入りの名前をつけられるんだけど、そうね、あんたはネルソンよ」 それでどうかしら、とでも言うように両手を腰にあてた。

 「オーケー」

 「じゃ、ネルソンで。テ・グスター(気に入った)? その名前でいきましょう」 エルサがさっきのポーズを崩し、歯を見せずに笑みを見せた。

 わかったよ、オメロは肩をすくめた。オメロにはガールフレンドがいた。ガブリエラという名の優しい子だった。でもそれは以前の暮らしの話。いま自分はネルソンだった。

 「行って朝食を食べて、ネルソン。マルタ指揮官がすぐに授業をはじめるから」

 エルサが地面に飛び降り、ドサリと音をたてた。歩いていくとき、そばで餌をついばむ鶏につまづいた。体勢を立て直すと、まわりを見まわし恥ずかしそうにして、それからオメロについてくるよう手を振った。

 

 わたしがオメロからこのキャンプの話を最初に聞いたとき、そんなものがあるのかと疑った。「ポル・スプエスト(もちろん)。あなたに嘘はつきませんよ」 そうオメロは言った。「少なくとも5000人の人間があそこにはいたな」 わたしが調べてみると、政府の軍隊はその存在を認め、またわたしの兄の友人の(革命軍)予備兵もそれを認めた。この男はMBAを取得し、コロンビア平均としてはいい給料をもらい、イギリスの多国籍企業で働いていたが、部隊が彼を必要としていると聞けば、手を貸すだけの愛国心も持ち合わせていた。彼は白い横断幕の下に立つ自分の写真をわたしに見せた。そこには「新たなるコロンビアのために働く、指揮官たちのためのイサイアス・パルド・ナショナル・コース」と書かれていた。イサイアス・パルドは、 FARCの最高幹部マヌエル・マルランダ*の義理の兄弟だった。マルランダは、銃弾を無駄にしない腕の確かさで、腕利きと呼ばれる男だった。横断幕の下の方には、「FARC-EP」とある。FARCとはコロンビア革命武装部隊(コロンビア革命軍)のことであり、EPとは人民軍を指す。

 エルサは、暖をとるため火のまわりに集まる者たちの間をずんずん進んだ。茶色の紙袋から固くなった丸パンを一つ取りだすと、オメロに差し出した。

 「グラシアス」とオメロ。

 

 

 ある日、家族福祉省子ども兵士局で働くソシアルワーカー、ハイメがわたしに言ったことに胸を突かれた。彼はこう言った。「きみがコロンビアを捨て、ここで起きていることを忘れ、ニューヨークで新たな生活をはじめたことはよかったと思う。でも毎年8月には戻ってきて、電話をくれないか」 コロンビアに帰ったときは、たいていいつも、わたしは彼に電話をする。そのときの電話でわたしが口にしなかったのは(携帯電話の雑音がひどかったので)、自分はコロンビアを捨て去ることなんかできないということ。コロンビアでの暮らしは幸せなものではなかったから、子ども時代のわたしにとってそこは受け入れがたい場所だった。人にどこの出身かと訊かれれば、「カナダ」と答えていた。

 9歳以降、わたしはコロンビアに住んでいなかった。父親がここを離れたほうがいいと決心したのだ。わたしの家族は建設業を営んでいた。トロントに向けて荷造りをしていた日、同業者の娘が誘拐された。

 でもわたしはコロンビアを愛している。そこでの暮らしが自分にとって何を意味しようと、わたしはコロンビアを愛している。オメロとは違って、わたしの現実とは、「自分の足に合うサイズを切らしているジミー・チュウのショップがあるマジソンアベニュー」といったものではあったが、それでもコロンビア時代には、兄が6ヶ月ほど拉致されたことがあったのだ。わたしがお使いにいくときは、防弾ガラスの車に乗った武装したボディガードがいつもついてきた。

 コロンビア人は情熱的だ。コロンビアにはパパイヤ、マンゴー、グァバの実がなる。人々は自分たちが食べる果物のように、みずみずしく、健全だ。コロンビアの庶民は笑いに満ちあふれ、精一杯毎日を生きていた。暴力の歴史ととも生きてきたことで、葬式に参列したり、愛する者たちを埋葬する日々だったが、彼らは立ち直りが早い。コロンビア人のモットーは、昼に葬式をすませ、夜にはサルサを踊る、である。

 

 

