ピアノとピアニスト
Bruce Duffie インタビューシリーズ(4)
ラン・ラン(郎朗)| Lang Lang
中国出身のピアニスト。1982年生まれ。幼少時からピアノを習い、14歳のとき父親とアメリカに渡り、カーティス音楽院でピアノを学ぶ。17歳のとき、ラヴィニア音楽祭でチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』を代役として演奏。それをきっかけに、アメリカのみならずヨーロッパでも注目を集めるようになる。
このインタビューはラン・ランがまだ20歳のときに、シカゴで行なわれたものです。以来、ラン・ランは芸術性においても音楽の理解に関しても、大きな進歩を見せてきました。とはいえ、まだ若かった当時においても、自信にあふれ若々しい見識を見せていました。
以下に2002年の秋のわたしたちの会話を記します。(2020年 ブルース・ダフィー)
・ピアノは友だち、デュエットみたいな関係
・ピアノはシンフォニーであり、オペラでもある
・ひらめきを感じたら、聞いたそばから弾いていく
・中国の音楽を世界の舞台に乗せたい
・国や言葉が違っても、みんな同じ魂をもつ人間
・6000人の聴衆前で、魂とハートを感じた
・若い世代のために、バーンスタインの仕事を受け継ぎたい
ピアノは友だち、デュエットみたいな関係
2002年10月11日、シカゴにて
ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは街から街を渡り歩き、次から次へとピアノに出会っています。ピアノの前にすわってから、どのくらいの時間でそのピアノは自分のものになるんでしょうか。
ラン・ラン(以下LL):いい質問ですね。まずピアノの状態をなるべく早く知ろうとします。集中して、ピアノからインスピレーションを得ようとするんです。それがいつもやることです。ときに馴染むのに時間がかかってしまうこともあります。で、ピアノに馴染んできたら、何か弾いてみて、手慣らしをします。それによって心がほぐれます。つまり音楽の流れに身をまかせ、その音楽に浸るんです。
BD:フレンドリーに感じるピアノもあるんでしょうか。
LL:そうですね、自分の内面とうまく調和するピアノがありますし、他のピアノと比べてより身近に感じるものもありますね。
BD:ピアノとできるだけ協調したいのに、ピアノがちゃんと反応してくれなかったらどうするんでしょうか。
LL:そういうときはさらに調整する必要がありますけど、何とか自分に近づけようとします。
BD:弾いたとたんにピッタリくるピアノはありますか。
LL:はい、あります。わたしは中国から来ているので、他の人と少し違うと思います。小さかった頃は、もうとても悪い状態のピアノを弾いていて、でもそれをいいピアノだと思っていたんです。いいピアノというものを知らなかったので。そういうピアノで10年間レッスンを受けていたので、基本的にどんなピアノでも弾けますよ。とてもいい教育を受けたってことですね。
BD:これから出てくる若いピアニストはみんな、状態の悪いピアノを弾いてみたほうがいいんでしょうか? そうすれば問題を解決できるようになるから。
LL:ヨーロッパやアメリカはとても豊かな国ですから、そうするのは難しいんじゃないかな。でもときに悪い状態のピアノを弾くことはいいと思います。どんな音がするか、どんな感じなのか知ることができるから。そんな状態の楽器でも、音楽を生み出すことはできるってね。
BD:そんな楽器でも、本当に音楽を生み出すことはできる???
LL:(にっこりして)できますよ。
BD:では音楽はあなたの中にあるんですね、ピアノの中にじゃなくて。
LL:そうです。デュエットみたいな関係かな。まず自分が何をすべきか知ること、それから友だちであるピアノに話しかけます。(笑)
BD:あなたとピアノと作曲家ということでしょうか。
LL:そのとおりです。わたしにとって一番重要なことは、まず作曲家に尊敬の念をもつこと。それからできる限り、楽曲がもつ内面性や意味を探します。そしてその時代の社会について考えます。歴史的なことを知るのはとても大事です。作曲家が住んでいた国々に行くのが好きですし、行ってその街を歩いて、どんな建物があるか見たりします。それは音楽も建物のような構造を持っているからです。ドイツのボンだとか、オーストリアのウィーンを歩いているとき、わたしがそうであるように、他の人も作曲家がそこから美しさを得ていたと感じるのではないでしょうか。
そうすると大きな構造が見えてきて、そういうことを知るのはとても大切ですね。誰も感じたことのない新たな道をどうやってつくるか、そこから考えはじめます。誰も見つけていないものを発見することは大変なことです。毎日のように何かを発見するような、知性のある人々はいつも存在しますから。それでも、聴く人が特別なものを見つけられるようなものを、手にしようと努力します。聴く人はメロディはよく知っていいても、そのような演奏は聞いたことがないといったね。
BD:新しいものをいつも見つけることは、あなた次第?
LL:毎日新しいことを発見するのが好きですけれど、楽曲の中に何か見つける人というのはたくさんいます。昨日、わたしは何も見つけられなかったかもしれない、でも今日はとても新しい発見があるかもしれない。そうなったらとても幸せです。もし毎日のように新鮮な気持ちで、適切なときに、適切な構造で、適切な気分で新しいことができたら、とても素晴らしいんじゃないでしょうか。
BD:そうやってあなたは作曲家が曲に託した新しいものを見つけます。ではあなたも、自分自身をそこにつぎ込むんでしょうか。
LL:作曲家はこちらにひらめきを与えます。それをこちらは自分のからだの中で変換します。まず作曲家の魂を取り込む必要があり、と同時に(それは自分の手であり心ですから)そこにはエネルギーも存在します。といっても、もちろん、作曲家の考えや意向も手にします。そういったすべてを一つにするわけです。
BD:あなたは演奏のたびに、新しいものを発見すると。すべてをその曲から吐き出してしまった、というときは来るんでしょうか。
LL:発見にはたくさんの時間がかかります。ある楽曲ではたくさんのことを見つけられても、すべてを取り出すことはできません。今はもう生きていない作曲家たちがいます。その人々についての本を読むことはできるし、曲の解説もです、でもさらなる時間がいります。ある日、わたしはすべてを取り出すかもしれないけれど、さらにそれを続けます。とても助かっているのは、わたしにはわたしを助けてくれる偉大なメンターとなるピアニストの方々、そして指揮者の方々がいます。マエストロ・バレンボイムであるとか、エッシェンバッハさんといった人たちです。そういった方々に出会えて、とてもとても幸運でした。
BD:ではあなたは何であれ、どこであれ学べるだけ学んでいると。
LL:そうですよ、ほんとにいつでも、どこでもね。(両者、笑)