Bruce Duffie インタビューシリーズ(3)
音楽家と音楽業界を後押ししたスペシャリストたち
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❹ Paul Fromm
ポール・フロム
現代クラシック音楽に大きな功績を残した個人財団のパトロン。1952年に設立したフロム音楽財団を通して、20世紀アメリカの作曲家への委嘱をつづけた。またシカゴ大学、タングルウッド音楽祭、アスペン音楽祭などで、新しい音楽に公開の場をつくり、数多くの作品を世に送り出した。フロムは1906年、ドイツのワイン商の家系に生まれ、子どもの頃から音楽に親しんだ。1938年、ナチスを逃れてアメリカに移住。1987年、シカゴにて死去。詳細
インタビュー 1986年 4月 9日、シカゴのポール・フロムの自宅にて
(書き起こし:2009年、ブルース・ダフィー)
シカゴ郊外で育ったことで、わたしは行きたい音楽イベントに時を待たずして行けることを当然のことのように思ってきました。シカゴ交響楽団やリリック・オペラ(オブ・シカゴ)に足を運びました。そしてわたしの音楽教育が進むと、室内楽や新しい音楽イベントが、そこに加わっていきました。
こういった世界初演や最新の楽曲のコンサートが、特別熱心な聴衆の気を引きましたが、その中にわたしの知己となる年配の紳士がいました。その人は熱心な音楽ファンというだけでなく、もっとも良い意味で音楽のパトロンでした。単にコンサートに行ってそれを楽しむだけでなく、心を動かされたものに対してお金を投資しました。そして継続的に音楽を作り提供する人々に資金援助をしました。
その紳士とはポール・フロムです。彼の財団は、こういった考えに触発される人々や、それを理解する演奏の名手たちに、活力を与えつづけています。
フロムはシカゴに住んでいましたから、彼の広範囲に及ぶ旅の生活があったとしても、シカゴにいることは多く、1986年 4月に、シカゴ大学近くの彼の家に招かれたのは特別な喜びでした。わたしはWNIBのインタビュー・シリーズのことを話しました。彼は自分にとってあまりないこのような機会に参加することをとても喜んでいました。
以下がそのときのわたしたちの会話です。
*
ブルース・ダフィー(以下BD):わたしは音楽に関わっている人、それも生涯にわたって関わりつづけている人、というものに非常に興味をもっているんです。
ポール・フロム(以下PF):アメリカには音楽を朝食のシリアルのようにムシャムシャと食べる消費者がいるね。この人々にとって、音楽はエンターテイメントに過ぎない。でももっと積極的に音楽に関わる人たちもいる。で、パトロンの役割を定義してみようか。私は自分をパトロンだと思ってる。その意味するところは、音楽に関わる人のことであり、それだけでなく芸術的な精神を育てようとする人でもある。1938年にヒットラーに追われてアメリカに来たとき、戸惑ったね。ヨーロッパでは古い音楽と新しい音楽の分離があったから。ここアメリカでも同じだったけど、新しいものを加えられる可能性があった。聴衆は非常に保守的だったけれど、同時にアメリカでは芸術作品に商業的価値も見ていたね。「芸術性の高いものは、市場で地位を確保できる」といった当てにならない考えでね。(両者、笑)
BD:芸術的な音楽を市場に出そうとするのは間違ってます?
PF:いい質問だね。私はこれについてかなり考えてきた。まずは、聴衆に情報を提供し、啓蒙をすることから始めねばならない。私たちの聴衆は、まっぷたつに分裂するという被害者になってきた。20世紀の最初の頃、1910年ごろにそういうことが起きた。私が若かった頃は、みんな音楽を言語として学んでいた。音楽の歴史を一つの時代から次の時代へと、一種の進化現象として捉えていた。それぞれの時代はそれぞれの様式をもっていた。だからルネッサンス、バロック、古典、ロマン派とたどることができた。20世紀初頭には、後期ロマン派があったけど、突然それは終わってしまった。多元主義の時代が来て、12音技法からハードロックまで非常な広範囲に及んだ。その途上で、ミニマリズム、微分音的なもの、偶然性の音楽、ミュージカル、とありとあらゆるものが出てきたね。あるいはパフォーマンス・アートといったパフォーマンスの中で作曲するといったものさえね。一種のコンセプチュアル・アートだね。パフォーマンスとともに行なわれるものだ。今世紀初頭には、私たちは移行状態にあったわけで、でも今はそれを永続的なものとして受け入れている。リスナーにとって問題なのは、聴く人が自分の語彙(ごい)を失ってしまったことだ。20世紀初頭までは、音楽を聴けば、ある種の予想や期待ができた。たとえばモーツァルトね。彼には構文があった。モーツァルトがやらねばならいことは、すでにある構文を最高位まで高めることだった。しかし歴史的にみて音楽は常に革命的でもあった、ということも考えなければね。いつも成長していくものだから。
BD:音楽が常に成長することを望んでますよね。
PF:その通り。ギヨーム・ド・マショーまで戻ってみようか。知ったかぶりの学者たちの基準では、彼は法破りだったんだ。(両者、笑) ベートーヴェンもそうだね。だけどもっとも衝撃的な例をあげるとするなら、それはリヒャルト・ワーグナーだろう。彼は手にしているメソッドが、自分の音楽には役に立たないとわかっていた。それで彼は何をしたか。ワーグナーは自分の音楽のために新たな環境を発明したんだ。それがバイロイトでしょう? 彼は新しい楽器さえ発明して、ワーグナー・チューバみたいなね、人の声を使う新たな方法も生み出した。この概念を彼は「総合芸術」と呼んだ。それは劇場のことで、そこでは目で見て、耳で聞く。だから今日の新ロマン主義と言われているものについて言うなら、滑稽極まりないね。ワーグナーが投げつけたのは原子爆弾みたいなものだった。100年以上も前に、音楽界にそれを落としわけだ。
BD:その頃の面白いマンガがあって、音楽工場で爆弾が破裂して、音符がばらまかれたんです。
PF:そう、そう、そうだね。だからあなたが訊ねた私たちは聴衆を拡大すべきではないのだろうか、という問いに対して、そうするべきだという答えになる。とはいえ、自分の家を建てるとき、屋根から地下室へという順番では作らない。私たちは数は少なくとも音楽に精通する聴衆を啓蒙することから始めるべきだと思うね。彼らに情報を与える。より大きな差別化、より大きな内面的な成長の機会を与える、芸術性を高めていくことと共にね。あらゆる芸術を見てみれば、ダンスや詩とかもね。いつでも芸術はその時代のイディオムで表現をするものだ。それなのに何故、誰もこのルールを音楽に当てはめようとしないのか。私たちのもつ大きな上位機関が、大きなオペラハウスとか大きなオーケストラとかがね、完璧にチャンスを逃してきたと信じてるんだよ。聴衆を高いレベルにまで持ち上げるんじゃなく、知識のない聴衆の方へ降りていった。彼らが教養のない人たちだという意味じゃなくて、音楽的な面でいうと、言語能力が足りないということなんだ。誰も彼らに新たな言語を教えなかったからね。
BD:これはあまりに過激に違う音楽を差し出した、作曲家の過ちではない?