 オメロは3ヶ月前からひげを剃りだした。鏡で自分の顔を見て、ボツボツと生えたひげに気づく。が、これが自分の顔だっただろうか? 洗面台が数個並び、後ろには白いタイルの壁に囲まれたシャワー室があった。水がコンクリートの床ではね、ブリキの屋根は日に焼かれ、中は暑かった。オメロは目を洗ってシャキッとする。

 「あたしだったら」とエルサ。「午後になってからシャワーを浴びる。マルタ指揮官はあたしたちが遅れるのが嫌いなの。それに、結局泥だらけになるんだよ」

 オメロはエルサのあとに続いた。ジャングルの中だというのに、建物から建物につづく道が、コンクリートで固められているのが、彼には信じられなかった。エルサは痩せていて、カウボーイみたいな歩き方をした。オメロはエルサに目をやり、歩調を彼女に合わせた。「クイダード・コン・エステ(あいつに気をつけろ)、オメロは勇敢な兵士だ」 オメロは他の者たちからそう思われたい気持ちになっていた。

 オメロとエルサは、80人ほどの集団がいる小屋に入っていった。寝場所の小屋と違い、教室は地面の高さだった。ここにいる者たちが15歳なのか、17、18歳なのか、オメロには見当もつかなかった。敵意に満ちた眼差しと一文字に結んだ口で、どの顔も同じに見えた。

 「今日は、手製のガスボンベ爆弾の作り方を学びます」とマルタ指揮官が言った。

 オメロはヒョウの子ようにあくびをして、唇をなめた。

 「手順は簡単です。普通の家でつかっているガスボンベをつかいます。まずタンクからガスを抜きます。次に金属をその中に詰めます。釘や鋲、レンチ、鉄の破片などあらゆる種類の金属を入れます」

 「タンクにくそを入れるって聞いたことあるぞ」 一人の少年が言った。それでみんなが笑った。「コン・ミエルダ(くそ入り)」

 「そのとおり。排泄物をつかうこともあります。冗談ではないですよ」とマルタ。「金属は必須のものです。でも糞便は傷口に感染を起こします。さっき言ったように金属を詰め、そのあとで爆薬を入れます」 風で髪が指揮官の顔に張りついた。指揮官は右腕をあげ、二の腕でそれをはらった。

 「みんなわかりましたか?」 湿気のため指揮官の顔が光っていた。「ガスボンベは破壊的な爆発物になります。モルタレス(致命的)。硝酸アンモニウムを加えることもあります。同じ手順で、釘、爆薬、それからミエルダ(くそ)をつかい、アルミニウム・ソーダ缶やガラス瓶でも爆発物はつくれます」

 ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、国際法下では、議定書1条51項(4)により、手製爆弾による一般市民への無差別攻撃は禁止されている。この法は、国内、国外両方の紛争に適用される。ヒューマン・ライツ・ウォッチはFARCが放つ手製爆弾は、避難所や教会、医療センター、役所とともに、一般市民の家や店まで襲い、謂れのない死傷者を出していると報告していた。

 2002年8月7日、アルバロ・ウリベ大統領**の最初の就任式のとき、ボゴタ最貧のスラム街で、FARCは手製爆弾を爆破し、13人が死んだ。

 オメロはまたあくびをした。エルサが目を覚ませと鋭い眼差しを向けてきた。コオロギがリリリー、リリリーと鳴いていた。汗がしたたって口に入り、オメロはしょっぱさを感じた。もうかれこれ2時間、座りっぱなしだった。オメロはいつになったら休憩に入るのだろう、と思った。お尻が痛くなってきて、腹がすき、のども渇いていた。

 マルタ指揮官は黒板に、キャンプの設営の仕方を絵で示していた。「ブッシュを歩いているときは、休みなく進みます。1日じゅう歩きつづけます。先頭にはしっかりした兵士がつきます。夜がきたら、きちんと休みます。必要なことだからね」 そうマルタは言った。

