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Oscar

Ghiglia

オスカー・ギリア ギター奏者

イタリア出身のギタリスト。父と祖父が著名な画家、母がピアニストという芸術一家に生まれる(1938年~)。子どもの頃は絵を描いていたが、のちに音楽が自分の道と気づく。19歳のときセゴビアに師事。Bio →

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ブルース・ダフィー*インタビュー・シリーズ(2)

●クラシックの変わり種、マイナー楽器の奏者たち●

<1998年4月15日、エヴァンストンにて>

 

ノースウェスタン大学で年に一度行なわれる、オスカー・ギリアの演奏会と授業の機会に組まれたインタビューです。2、3週間後に彼が60歳の誕生日を迎える時のことで、そのときは録音の一部がClassical 97で放送されました。そこから20年後、彼の80歳の誕生日を祝って、わたしのウェブサイトでインタビューのすべてを公開することになりました。

 

 

ブルース・ダフィー(以下BD):ここ最近、ギターを教えることやギターという楽器の認識において、変わったことはあるんでしょうか。もしあるとしたらですけど。

 

オスカー・ギリア(以下OG):あらゆる面で発展してきたね。多くの発展があるね。わたしがギターを始めたころは、先生は独学の人だったけど、今は誰もが5人や6人の先生に教わってるでしょ。ヨーロッパで多くの音楽学校が開校したことは、とても重要だったね。1954年にまずローマにできて、その2、3年後にはマドリードにもできた。そして1964年にはアメリカで大きなことが起きた。セゴビアがカリフォルニア大学バークレー校に来たときのことで、4、5週間のマスタークラスをやったんだ。そのときわたしはアシスタントに指名されたよ。

 

BD:ではその時点であなたはすでにそのレベルに達していた?

 

OG:わたしはたくさん演奏していたし、コンセルヴァトワールを卒業していた。同時に、わたしは賞を取っていたでしょ。パリで1963年に非常に重要なコンクールで優勝して、最初のレコーディングをしたんだ。キャリアの始まったところだったね。それから1964年には世界ツアーがスタートした。バークレーでの仕事の後に、さらに西へと旅して日本へ、それからヨーロッパへ戻った。

 

BD:ギターと音楽を友に、そうして世界をめぐる生活はお好きでしょうか。

 

OG:すごく好きだね、今も好きだよ。人が経験することの中でも、一番刺激的なことじゃないかな。同時に、イギリス人の同僚のジョン・ウィリアムスが家にいる方が好きなのも理解できるよ。理由は彼はいろいろ持っているからだ、お金も含めてね。でもわたしはと言えば、世界中をまわる生活で、ここ(シカゴ)みたいに、長年の友だちがたくさんいるわけだ。

 

BD:じゃあ、行く先々で友だちを作っているわけですね。

 

OG:そのとおり。難しいのは才能を作る方だよ。そっちはなかなかできるもんじゃない。

 

BD:行く先々で、あなたはギターのために友だちを作るわけですか。

 

OG:ギターと共に、ギターを通して、ギターのために。多くはギター奏者だしね、まあ科学者の友だちもいるけど。でも音楽と何らかの関係がある人たちがほとんどだね。

 

BD:マスタークラスをやるときは、当然みんなギター奏者なわけで、楽器や音楽について学ぶために来てるわけですよね。一般の聴衆に向けてコンサートをするのと、どう違うんでしょう。

 

OG:そりゃずいぶん違うね。一番大きいのは、授業では演奏者が自分の目の前にいるってことで、それはすごく大きな違いだね。それ以外の点では共通点はたくさんあるよ。(クラスでは)演奏者の曲への理解力を最大限に引き出して示す必要がある。それはステージで演奏する時にすることと同じだね。どういう種類の聴衆かは関係ない。聴衆というのはみな聴衆だ。ある種の聴衆は少し特別ではないか、と信じていたことがあった。南米で演奏するときなどね。彼らはラテン音楽が好みだといつも感じてきたし、ドイツで演奏すれば、19世紀の音楽が好きなんだろう、とね。ある意味、真実ではあるけど、そればかりやってるわけにいかない。人は自分のできることをどこであれする、そして聴衆はそれに関わろうとしてくる。生徒と同じだ。好奇心を分け合うわけだ。価値を分け合い、どちらの場合もそこで何か起こそうとするわけだ。

 

BD:音楽に関する何かを、それともなんであれ?