PF:過ちはないよ。創作に対して真剣な作曲家はみな、自分の考えや展望に即した表現手段を見つけなければならない。エドガー・ヴァレーズは、私たちは時代に遅れをとっていると言っていたね。聴衆が作曲家より先に行ってないということじゃない。自分の生きている時代の先を生きることはできないからね。でも聴衆は時代の背後にいる。
BD:では、聴衆はいつも遅れを取り戻そうとしているんでしょうか?
PF:そうだね。どうしてか話そう。聴衆が50年前に、ストランヴィンスキー、ベルク、シェーンベルク、ヴァレーズといった人たちの音楽を、同時代の音楽として聞いていたとすれば、今の音楽を聴く聴衆にとっての枠組みとなる。なぜならそこから徐々に、自分の時代の音楽につなげることができるからだよ。前にシカゴ交響楽団の新しいマネージャーのヘンリー・フォーゲルに話したんだけど(彼ははっきりとした意図をもった人間だね)、5年計画をやったらどうだとね。1910年に始まって、5年間かけて、いまの時代の音楽に達する。献身的な指揮者や演奏家が必要だ。ただ義務としてやるだけなら、音楽が人々に届くことはないだろうね。
BD:シカゴ交響楽団に、そういう人たちが何パーセントくらいいたらいいんでしょう。
PF:(笑)私はとても現実主義者でね。指揮者やマネージャーと仕事をする際、彼らはまず最初に、充分なリハーサルをする時間が取れないと言うだろうね。私たちの仲間はやりたくないんだ。だけど人気のあるソリストを演奏に呼ぶにはお金の問題がある。コンサートスタイルでオペラをやるなら、世界中から歌い手を集めることになる。そしていつもより4回多くリハーサルをして、多くの場合、現代の楽曲をやるには、さらに一つ追加でリハーサルをやるのが望ましい。指揮者はスコアを解釈してリハーサルにやってくるものと思われているが、そうでない場合もある。リハーサルで指揮者はオーケストラのトップにいるけど、その状態では演奏者との間で何も生まれようがない。もし現代作品を古典音楽に並べて置くなら、特に人気のあるソリストを迎えるのであれば、思っているよりずっと成功させることができる。これなら成功という公式はないね。
BD:でも、新しい作品を名作と並べるのは、いいことでしょうか? 比較されて、新しい作品が見劣りすることはないんでしょうか。
PF:いい質問だけど、その質問はこの質問で返すことができる。ベートーヴェンの『ウェリントンの勝利*』とストラヴィンスキーの『春の祭典』を並べるのはフェアだろうか?(両者、笑) ただ、あなたはいい点をついてるね。若くてまだ実力が認められていない作曲家を、いつも名作の横に置くことで、影を薄くさせたくはないだろう?
*『ウェリントンの勝利』:『戦争交響曲』とも呼ばれるベートーヴェンの楽曲。ベートーヴェンの9つの交響曲には含まれていない番外の作品。火器を使うなどの目新しさも現在は色あせ、ベートーヴェンの全作品の中で取り立てて存在感はないとされている。
BD:新作のすべてが名作であることを聴衆が期待するのは問題でしょうか。
PF:確かに問題だね。問題になることだと思うよ。名作について言うなら、19世紀まで戻ろう。あなたが非常に音楽をよく知る人だとして、私が「19世紀の作品から24の名作をあげてほしい」と言ったら、おそらく8つとか10、あるいは12、14あたりでつまずくんじゃないだろうか。
BD:たぶん、、、、、
PF:どの世紀にも一つや二つの名作はある、しかし音楽は永らえる必要のあるものだ。名作探しをしていれば、それに終始することになる。今日では、もちろん、他の問題も抱える。私たちは技術優先の社会に生きていて、芸術は人々の暮らしの中で、周辺的な役割を占めている。
BD:多くの生活では、そうです。
PF:またアーティストは、演奏以外のプロモーションなどに関知せず、閉じた世界の中に留まっている。
BD:食後のミント以上のものに音楽家をする方法はあるんでしょうか。
PF:それについて誇大な考えは持たないほうがいい、とは言えるね。もしどの指揮者も、どの演奏家も、自分の信じる作曲家の曲のみを演奏するなら、問題は解決するだろうね。
BD:ビーチャム*がディーリアス*にしたように?