 オメロはエルサに目をあてた。エルサの鼻には、コショウ粒くらいの黒いそばかすが散っていた。彼女はマルタの言葉を暗記しながら、ほっぺたの内側を噛んでいた。「ちゃんと休めるように、きちんとしたキャンプが必要になります。そのために、適切な作業をするのです。パラコスはわたしたちを夜、襲撃します」 そうマルタ指揮官は続けた。パラミリタリー(右派民兵組織)***と聞いて、オメロはビクリと目を覚ました。父親カルロスにまつわる思い出を、まだオメロは消し去っていなかった。父親から流れる血、その床を姉のマグダレーナがぬぐっていた。もしFARCがパラミリタリーと対決していたら、とオメロは思う。そうすれば「ビバ(万歳)、FARC!」となったはず。なんでパラミリタリーは自分の父親を殺そうとしたのか、オメロは考え始めた。オメロの父は、自分の農業共同体がFARC側についたと見られていた。それは銃を突きつけられて、一晩彼らをかくまうことを了承したことが1、2度あったからだ。そしてパラミリタリーは、FARCと関係をもった者は全員壊滅させる、と宣言していた。

 「パラコスが奇襲をかけるのは、衛兵が正しい位置についていないとき。奇襲をかけられるのは、こちらの落ち度です」とマルタ。黒板にマルタは四角形を描き、四隅に十字をつけた。「この四隅に衛兵たちは立ちます」 そう言いながらマルタはチョークで十字をたたいた。次にマルタは四角の真ん中に円を描き、チョークを何度も強くその部分に押しつけたので、とうとう折れてしまった。「この円の中に、その他の兵は衛兵に守られて眠ります」 マルタは円に斜線で影をつけた。「衛兵の交代は4時間以内、指揮官によって厳しく管理されます。うたた寝する衛兵は厳しく罰します」

 

 

 オメロがわたしにマルタ指揮官のことを話すとき、南西部の街パストの出身で、パストゥーサ(パスト住民)のようにしゃべることを強調した。コロンビアのどこでも、あの人はパストゥーサだと言うとき、それは頭がにぶいことを意味する。オメロの発言は、よくあるパストゥーサのジョークを思い出させる。

 オメロが訊いてくる。「コルガテー(コルゲート)を、知ってるよね?」 コルガテー、自分を吊るせ。「あいつがいてね」とオメロ。「ハイウェイの脇に看板があるのを見つけた。自分を吊るせハミガキ粉」

 「知ってる知ってる」とわたしはたきつけた。「で、彼女は看板に飛びついて、ぶら下がったってわけね」

 「そういうこと。で、それからニベアの看板を見たんだ」 ニ・ベア(見るな)。

 「それも聞いたことがある」とわたし。「彼女は目をおおった、見るなクリームだから。でマルタは自分を吊るせの看板から落ちた。あーあ。どっちも聞いたことがある。ひどいジョークだわね」

 わたしたちは、オメロがいま住む、政府のケア施設のそばの公園にいた。ドン・エンリケとドーニャ・スサナのソシアルワーカー夫婦が管理するその施設は、二人がNGOとして設立したもので、政府が戦場にいた十代の子どもたちを更生させるよう委託していた。

 その朝、オメロはゲラゲラとよく笑った。でもそれは、幼稚なジョークのせいではないとわたしは感じていた。わたしたち二人は太陽を浴びて、ゆっくりと過ごしていた。日曜日の朝11時という時間に、美しいブーゲンビリアの花の下で二人はすわっていた。花がハチを呼び、わたしたちをベンチから追い払った。あわてて逃げると、わたしのボディガードがわたしの方に目を向けた。わたしはオメロにドイツ人ボディガードの関係者だと知られたくなかったので、「イフエラース!(ハチ)」とスペイン語で言って、こちらは大丈夫と知らせるために笑い声をたてた。ドイツ人は家2軒離れたところに立っていて、右手の平をジーンズのポケットに入れたラ・メトラ(マシンガン)にかけていた。

 「やっぱあんたも女の子だな」とオメロ。

 「そう思う? かかっておいでよ」 わたしはそう言うと、腕を曲げて週3度のピラティスで鍛えた力こぶを見せた。

 

 酔っ払ったホームレスの男が行き過ぎ、オメロがそれをそっくりに真似た。「きみは良い人間だね」 わたしは言った。わたしはいつもそう思ってきた。彼がFARCにいたとき、何人の人を殺したか覚えていないと告げたあとでも、そうだった。