*ビーチャム:トーマス・ビーチャム(1879~1961年)。イギリスの指揮者。1907年以来、作曲家のディーリアスと親交を結び、数多くの作品を演奏してイギリスのコンサート・プログラムに定着させた。(参照:Wikipedia)
*ディーリアス:フレデリック・ディーリアス(1862~1934年)イギリスの作曲家。自身の作品に他人の手が入ることを極度に嫌っていたが、ビーチャムのアドバイスが的を射ていたものだったため、ビーチャムだけを例外としたとされる。(参照:Wikipedia)
PF:その通り。ブルーノ・ワルターがアメリカにやって来たとき、彼はブルックナーの音楽を演奏した。当時ブルックナーは知られていなかったばかりでなく、評価もされていなかった。でもワルターは、今日の指揮者たちがやっているように、使い捨てとしてやらなかった。野球の用語で言えば、ヒット・エンド・ランだ、当て逃げだよ。(両者、笑) クーセヴィツキーがアーロン・コープランドのためにやったことを思い出してみてほしい。
BD:確かに。クーセヴィツキーは非常に多くのアメリカの作曲家を押し出しました。
PF:そうだね。ディミトリ・ミトロプーロス*にも触れたいね。彼がニューヨーク・フィルハーモニックと『ヴォツェック』をコンサート形式でやったとき(1951年4月)のことを知ってるだろう。あれは前衛作品だった。とはいえ『ヴォツェック』の初演*は1925年だったんだよ。当時も前衛的だったから、すでに聞いた人がいたことは、20世紀のクラシックであることを意味している。これまでで最も重要なオペラの一つとしてね。
*ディミトリ・ミトロプーロス:アメリカ合衆国で活躍したギリシャ人の指揮者・ピアニスト・作曲家(1886~1960年)。
*『ヴォツェック』の初演:舞台初演は1925年12月14日にベルリン国立歌劇場でエーリヒ・クライバーの指揮によって行われた。
***
BD:あなたは20世紀の音楽を聴いて楽しんでいると思うのですが。
PF:すべての音楽を楽しんでるよ!(笑)
BD:ではベートーヴェン、モーツァルト、ギヨーム・ド・マショーも楽しんでいる。
PF:もちろん、もちろんだよ。「20世紀の音楽しか聴かないね」と言う人がいるけど、私にはそういうところはないね。いい音楽というのはいつも、新しい作品の出現を認める。ベートーヴェンの交響曲がその人にとって新しいものでないなら、その人はあまり音楽的な人間ではないと思うね。別の言葉で言うなら、建築家でもあったカントはこう言っていた。「芸術を創造することは、必要を満たすことではなく、必要性の創造である」とね。そしてこう付け加えた。「もしベートーヴェンが第五交響曲を書かなかったら、誰も聞くことはない。しかしあの曲は存在し、そうなるともう、それなしに我々は生きることができない」
BD:しかしわたしたちが過去の曲をあまりに多く演奏すれば、新鮮さが失われます。
PF:それはそうだ。私はしょっちゅうコンサートにいくけど、そうすると大半の予測ができてしまう。で、そうなったら2、3年、休むのが一番だと思う。去年、私にそういうことが起きた。ジュリーニがベートーヴェンの第五を演奏するためにロスアンジェルスにやって来た。私はここ4、5年それを聴いてなかった。非常に刺激的だったね。もしシカゴ交響楽団がマーラーの第五を1年おきに演奏したら、私は少し待って、2年くらいしてから聴きに行くね。そうすればまた、新たな刺激的な音楽の体験となる。
BD:わたしたちはあまりに多くの音楽を手にしているのでは。だからモーツァルトのすべてを、ベートーヴェンのすべてを聞くことができない。新しい音楽もそうですが。
PF:そうだね、あなたは正しいと思うよ。おそらくあまりに多くのコンサートを持っている。どこかのオーケストラの定期会員になって、毎週木曜とか金曜、あるいは土曜日に聴きに行っていたら、ルーチンワークみたいな体験になってしまう。何かを期待して行くことがなくなる。期待に胸膨らませるような、そういう刺激にはならない。そこで出会うのは、木曜の夜の聴衆だ。多くの人は半分麻痺状態ですわってる。(両者、笑)
BD:来る前にご馳走をたらふく食べていれば、なおのこと。
PF:それと同時に、人々は日常生活の外にある何かを探してもいるんだ。
***
BD:あなたの財団は非常にたくさんの音楽を委嘱しています。
PF:ここまでに165作品の委嘱をしてきたね。
BD:財団とそれが成してきたことに満足していると言っていいでしょうか?
PF:ああ、個人的に大いなる満足感を与えられている、そのとおり。おそらくそれは錯覚で、少しだけ、いまある文化に貢献できているということだね。
BD:どの作曲家に委嘱するか、どうやって決めるのでしょうか。
PF:若くて才能ある作曲家に出会う道は難しいことじゃない。私たちは世に認められた先達となる作曲家と付き合いがあり、彼らには学生がいて、最も才能ある者を勧めてくれる。もし若く才能ある作曲家がいるとしたら、小さな町の教会のオルガン奏者から作曲を学んでいたのでは、チャンスはない。評判のいい音楽学校を探して、そこにどんな教師がいるか見つけることだ。私たちがやってるのはそういうことだ。つまりそれなりの作曲家と協力し、彼らの助けを借りている。
BD:ではあなたは、才能や可能性があるかどうか見極めるのに、地位を確立した作曲家をあてにしていると。
PF:私たちは経験ある作曲家に手紙を書いて、才能に恵まれた作曲家との出会いを求める。一人だけね。すべての学生の長いリストはいらないんだ。(両者、笑) それからその作曲家にスコアを送るよう依頼する。それをわたしたち9人の評者でまわす。中西部に3人、東部に3人、西海岸に3人のスコアの読み手がいるんだ。それは作曲家が使っている語法や様式に対しての見方が、評者の中で偏らないためだ。ミニマリストだからと言って、スティーヴ・ライヒを差別したくないし、セリー技法を使うからと言ってミルトン・バビットの生徒を排除したくはない。こんな風に、私たちは公平にやろうとしてるんだ。
BD:それ以外にも選ぶ方法はあるのでしょうか。著名な作曲家の生徒だからといって、自動的に委嘱をしているとは思えないので。
PF:いやいや、そういうことは絶対にないね。それはないよ。作曲家が誠実な気持ちから、生徒の一人を勧めてくることは自然なことだ。なんの地位もない、若く魅力ある作曲家をね。
BD:フロム財団の委嘱なしに、自らの道を歩む作曲家というのはいますか? あなたが押したかったと思うような人が。
PF:それはいるよ!(笑) 確実にいる! ロックフェラー財団や全米芸術基金、クーセビツキー財団、クーリッジ財団の存在を忘れちゃいけない。ただし、こうは言える。1952年に私の財団を始めた時は最先端に立っていた、その理由を話そう。設立当初、私たちは個人のアーティスト、個人の作品に関心を持っていた。組織や機関ではなくてね。今もアートはアーティストの元に返っていくものと思っている。
BD:あなたは作曲家に委嘱するだけで、演奏家にはしないんでしょうか。
PF:演奏家への委嘱はないけれど、室内楽の演奏家のために作品を書くよう作曲家に依頼することはよくあるね。それによって演奏家を助けている。
BD:その作品が演奏されるか確認すると?