 オメロを見かけない日が何日もつづいたあと、また一緒に朝を過ごしたとき、彼を少し遠くに感じた。わたしは尋ねた。「キャンプはこんな風だったの?」 わたしはテーブルの上に展示された、アート・アンド・クラフトのプロジェクトの作品を指した。部屋にはほこりをかぶった色あせた椅子があって、どれも釘で床に固定されていた。何週間か前までは、ここは医務室の待合部屋だった。「衛兵たちはいつも外で寝るの? 四隅には、このプラスチックの人形みたいな衛兵がいたの?」 オメロはうなずき、その目が大きく見開かれた。ビンゴ!とわたしは思った。戦争の話は、いつもオメロを興奮させる。もちろん、とでも言うように、オメロはうなずき続けた。それ以外のとき彼らはどこにいるの? 無邪気そうに振る舞い、オメロをたいしたやつだと思わせるのがいいと、わかってきた。

 また別の日、ドン・エンリケとドーニャ・スサナの施設にひとりいて、キッチンとTVルームの間の通路で椅子に丸まっていた。わたしはあれやこれやと考えていた。エルサが面倒を見てくれた、と言うとき、オメロは何を意味していたのか。リーダーが部下を見るように、オメロの世話をしたのか。チームメートがうまくやったので成功した、と思ってそう振舞うのか。それとも恋をした女の子のように、だろうか。姉のように面倒をみたのか。どれが当てはまるのか、わからなかった。彼女がこのすべてを感じていたことはあり得るだろうか。おそらく、寂しさと生きている実感がほしくて、すべての感情がひとつになって現れたのかもしれない。

 ここを毎日訪問することに疲れを感じはじめていた。家に帰って、ゆっくり風呂につかって読書を楽しみたい。泡をたてた風呂で、物語に没頭し、山陰に日が沈んでいくところで終わる、美しいストーリーに満たされたい。恋人たちは手に手をとり、風が吹きわたる、、、そういう話。

 少年が一人やって来るのに気づいていた。からだの細い子だった。やせっぽち。上唇の上にうぶ毛を生やしていた。その子はカメのようにゆっくりと、松葉杖をついて歩いてきた。左足の膝下から足首にかけて、大きなかさぶたがあった。わたしは笑いかけ、それからまたノートに目を落とした。コンタクトレンズが乾いてしまい、わたしは目を細めた。目薬をどうして持ってこなかったのだろう。わたしはノートに目をやっていたが、その少年の長い爪に気づいた。こんなに長い爪なのにとても清潔なのは、なぜだろうと思った。

 わたしはまたノートに集中した。寿司のテイクアウトはボゴタのどこで買ったっけ?

 オメロが叫んだ。「やめろ!」 強い口調だった。「やめるんだ!」 それは命令だった。

 わたしは目をあげた。長い爪の少年が松葉杖を振り上げ、わたしの頭をそれで叩こうとしていた。そのように見えた。

 「やめろ、わかったか」 オメロの声は厳しいままだった。

 少年はオメロを見ると、松葉杖をおろし、急いで立ち去った。オメロとわたしの関係はそのとき強まった。彼はわたしを守りたいと思っていた。わたしはオメロに笑いかけ、いま起きたことを大げさに取らないようにした。自分が傷つけられようとしていたことを、理解する準備ができていなかった。

 オメロの守護のもとにいるとわかり、自分の身の安全を感じた。二人の関係はそのとき変化した。彼を一人の子どもとしてわたしが扱うことから、わたしは守られる立場だと彼が思っていることへと。

 また別の大きな変化も現れた。オメロはケア施設の仲間たちに対して、指導力を発揮していた。わたしはそのための道具だった。実際、ケア施設で、わたしがオメロと過ごす時間が長ければ長いほど、彼の話を熱心に聞けば聞くほど、何か質問をすればするほど、まわりの者たちはオメロを見上げた。この施設のキッチンで働く女性が、食堂に入るようオメロに声をかけたとき、仲間たちが彼に従い食卓についたのを見て、わたしはそう思った。

 わたしが特別にオメロをえこひいきしたとは思わない。彼は生れながらのリーダーだったのだ。進んで話をしてくれたのも彼だ。わたしは彼が好きだった。また彼もわたしを好いてくれた。でもこんな疑問がわたしを捉えた。彼に関心を浴びせることで、彼を自分のようにしようとしたのではないか。わたしは綿密に記録を取りたいと思っていた。ファクトチェッカー****が、わたしの記録は確証が薄いと言うのを心配していた。

 