PF:そうだ、そういうこと。別の言い方をするなら、演奏されないままになる作品を委嘱したことはない。それは音楽というのは、演奏されて初めて存在するものだからね。
BD:なるほど。作った曲を引き出しに入れておくのは意味がない。
PF:そのとおり。紙に書かれたものは美しいかもしれないけど、それを人が聞かなくては。
BD:あなたが委嘱をするとき、作品に何か期待をするんでしょうか。
PF:私たちが重要だと思っている技能であるとか、斬新性(オリジナリティ)といった一定の基準はあるね。そこから伝わる力、感情、人間的な表現といったものが引き出され、人に届くからだ。斬新性はどうしても必要というわけじゃない。実験室のテストじゃないわけで。
BD:作品に批判を加えたりしないんでしょうか。
PF:まったくしないね。まったくだ。誰かがもう一つの『千人の交響曲』(マーラー作曲『交響曲第8番』)を書きいとしても、批判はしないよ!(両者、笑) 作曲家にはたくさんの自由を与えている。締め切りも設けない。こうは言わないんだ。「6ヶ月で仕上げてほしい」とはね。私たちの委嘱作品で素晴らしいものの一つに、エリオット・カーターの『ダブル・コンチェルト』がある。1954年に委嘱したもので、仕上がったのは1961年だよ!
BD:「どれくらいで出来ますか?」とは聞いたことがない?
PF:ないね、まったく。彼は書く準備ができたとき、書くべきなんだ。他の作品に手をつけなかったというわけじゃないが、ダブル・コンチェルトを書くという委嘱をそのままにしていた。実際、非常に難しい仕事だ。だから書けるところまで行ってなかった。でも彼はそれができることはわかっていた。そして最終的に彼は曲を作り、それは言うなれば、最も成功した委嘱作品ということになった。
BD:曲を委嘱したら、あなたは最初の演奏を得ます。その後、2回目、5回目、20回目の演奏を押し進めようとするんでしょうか。
PF:(笑) それは馬を小川まで連れて行けるかという話だね。やるよ、もちろん。すべての作品が成功するとは限らないけど、それは問題じゃない。私たちは実際のところ、名作探しをしているんじゃないんだ。
BD:創造性を求めているだけ、と。
PF:そうだ、そういうこと。問題はオーケストラ作品の演奏なんだ。地位ある主要オーケストラからの演奏機会にほとんど恵まれていない。
BD:オペラの委嘱もするんでしょうか。
PF:やったね。エルンスト・クルシェネクによるオペラとか、レオン・キルヒナーのオペラとか、のちにそれを彼は『リリー』と名づけた。それはソール・ベローの『雨の王ヘンダーソン』という小説を元にしている。もうだいぶ前になるが、ヤン・マイエロヴィツの『エステル』というオペラも委嘱した。今は昔よりオペラが頼みやすくなってる。地域ごとにたくさんの歌劇団があるからね。それに質の高い音楽学校のオペラのワークショップもある。彼らは、素晴らしい演奏を舞台に乗せることがあるけれど、財団の初期には、1950年代のね、不可能なことだった。当時はサンフランシスコやニューヨークで、ここシカゴではリリック・オペラ・オブ・シカゴで上演された。アメリカのオペラはそれくらいだった。
BD:今日、あまりにもたくさんの演奏家を私たちは手にする機会を持っているのでしょうか。音楽学校は演奏家を大量生産しているように見えます。
PF:とてもいい質問だね、ブルース。あなたは正しいと思う。ヒンデミットの書いた本、『作曲家の世界』を覚えているかな。あれは彼がハーバード大学でレクチャーしたときのものだ。彼はこう書いてる。「アメリカで若い音楽家を教育しているこの速度でいくと、21世紀には毎秒1人の音楽家が生まれるだろう」とね。(両者、笑) あなたは突くべきところを突いている。去年、音楽学校に補助金を出す全米芸術基金の委員会で、私は疑問を呈した。あまりよく受け取られなかったと思うんだけど。補助金申請に目を通すと、質の高い音楽学校は非常に高い入学基準を持っていることは明らかだ。言い換えれば、2番、3番の志願者は受け入れないということ。
他の学校も生徒が必要で、そのとき感じたのは、そして確かだと思ったのは、あなたも賛成してくれると思うけれど、若い学生たちにもっと正直に伝える必要があるということ。「あなたには才能があるが、音楽家としてキャリアを積みたいなら、並外れた才能が必要になる。あなたが他の職業のために費やせる時間を、なぜ私たちはあなたを音楽学校に入れて、この先4年間教育すべきなのか。音楽が好きであることは問題ない。趣味の範囲で音楽を作ればいい。仕事としてではなくてね」 あなたの言っていることは正しいよ。私たちは音楽学校で多くの学生を教育することで、音楽の世界を人口過剰にしている。私には並外れた才能はないが、職業としてそれに関わる才能には恵まれた。子どもだったころ、ブルックナーからマーラーに至るまで交響曲のピアノ連弾用を、兄と一緒に弾いていた。でも自分の持って生まれた才能が限られたものであることは知っていた。知っていたから音楽の世界における最高のものを手にできた。つまり音楽をただ愛することだ。でもあなたは非常に正しいと思うよ。
BD:私たちが必要とするものですね。しかしながら、教育された消費者がもっと必要ですけど。
PF:最初のところで私が言ったことだね。まったくのところ、そのとおり、消費者にもっと知識をということ。なぜなら彼らは健全な音楽文化が発展するために、中心的存在になれるはずだから。
***
BD:音楽評論家の役割はなんでしょう。
PF:音楽評論家は間違いなくある地位を確保している、その理由はなぜか。評論家は新聞の読者の代表だ。つまり消費者のね。また意図せずに、その人間は地元機関の広報的な存在にもなっている。彼がシカゴ・トリビューンやシカゴ・サンタイムズ、その他の新聞に書けば、シカゴ美術館とかリリック・オペラ、シカゴ交響楽団とか、大きな認められた機関について厳しい批評は書けない。だからその地位にいるのは非常に難しいことだ。むしろ最高の批評、最も正当な批評は、小さな雑誌、ネイションやニュー・リパブリックといったもので読めるね。そういう風に私は感じてる。大きな新聞に異議があるわけじゃない。そういう立場は取らない。それは彼らに対して自律性とか独立性をわたしが持ってないとわかっているからだ。ニューヨークでは少し違うね。ニューヨーク・タイムズは、評論に限度を儲けてないからね。
BD:限界があるとしたらスペースですね、コラムの大きさという。
PF:確かにそうだ。あそこにはスタッフが7人いると思う。一番の問題は、私たちが、すぐに結果を求められる社会に生きていることだね。小学校のときからもうそうだから。大学に行く準備が整った学生の多くは、マーチングバンドに馴染みがある。それはフットボールの試合を見に行ってるからだ。クリスマス・キャロルを歌うこともできるけれど、音楽の教育は受けていない。
BD:週末に小さなロックバンドでアルバイトしているような人でもでしょうか? 彼らの方がましじゃないのか、準備ができてるとか?
PF:そうだね、でも彼らはおそらくクラシック音楽との関係はないだろうね。もしロックバンドなどで演奏するなら、すごく楽しいし気晴らしにもなる。でも音楽的な体験というのはそれ以上のものじゃないかな。
BD:ロックミュージシャンやロックの聴衆を、クラシック音楽の聴き手にする方法はあるんでしょうか。それをやってみるべきでしょうか。
PF:ロックの人たちはそれほど真面目じゃないのだろうか、と思うときがあるね。彼らは私たちがやってるように、音楽文化について話さない。私たちは商業主義にかなり侵されていると思うよ。シカゴ交響楽団はいま、日本と香港をツアー中だ。彼らは15のコンサートをやるけれど、すべてのコンサートは4つのプログラムから成っている。レコード化されて、完売したものだ。このプログラムには、20世紀の作曲家が(生存しているかどうかに関わらず)、一人もいない。昨日読んだ記事では、香港では1万人収容のスポーツ競技場でやったそうだ。ステージには60のアンプがセットされてね! そこでチャイコフスキーの『1812』『ロメオとジュリエット』『第4交響曲』が演奏された。チャイコフスキーは良い作曲家だが、この3作品のレコードはロビーでも売られていた。
BD:(笑) コンサートの体験をもう一度ってことなのか!(両者、笑) クラシック音楽の世界で、録音の果たす役割は何だと思いますか?
PF:とてつもなく重要だと思うよ。市場調査によれば、若い人たちは録音された音楽を聞いているんだから。
BD:しかし現代音楽はめったに録音されなくて、チャイコフスキーは何度も何度も録音されることは、いいことなんでしょうか。
PF:それはそうだ、もちろん。あなたはさっき音楽評論家のことを言ってたね。コンサートに行って、もう100回くらい聞いたベートーヴェンを、また聴き比べることに楽しみはないでしょ。楽しくもなければ、何の挑戦にもならない。冒険とか好奇心はゼロだね。
BD:このことは、また、聴衆と聴衆の新しい作品への興味のなさに戻ります。
PF:聴衆が受け取れるのは、人が聴衆の立場で受け取れるものだけだ。それはこちら側の指揮者とか演奏家に返ってくる。世界的な指揮者が献身的に、聴衆に向けて3分とか5分、なぜこの曲を演奏するのか説明したら、人々はついてくるよ。アメリカ人はオープンな、オープンマインドな人たちだけど、私たちが彼らを扱うとき、まるで小さな子どもにするような方法をとってる。私は娘が小さかったころ、毎晩、同じお話をベッドで聞かせなくちゃならなくて、一語たりとも変えることなくね! それが私たちがスタンダードなレパートリーでやっていることだ。私たちは聴衆を大人じゃなくて、まるで小さな子どものように扱ってる。
BD:それが気持ちの良いものになってしまってる?
PF:もちろんだよ。気持ちはいいんだけれど、そんな風に音楽を聞く体験というのは、意味あるものにはならない。演奏家は、私にとって耳新しいハイドンの交響曲を演奏することはできる。始終私が音楽を聞いていたとしてもだ。でもだからといって、その音楽がわたしの時代のものだ、とは言えない。
BD:では新しい作品と何年も演奏されていない古い作品のバランスは、どうとったらいいのか。
PF:私が一度も聞いたことのないハイドンの交響曲を演奏することは可能だ。しかしその同じプログラムにスタンダートなレパートリーを持とうとするだろうし、現代作品を押し込むことだってできる。ただしレパートリーとして残っていくようなものに限られるけどね。単に現代音楽を演奏して、「あー、これは価値ない作品だ、つまらないものだけど、貧しいものに手を貸さなくちゃね」と言うのはちょっと違う。何の成果も得られない。もし演奏家が本当に心を傾けるなら、繰り返し演奏したらいい。あなたが言っていたみたいに、ビーチャムがディーリアスにしたようにね、善かれ悪しかれ。
BD:そのとおりですね。シカゴ交響楽団はもちろん、ネッド・ローレムの曲をやってますし、最近はドナルド・アーブによるものも、、、
PF:ちょっと待って。彼らはスラットキンがセントルイスからやって来るときだけ、ドナルド・アーブをやる。スラットキンがセントルイス交響楽団のために委嘱したからだ。ネッド・ローレムの『オラトリオ』をやるときは、マーガレット・ヒルズ*が指揮するだろう。ゲオルク・ショルティが自分の信じる作品をやるときは、自らの地位をかけてやるはずだ。私が言いたいのは、ショルティがその作品に深い信頼を置いているなら、マーラーやブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスをやるように、2、3シーズンおきに演奏すべきだね。彼の聴衆にあの曲をなじませる必要があるからだ。新しい曲は、1回聞くだけでは足りない。
*マーガレット・ヒルズ:イギリスの教師、フェミニスト、社会主義者、女性参政権の組織者で、女性最初の指揮者とされる。1882 – 1967年。ヒルズが『オラトリオ』を委嘱したわけではないが、この作品がコーラスをもっているため、コーラスを得意とするヒルズは、この作品を独占的に指揮していた。
BD:足りないでしょう、当然ながら。何年か前のニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートで、バーンスタインがコンサートの前半が終わったところで聴衆に向かってこう言いました。「さっき演奏した新しい曲をもう一度やります。休憩を取りたい人たちはそうしてください」 こう言ってその曲をまた演奏したんです!(両者、笑)
PF:バーンスタインはハーメルンの笛吹きだ! 彼は楽器を演奏するみたいにして聴衆を操ることができる。
BD:いいことでしょうか?