 「昼だ」 マルタ指揮官のグループで、誰かが叫んだ。

 「割り当てだ。食べていい。スプーンは誰かと交代で使え」 アルフレードがオメロに言った。オメロは容器を傾けて口にもっていった。ズルズルと音をたてて、どろどろしたポテトスープを飲んだ。なんという空腹感。オメロは入れ物が前に使ったままで洗っていないことも、緑色の汚れがこびりついていることも、気にならなかった。食事は味がなく、家で母や姉が味つけして調理する食べものとは別物だった。

 数分後、コンパニェーロ(仲間の一人)がフォークをなくしたと訴えた。オメロは知らんぷりして、手にしていたフォークをポケットに入れた。これで人とスプーンを共有しなくて済む。オメロはすわって、切り株に背中を預けていた。空腹感は去っていなかった。冷たい牛乳が飲みたかった。FARCの法「蓄えを盗むことは死に値する」が、空腹をなんとか抑えつける。オメロは、木立の中につくられた簡易食料庫に目を当てた。ブリキ屋根だけの囲いのない棚には、粉ミルク、ツナ缶、ひよこ豆、パスタに小麦粉が、きちんと積み上げられていた。

 

 

 その日の午後、イサイス・パルドで行われた、オメロの最初の訓練が終わりに近づくと、マルタ指揮官が吠えた。「走りぬけろ、ここを飛んで」 マルタは棒で地面を打った。「足元で地雷が爆発してると思って走れ」

 

 

 わたしの頭を杖で叩こうとした少年の左足のつま先から、細い針金が突き出ていた。地雷の被害者なんだ、とドン・エンリケが言った。針金が足の指を支え、松葉杖を頼りに歩くことができた。しかしもう2度と走りまわって遊ぶことはできない。日曜日、ブーゲンビリア咲く公園で太陽を浴びてすわっていたとき、松葉杖の少年は車椅子にすわっていた。仲間がバスケットボールをしているのを見ていた。目はコートの中の動きを追い、仲間がゴールすると歓喜の声をあげた。「クイダドー(気をつけろ)」「うしろにいるぞ」「いい動きだ」 手を叩き、警告を発した。向こう脛のかさぶたは小さくなっていた。少年は運がよかった。地雷を踏んだ子どもの85%が、迅速な治療を受けられずに死んでいた。

 コロンビア政府の対人用地雷観測所によれば、2004年、コロンビアはアフガニスタン、カンボジアに次いで、世界で3番目に地雷被害者が多い国だった。2006年には、コロンビアは、8時間ごとに地雷が爆発する世界最大の地雷被害者国となった。その年、コロンビアでは、1142人の市民や戦闘員が地雷による死や負傷を被り、一方アフガニスタンやカンボジアでは900人を下まわる数だった。2007年は11月までに、780人の犠牲者をコロンビアは出した。地域の役所の至らなさのせいで、あるいは報復を懸念して、しばしば犠牲者は報告されていない。

 2001年、コロンビア政府軍は、軍の基地と水力発電所を守るため、地雷の使用を中止した。政府は、世界規模で2009年まで地雷使用を禁止する、オタワ条約*****を承認した。40カ国がまだこの協定に署名していない。アメリカ合衆国、ロシア、中国などの国々である。

 FARCおよびパラミリタリー(右派民兵組織)を含む不法の武装組織は、地雷をつかい続けた。それは1ドルで手に入る安価なものだからだ。コロンビア政府は、10万個の地雷が農村部にはまだ埋まっていると見積もる。地雷の耐用年数は50年である。

 

 

 「どうやって地雷を探り当てるか、どのように埋めるかはまた教えます」 マルタ指揮官が言った。「来週それをやります」

 オメロの番がきた。ひざを高くあげハードルを飛び越えて突っ走る。マルタ指揮官が言う。「タイムをとります」 天使の青い羽をもつオオハシが上空から見ていた。

 「そう、いいよ、ネルソン」 マルタ指揮官が声をあげた。のどを枯らし、声がしわがれていた。一つ一つの言葉が緊迫感にあふれ、高いピッチで発せられた。「あんたは素質がある、ネルソン」 この新入りは、指揮官の卵だった。未来のマルランダ(せむしのFARCの長:創設時からのメンバーであることが、その疲れ切った目から見てとれる)なのかもしれなかった。赤いタオルを背中のこぶに掛けた姿がよく写真に撮られ、「西半球の最古株テロリスト」と呼ばれてきた。