PF:高いレベルのことだと思うね。私は彼にとても敬意をはらっているんだ。それは現代音楽において、最も優れた演奏家の一人だと思うからね。ときに彼の振る舞いにはがっかりさせられるけどね。聴衆をまるで子ども扱いするからだ。ただもって生まれたものを見ると、私の知る限り比べるものがないね。彼がリハーサルをするのを見たことがあるけど、完璧にスコアをやってるね。ある種の天才だ。何年か前に社交の場で彼と会ったとき、ゲーテの『ファウスト』について話し合った。彼はそれを暗唱をするんだ。マーラーが第8交響曲で使ったところだけじゃない。彼はマーラーの「救済」を研究していたから、それを取り出したんだ。写真のように正確な記憶力がある人だね。
BD:音楽は詩や美術などの他の芸術とどのように関係をもったらいいのでしょうか。
PF:私の考えでは、アーティストのコミュニティと呼ばれるようなものがあったらいいね。音楽家がダンサーと、詩人と、画家と、彫刻家と交流するといった。今はアーティスト間の分断だけでなく、作曲家同士の分断もある。とても残念なことだ。もし彼らが互いの存在の必要性を理解するなら、未来の聴衆のための中核となれる。しかしそれと同時に、あなたの質問に答えるなら、私が考えるかぎり、一つの芸術様式に興味をもつ人はみな、他の芸術様式に対しても敏感で、繊細な反応を示すものだと思う。
BD:ではシカゴ交響楽団を聞きにいく聴衆は、シカゴ美術館にも行くべきでしょうか。
PF:自分のことを例にとりたくはないけれど、こう言うことはできるかな。まず学校に行くね。1週間に2度、私はシカゴ美術館の学校に行ってる。月曜と木曜の午後だ。一つは「芸術と心」と言うコースで、それはコンセプチュアル・アート、あるいはパフォーマンス・アートについてだ。もう一つは「芸術と富」と言うコース。音楽と富は直接的な関係性がある。「ビジュアル・アートにしか興味がない」とか「詩にしか興味がない」と言うべきじゃないね。
BD:それにも関わらず、たくさんの分断があると。
PF:明らかにそうだね。全てを一つに束ねるような、美学的に確かなカルチャーというものがない。と同時に、全てのアートは個々の人間の心から発生する。制度やマネージメントを組織化するように、アートを組織化することはできない。
***
BD:あなたがニューオリンズでやったレクチャーを2、3ヶ月前に読みました。女性作曲家についてのものです。女性の作曲家にとって時期は熟してきたんでしょうか。
PF:そうだね、熟している。教育と関係があるね。ロー・スクールに行けば、30%、40%の学生は女性だろう。医科大学についても同じことが言える。音楽学校のオーケストラに行けば、今は、3分の2は女性メンバーだ。これは教育の機会と関係しているし、男子学生は、同じ教室で学んでいると、女子学生がただよくできるというだけではないという現実にさらされることになる。(両者、笑) 私たちは男性作曲家と同じレベルで競争できる女性の作曲家を手にしてる。しかしそういう人たちにとっても、教職がなかったら、行くところがないんだ。アメリカとヨーロッパの違いだね。ヨーロッパには、政府が支援するクラシック音楽を流すラジオ局がある。多くの人が聞いていないとしても、作曲家にとって出口がある。多くのラジオ局がクラシック音楽を流すから、楽譜を出す出版社がもてる。ここアメリカでは、作曲家はカレッジや大学によって動かされている。経済的な援助のためにね。
BD:このことがフロム財団が委嘱をやろうとする理由の一つなんでしょうか。作曲家がたとえ一定期間であっても、他の仕事なしに作曲に専念できるという。
PF:それを引き受けるには野心が過ぎるし、壮大過ぎる。私たちは大きな財団と比べたら、実に貧しいわけで。私たちがやっているのはほんの起点になるプロジェクトで、環境形成のための手本として、促進としてのものだ。そこでアーティストが花開くことができるといったね。それと同時に、1952年以来の経験を振り返れば、私たちが作品を委嘱した多くの若い作曲家たちは、作品の成果として、その作品が成功したことで、カレッジや大学の教員になっている。つまり結果としては、二次的な利益が得られているわけだ。
BD:作曲家にとって、日々教える責任をもつことは、自分の作曲をすることと同じように良いことなのでしょうか。
PF:教師の職についたら、その人は学者たちのコミュニティの一部となる。学究的なこと、自分のスコアで成果を見せたいと思うようになる。自分の書くものの正当性を見せる必要がある。またそれを学内で演奏もするだろう。一般社会に最初に顔を出すのではなくね。と同時に自分が需要のある演奏家でないなら、素晴らしい機会にもなる。他に何ができるのか? 教える必要がある。作曲だけでやっていける作曲家がアメリカにいるのか、それを言うのは難しいだろう。あのコープランドですら、今はもう年老いたけれど、指揮者として金を稼ぐ必要があった。ストラヴィンスキーだってそうだ。誰が今、フリーランスでやっていけてるのか。エリオット・カーターは、私の知る限りでは、経済的に自立している。それくらいじゃないのか。それと同時に、自分が作曲家であれば、どんな環境下でも作曲をする。自らの内なる欲求として作曲をする。抑えることのできない衝動があるわけだ。
BD:演奏家でもある作曲家というのは、より良い作曲家、あるいは演奏家なのでしょうか。
PF:いい作曲家というのではないけれど、私の経験では、演奏をする作曲家は曲を聴くとき演奏家の耳で聞くね。彼らの音楽は、思うに、より伝達性があるんじゃないかな。
BD:あらゆる委嘱作品の中で、あるいはここ数年の間に耳にした新しい音楽の中で、個人的にあなたがまったく好きになれなかった曲というのはありますか?
PF:誰であれ、他より好きな音楽というのはある。それと同時に、委嘱をしたら、自分の子どもの中でどの子が好きか言わない親のような気分じゃないのかな。(笑) 違う? 公平にしようとするんじゃないの?
BD:ちょっとばかり混ぜっ返そうとしたんですよ! 好きになれない曲があるんでは、、、
PF:ただ一つ現実的な秤があって、それは時間の経過と聴衆の受容だね、一世代あと、二世代、三世代あとにね。
BD:ではあなたにとって、初演のときに演奏が失敗することも、問題じゃないんでしょうか。15年、20年、30年先に、それが成功するか待つのか。
PF:信頼があるかどうかだね。しかし失敗は一時的な失敗かもしれない。オスカー・ワイルドの話を知ってるんじゃないかな。彼がロンドンで初演したとき、まわりの人が彼に聞いた。「作品の出来はどうでした?」 彼の答えはこうだ。「作品は大成功、でも聴衆が受け取り損ねた」(両者、笑)
BD:もちろん聴衆の好みは始終変わります。
PF:あー、そうだね、もちろん。でも聴衆だけじゃない。音楽学者も変わる、過去の音楽への評価においてね。
BD:聴衆はいつも正しい?
PF:聴衆が音楽を判断するとき、彼らは正しい。しかし聴衆も、後世のために判断することはできない。なぜなら後世の人々は自分たちで判断するからだ。この点について、私たちはおせっかいはできない。望める唯一ののことは、音楽が演奏されること、それによって独り歩きしていくものだ。
BD:多くがそうなっていることは、嬉しいですね。もっとそうなってほしいし。
PF:そうだね。私たちは未だ演奏されていないたくさんの20世紀の音楽を手に、21世紀に入っていくわけだ。だけど未来の世代の管理人になることはできない。大事なことは、生きている音楽の流れを枯らさないことだね。私の財団について考えると、私たちの貢献というのは、私たちの活動を心から信じている作曲家との個人的な関係があること、それが非常に重要だね。制度や組織ではないんだ。
BD:もしあなたが無限の資金を手にしたなら、何か違うことをしようとするでしょうか? それとも変わらないのでしょうか。
PF:おそらくさらなることをしようとするだろうけど、問題に対して金をつぎ込んだら、問題が解決されるということではない。全米芸術基金は違いを作ってきたね。彼らは特別な委嘱をしている。六つの演奏家集団に同じ作品を演奏させるというね。
BD:それは大きなオーケストラのためのものでしょうか?
PF:大きなオーケストラと小さなもの、室内楽のアンサンブルもだ。
BD:あなたは未来の音楽に楽観的でしょうか?
PF:過去のことを考えるなら、「古き良き時代」というのはいい時代じゃなかった!(両者、笑) フランスの詩人、ポール・ヴァレリーはこう言った。「未来には昔の面影などない」とね。
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BD:あなたは人生のすべてを音楽を聞くことに費やしてきましたね。
PF:私は今年80歳になるんだけれど、ここまでの65年間は聞きつづけてきたと言えるね。
BD:演奏家は変わってきたのたのでしょうか? 今の演奏家は以前よりいいんでしょうか?
PF:今の演奏家は、ずっといい演奏をしているね、それはより良い教育を受けているからだ。私の時代には、音楽学校で若い学生にこう言っていた。ピアニストになりたいなら、チャイコフスキーのピアノ協奏曲をどう弾くか学ぶことだとね。キャリアをつくるための楽曲なんだ。あるいは若いヴァイオリン奏者であれば、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を学んだ。そして世の中に出ていって名をあげるわけだ。いや、今や教育はずっと洗練されてきたと思うね。私がまだヨーロッパにいたころは、学生たちは、音楽はリヒャルト・シュトラウスで終わりを迎えたと信じさせられたものだ。
BD:作曲家たちはいかがでしょう。今の作曲家は優れているのか、それとも単に違うだけなのか。
PF:今の作曲家は違うね。どの時代も、天才と職人肌の比率は同じじゃないかと思うけど、どちらも必要だろうね。
BD:あらゆる音楽様式をとおして、継続する1本の線というものはあるんでしょうか?
PF:音楽はいま、多様性の時代を生きているわけで、もうそれはないね。作曲家にとってもさらに難しくなっている。自分のスタイルを多かれ少なかれ発展させなければいけない。一般的な方法論というのはないし、普遍的な音楽言語ももはや存在しない。それによって音楽が聴衆の楽しみから離れてしまうことにもなる。
BD:これはこれからも続いていくと思われる傾向なのか、それとも変わっていくものなのか。
PF:拡大するんじゃないだろうか。ブーレーズはご存知のように、新たな普遍性のある音楽言語を発展させることに力を注いでいる。それが可能なのか、わたしは疑問をもっている。わたしが心から思うのは、私たちは非常に好みの違う聴衆のためのたくさんの音楽を手にしている。そのこと自体は悪くない。音楽の歴史の中で、大きな集団となる聴衆を手にしたことはないからだ。ベートーヴェンの時代に、どれだけの人が彼の後期の作品群を聞いていただろうか? どれだけ多くの人が聞くかは重要ではないと思うけど、人々が強烈な音楽体験をもつことは重要だね。
BD:音楽がバラバラになるとは思ってないでしょう?