 わたしの兄の友だちで予備兵だった男は、AK-47の木製レプリカをもっている。ある日、それを手にしたとき、わたしはオメロがキャンプの訓練で能力を発揮している姿を思った。

 自分の番が来る前、オメロは他の者たちがコースを進むのを見ていた。それですべてを理解した。生まれながらのアスリートだった。自分がいま何をするべきかちゃんと見えていた。

 

 

 「同じことをもう一度、でも今度は木のAK-47を抱えて走りなさい。全員のタイムを計ります」とマルタ。「ネルソン、リーストゥ(準備)。進め!」 オメロは走った。焼けつくような風がオメロの頬と腕に吹きつけた。「シー、シー、ネルソン。ベストタイムだよ」 マルタ指揮官が叫ぶのをオメロは聞いた。ゴールのところでオメロは喘いだ。そこで倒れ、両手で脇腹を抱え、地面に唾をはいた。「新入りとしては上出来。よくやったね」とマルタはオメロに言った。オメロは立ち上がり、笑みを見せた。目の端でオメロがエルサを見ると、爪をかんでいた。オメロはエルサにウィンクを送る。

 

 

 知り合いの予備兵は、サザビーズの常連客のようなものだ。彼は、FARCのキャンプからの戦利品、焼け焦げた木製ライフルを大事に保管していた。コロンビア軍で奉仕していたとき、そのライフルを拾った。そして今、オメロのような若者が、使いふるしの訓練用ライフルのように、戦争から解放され、死をまぬがれ、体験談を語っている。わたしは政府関係の友人ハイメに電話して、兵士だった子どもたちに、文章を書くワークショップを始めたいと告げた。ハイメはそれは素晴らしいと言い、ウリベ大統領と家族福祉大臣に、それから政府関係の子ども兵士と会うことを許可してくれそうな者に手紙を書くよう勧めた。しかしワークショップを運営することは、自分を誘拐したかもしれない元FARCのメンバーと、同じ部屋で時間を過ごすことでもある。わたしが兄のエルムートにワークショップのことを告げると、誘拐されたことのある兄はこう言った。「ぼくらは純粋すぎるところがある。誰もが自分たちのように純粋だと思わないほうがいい。それをやるのはリスクが伴うと思う」

 ウリベ大統領の報道官はわたしのことをよく知っていた。フリーの記者をしていたとき、わたしは幾多の政府声名で彼を非難していた。ワークショップのことで助けを借りようとしたところ、その報道官はこう答えた。「言ったとおり、許可は家族福祉大臣からおりるものだ。きみは疲れてるようだが、ちゃんと休んでるのか?」

 「ええ、ええ、もちろん。で、いつその答えはもらえるのかしら?」 

 返答を待つ何ヶ月かの間、わたしはワークショップをどのように進めるか、あれこれ考えていた。何人の子どもが読んだり、書いたりできるだろうか。本当は4、5人の子どもだけを集め、彼らの体験談を語らせる手伝いをしたかった。この活動に対して、アメリカとカナダの基金が補助金を出そうとしていた。政府官僚への手紙で、十代の元兵士たちが、いかに才能ある語り手であるか、彼らをジャーナリストや劇作家、小説家(おそらく詩人にさえ)育てることができるだろうことを繰り返し書いた。十分なよい支援があれば、この子どもたちの中から、未来のガルシア・マルケスが出るかもしれない、とさえわたしは考えていた。

 ソシアルワーカーのハイメを勧めたのは友人たちだった。彼はわたしにこう言った。「オメロの話を剥いでいくんだ。そうすれば真実が露わになる」 それは4年前のこと。それからの日々は、ハイメの真意に触れるため、彼のうわべの賞賛を剥いでいく日々でもあった。ハイメは家族福祉大臣に、わたしと会うべきではないと告げていた。わたしがニュース素材を探すジャーナリストだからだ。「大臣は頑固で扱いにくい人だ」とハイメは言った。「彼女は、きみの接触を許さない類の人だ」

 ハイメは小さな工場主の息子で、子ども時代を通して、父親によって工場で働かせられた。会話の中で自身のことをつけ加えたその口ぶりが、ハイメが自分の育ちをどう受けとめているかを表していた。人は親の身分の中で育つ、という了解。ハイメはかつてM-19革命運動******に参加していた。1980年代には、ボゴタ民兵隊で活動していた。彼はわたしをカントリークラブのエリートのように見ていた。

 ハイメはコロンビアの先住民がつくった袋をよくさげていた。その中にはノートが入っていて、彼は自分の考えをそこに書きつけていた。ハイメはしわの寄ったボタンダウンのシャツを着て、小さな丸メガネを鼻までずり落し、読書好きだった少年の頃を彷彿させる容貌の持ち主だった。高給取りの仕事につけたかもしれないのに、彼が子ども兵士局での仕事をあえてしていることに、わたしは尊敬の念をもっていた。たぶん彼は、わたしの家族福祉省との接触を邪魔していたんだと思う。わたしが彼の仕事を奪うことを恐れてのことだ。

 

 

 訓練の初日、オメロは夜8時に寝台にもどると、目をとじた途端に眠りについた。

 「オイ、イフエプタ!(ちょっとバカじゃないの) もういびき? エルサがオメロの脇腹をつついた。エルサは隣りの寝台で、これから眠りにつこうというところだった。「ちょっと!」 オメロにはその声が聞こえていないようだった。「ちょっと、あんた最低!」 ネルソンとして過ごしたオメロの初日は、芯まで絞りとられる一日だった。「インクレイーブレ!(びっくりだわ) なんでこんなに早く寝るのよ。あたしは傷の手当の仕方を習ってたんだよ」

 「なに?」 オメロはよだれを垂らしているのが恥ずかしく、さっと頬をふいた。

 「わたしら女の子は、あんたたちより大変なことやってんのよ。傷に性病感染、皮膚の感染症。なのにあんた、もう寝てる。銃弾の破片をどうやって取り除くか、知ってる?」

 翌朝、オメロは朝食をもらいに火のそばに現れた最初の一人だった。自分のパンを三口で食べてしまった。乾燥したパンのせいで喉がかわいた。

 マルタ指揮官がオメロの方に歩いてきた。「あんたは今日から別のグループに入って。パ(ラ)・シエンプレ(ずっと)。今日からはわたしのいる集団で働いて」 マルタの髪は濡れていて、シャンプーの香りがした。胸のボタンがいくつか外れている。オメロの目がマルタの胸の谷間をさまよった。これまで見たことのある女の胸といえば、初恋の相手ガブリエラのものだけだった。オメロは視線を指揮官の目にすぐ戻した。「お互いの信頼がある間はね」 そうマルタは言うと立ち去った。マルタの歩きぶりは、エルサが真似するような、胸をはって、男っぽい、意気揚々としたものだった。薪の山から一抱えほどを手にすると、火のそばまで運んだ。

 

 

 最初の銃弾の音を聞いたとき、オメロは一人でソックスを洗っていた。夕暮れになると、オメロは自分の服を川や池、湖で(何であれ、水を見つければ)洗った。ある日はパンツを、別の日はシャツを。パーン。200メートル上流から、2、3秒ごとに腹をうちぬく発射音が放たれた。オメロは急いでキャンプにもどった。AK-47がオメロの背中で揺れた。そこでマルタ指揮官の注意を思い出した。「AK-47は信頼にたる友です。武器というのは、それを使う人間次第」 オメロは自分の武器を抱え、引き金に指を当てた。

 パンパン。パンパーン。静寂。そしてダダダダーンというマシンガンの音。オメロは木の陰に隠れ、銃弾が黄色い火を放ち、銀の玉となって通り抜けるのを見つめた。2台のブラックホーク・ヘリコプターが頭上で旋回し、地面に近づくと、ジャングルの草をなぎ倒した。

 オメロが心を決めた瞬間だった。やってやる、ぼくは生き残る。オメロは生きて家に帰りたかった。

 ロケット弾が木の幹を裂き、オメロの姿が露わになった。オメロはヘリコプターのガソリンタンクを狙って銃を撃ったが、撃ち損ねた。

 前の晩、オメロは誰かが話しているのを耳にした。「FARCの部隊が近くに堀を掘っていた」 オメロがその話に注意を向けていたなら、でもそのとき別の者たちとの会話に没頭していた。

 「そうさ、セックスしたことはある。何回もな」とオメロは言った。

 「あのエルサ、おまえのことが好きなんだ」 誰かが言った。

 「そうだな、エルサはいい子だよ」とオメロ。

 「あいつと前にやったことあるんだ」 仲間が打ち明けた。「まあ悪くなかったな」

 「ほんとうか、どこでだ?」 オメロは自分が強い口調になっていることに気づいた。「まあ、おれも前にやったけどな」とオメロ。

 マルタ指揮官の訓練の中で、堀はいつも川に対して3時の方向にあることを聞いていた。オメロはその方向に駆け出すと、そばの木の陰に隠れた。しかしヘリコプターからの銃弾はその木も切り裂き、こなごなにした。