PF:それはない!(両者、笑) 音楽の歴史のはじまり以来、それはなかったし、今後も起きないよ。しかしながら、巨大な音楽の機構や仕組(施設)は変わる必要があると思うね。ブーレーズがエバンストンのノースウェスタン大学でコンサートをしたとき、思ったことがあった。新しい音楽というのは、新たな音楽環境が必要だとね。24人の室内楽の演奏家が真ん中で演奏して、それを取り囲んで私たちはすわっていた。ソリストたちは隅の方に追い散らされていた。自分のからだが置かれた環境によって、音楽が違った風に聞こえたんだ。また音楽の機関(施設)は変わらなければならない。すでに若い聴衆を失っているからだ。私がコンサートに行くとき、たいていの場合、私が子どもの頃聞いていたものと同じだ。別の言い方をするなら、19世紀末期に演奏されていたものと変わらないわけだ。前座の演奏があって、豊満なソリストによる豊満なコンチェルトが演奏され、そして伝統に則った交響曲で終わる、あるいはシュトラウスの交響詩でね。これは変わらなくちゃ、そうじゃなければコンサートホールは墓場と化す。
BD:つまり人々は美術館から墓場へと移動する?
PF:いい美術館というのは、いつもアートを見せてくれる。20世紀という時代を無視することは許されない。変わらなければいけないものだと思うね。
BD:ではあなたの作品委嘱はこの変化を助けるんでしょうか?
PF:そのような壮大な考えはもってないよ。(笑)ブーレーズが若かったころ、こう言っていたね。「新しいオペラを手にしたいなら、すべてのオペラハウスを焼き払って、建て直さなければ」とね。ルチアーノ・ベリオも同じようなことを言っていたよ。
BD:わたしが彼にインタビューしたとき、最初に聞いたのが、20年前に彼が望んだように、オペラハウスのすべてが吹き飛ばされなかったことを喜んでいますか、という質問でしたけど。
PF:何と言ったのかな、彼は。
BD:自分の書いたあらゆるものより、あのコメントはずっと評判になった、と言いました。(両者、笑)
PF:たとえばニューヨークのメトロポリタン・オペラに行くとしよう。あのような19世紀然とした音楽施設のために、今の時代の感覚や心象を表現する様式の作品を書くことは、非常にむずかしいね。
BD:あなたの言うところの時代遅れのコンサートホールやオペラハウスのために、今日の作曲家が作品を書くのは悪いことでしょうか?
PF:悪いとは言わないけれど、作曲家に対して提供できる最高の環境だとは言えないね。ブーレーズがニューヨーク・フィルハーモニックとやった演奏会ね、彼はラグ・コンサートというものを成立させた。素晴らしい成功だったね。私も何回か行ったし、若い人々が来ていたけれど、それは定期演奏会に来ているような人たちではなかった。連夜、すごく寒かったけど、人が溢れていたね。
BD:成功だったんですね。
PF:非常にね、来ていた人を興奮させたし、普通のコンサート・ホールでは体験できないことがあったからね。
BD:わたしが望むのは、今ある伝統的なものをすべて壊すことなく、必要な変化を生めたらということなんですけど。
PF:まあ、壊すべきではないだろうけれど、ただ私たちは伝統の意味を理解する必要があるね。伝統というのは、単に保護し保存するということではない。発明がなくては。そうでないと続かない。
BD:ではいい伝統と、悪い伝統があるのでしょうか?
PF:それはそうだ、もちろんだ。あなたが作曲家で、ベートーヴェンの様式で曲を書くとしても、ベートーヴェンの場合は、自分の音楽を書くだけでよかった。(知られているから)広める必要はない。
BD:では、ベートーヴェンのスタイルで書くことは大きな間違いであると。
PF:そのとおり。それでも良いアーティストというのはみんな、自分が受けた伝統を前に推し進めようとするね。誰にも父親がいるってことじゃないかな。
BD:それはそうですね、確かに。あらゆる音楽をひとつにするより糸のようなものはあるのか。
PF:あー、それはあるね、確かに。
BD:たとえそのより糸の先端が、バラバラに裂けていても?
PF:そうね、そうであっても、何百年も前からの音楽の伝統から発生したものだね。
BD:ロックンロールでさえも?
PF:ロックンロールにも歩いてきた道がある。そうであっても、何もかもを同じうつわの中に投げ込むわけにはいかない。ロックンロールには違う役割がある。若い人々をとても沸き立たせている。性的な歓喜を含む、熱狂を生むものだね。そこには違う意味合いがある。また、倫理観がそこに置かれることもない。ロックンロールにはそれなりの根拠がある。クラシックの作曲家の中には、中でもミニマリストたちは、ロックンロールから短いパターンを受け継いでいる。何度も何度も繰り返すことで、ある種の狂気を呼び込んだり、催眠効果を与えるね。あらゆるものが、他のあらゆるものと関係をもつ、という昔からある話だね。(笑) 新しいものは何もない。先例がないと思ったことも、新しくはないんだ。もしそれが真に新しければ、誰にも通用しないからだ。
BD:たっぷりといろいろお話いただいて、また音楽への財政的な支援についてとても感謝しています。
PF:ありがとう、ブルース。あなたと話すのは楽しかったですよ!
ポール・フロム(1906~1987年)
子どもの頃からの音楽好きで、兄弟で連弾を楽しみ、ドイツの現代音楽祭に参加したりしていた。1927年にフランクフルトでストラヴィンスキーの『春の祭典』を聴いたことが、自分を20世紀の人間にした、とのちに語ったという。家族のビジネスであるワイン商を継ぐ決意をしたのちも、現代音楽への支援に身を捧げた。1938年にアメリカに移住、1940年にワイン会社(Great Lakes Wine Company)をシカゴに設立した。1944年にアメリカ市民となったが、ドイツ語なまりのしゃべり方はよく知られ、親しまれていた。作曲家のラルフ・シャピーは、ハイドンのパトロンになぞらえて、フロムを「20世紀のエステルハージ」と呼んでいた。シャピーによると「彼はわたしたちを信じ、またわたしたちに自分を信じるよう勇気づけてくれた」という。
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