 オメロは煙の中を突き進んだ。堀は目の前にあり、彼はそこに飛び込んだ。エルサがそこにいた。腹を地面につけていた。火薬片がオメロの喉や鼻腔を枯らした。エルサは涙で目を赤くし、両手で耳をふさいでいた。オメロはエルサの手首をにぎり、ぼくがここにいると告げた。

 堀の中は息ができない状態だった。「お腹をつけて」とエルサが言った。オメロにはその意味がわからなかったが、エルサを信じてそうした。

 「あんたのライフルはどこ?」

 オメロは覚えていなかった。自分のAK-47をどこかに置き去りにしていた。政府軍が見つけて持ち去るだろう。オメロが戦場で敵の武器を拾うのと同じように。エルサはどこにライフルを置いてきたかとは聞かなかったが、どこかで手に入れる必要があるというようなことを言った。もし自分のライフルをなくせば、裁きにかけられる。

 45分たってエルサが荒い息をしはじめると、オメロは泣けてきた。太陽が沈みはじめ、その光でエルサのからだが露わになった。汗で小石や砂が顔に張りついていた。ヘリコプターがまたロケット弾を放ち、地面が揺れた。

 「エルサ」 オメロは小さく呼んだ。エルサの血が堀の中を流れていた。彼女の腹は切り裂かれ、ピンクの内臓が見えていた。

 エルサが死んだとき、オメロの中で怒りが湧いた。「デイオス・テ・サルベ(神があなたを救う)。ビルヘン・マリア(聖マリアに)」 オメロはつぶやいた。母親から教えられた祈りの言葉だった。「リエナ・エレス・コンティゴ(満たされますよう)、、、」

 マルタ指揮官はこう教えた。「捕虜になるくらいなら、自死せよ」

 オメロは走り、道でつまずいた。気をとり直し、エルサのAK-47を抱えて走った。訓練キャンプ卒業のすぐあと、男8人、女4人、合わせて12人の者とともに、オメロは隊に配置されていた。その半分は18歳以下だった。オメロは自分の隊を探して、ぐるぐる歩きまわった。夜になって、仮設キャンプにいる仲間を見つけた。生き延びた命への最初の褒美は、1本のタバコだった。切り株に置き去りにされていたマルボロの箱からの1本だった。オメロは地面に腰を落とし、あぐらをかいた。コンパニェラ(仲間の女性)が、金時豆のシチューを差し出した。「アイ・ケ・コメール(食べな)」 そういうと彼女はオメロの前で手を振って、食べるよう促した。オメロは椀を押しのけた。オメロは彼女を「女パラミリタリー」と呼び、彼女に向けた反対運動さえやっていた。というのも彼女が、何日か前に、最後の石鹸を川に落としてしまったからだ。誰もが石鹸の大切さを身にしみて知っていた。「あっちゃー!」 オメロは彼女の不注意な行為を真似してみせ、みんなから笑いをとった。

 「食べてしまいな、あったかいうちに」 彼女がまた言った。オメロの服は引き裂かれ、泥まみれだった。オメロの青白い顔をじっと見つめると、彼女は涙をあふれさせた。この女パラミリタリーは信用ならないとオメロがはっきり示したので、わたしが彼女を好意的に見ることはなかった。1ヶ月前、彼女が料理当番だったとき、この日と同じ金時豆のどろどろしたシチューをつくった。「見てみろよ」 オメロがみんなに言った。「鍋の底に生理用ナプキンがあるぞ」 そう言うと、小枝をつかってそれをすくいあげた。「こいつは上澄みをすくって配ってたんだ」

 オメロはもう一本のタバコに火をつけた。女パラミリタリーがもどってきて、オメロの頭のてっぺんをサッとなでた。オメロは自分の考えに浸っていた。エルサが自分の服を川で洗っている。彼女は別のキャンプにいた。オメロの手がぶるぶると震えだした。エルサは死んだ。オメロは彼女をあの堀に置き去りにしたのだ。

初出:Narrative Magazine 2008年冬号 “Child Soldiers: Homero”

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