 

OG:音楽を通して表現されることで起きる何かであって、音楽行為そのものではない。わたしは音楽は科学の片割れとは思ってない、そこには音楽のみがある。科学でさえ哲学と関係あるときに、なぜ音楽が人生と関係ないと言えるのか。

 

BD:では音楽とは何です?

 

OG:音楽??? 音楽が何か、わからないね。それは言葉抜きで表せるものだからだよ。そこでは言葉は役に立たない。それについて語ろうとして、話しはじめたところで、言葉はいらないと気づく。聞きたいと願う人同士を結ぶものであり、音楽体験からにせよ、人生の体験からにせよ、一つの同じことを表している。人生の経験によって得た印象は、のちに言葉に変わり、あるいは音楽体験になる。それが唯一の音楽を価値あるものにする道なんだ。お金を作る手段ではない、マイケル・ジャクソンやその種の人たちを除けばね。そうじゃなくて、人生の表現なんだ。

Music???  I don’t know what is music because it’s something that expresses itself without the need of words, and for which words are useless. 

BD:マイケル・ジャクソンがそうしてるみたいに、自分のコンサートにたくさんの聴衆を呼び寄せたいですか?

 

OG:そこには別の問題があるね。ギターに増幅装置をたくさん付ける必要が出るだろうね。

 

BD:あなたの音楽はあらゆる人のためのものでしょうか。マイケル・ジャクソンの聴衆も含めた。

 

OG:

ポップミュージックのコンサートに行ったり、ナイトクラブに行ったりする人たちは、クラシック音楽に対しても聞く耳をもってるんじゃないかと思ってるんだ。スター演奏家が舞台にいるから、そこにいるんじゃなくてもいいんだ。演奏をしなくたっていい。歌わなくたっていい。ただそこにいればいい。ある意味、それと同じことを我々もしようとしてる。そして結局は同じことをしてるとわかる。

 

演奏家が演奏しているとき、人々はその人を好きなる。やっていることが何であれ、彼らは好きになる。演奏後に今日はあまりいい出来じゃなかった、と言うことだってできる。あるいはしようとしていた演奏にならなかったと言ってもね。聴衆は何か好きになるものを必要としている。だから彼らがそれを良しとすれば、悪いことじゃないんだ。

 

BD:(ちょっとしたショックを受けつつ) 自分がよくない演奏した夜に、聴衆をかつぐんでしょうか。

 

OG:(ニッコリとして) ときにはね、でも悪いこととは思ってない。なぜかと言えば、聴いてる人たちが何を好むかは、わからないからだよ。芸術的な体験というのは、人々に自分自身を愛するチャンスを与えることなんだ。だから人々が自分自身を愛することになれば、彼らは称賛して拍手を送る。もしわたしがその要因であれば、あるいはそうなる助けをするのであれば、それはさらにいいことだね。でもわたし自身も、自分を愛さねばならない。できることもあれば、できないこともある。

An artistic experience is a chance that you give people to like themselves, so if they end up liking themselves they applaud. 

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BD:すべてが一つになって押し寄せて、すべてがうまくいく、というコンサートはあるんでしょうか。

 

OG:そうなれば、素晴らしいことだね。

 

BD:完璧にことが運んだことはありますか?

 

OG:それについてはわからないね。そういうことを求めているわけじゃない。完璧主義者じゃないんだ。ある意味、自分が完璧主義者ではないことを残念に思うけど、苦労してなんとか高いところに登ろうとすることで、ただ起きて、演奏してというより高いところまで行き着くからね。だけど何かを完璧にしようとすることに対して、ちょっとした恐れを持ってもいる。わたしは素晴らしいものを得ようとする。そして没頭する、そのときわたしは音楽自身に語らせようとしているわけだ。

 

BD:でも、それをあなたは助けているわけでしょ。

 

OG:もちろん、わたしはそこに参加しているよ。

 

BD:作曲家が書いたものに対して、オスカーという演奏家はどれくらいの量、関わっているのでしょうか。

 

OG:オスカーという演奏家がそこにいるとは思わないね。

 

BD:(つつきながら) まったくですか???

 

OG:(笑) ないね、音楽がやってきて、わたしはそれを演奏する。わたしが自分のやり方で演奏しなければならなかったなら、音楽に対するわたしの表現方法、わたし独自の見方で演奏するとなると、ちょっと困ったことになる。わたしはそれとは違う地点に立とうとしてる。

 

BD:それこそが解釈であり演奏ではないですか? ある楽曲に対して、そのたびに違う感じ方をする、あるいは他のギター奏者とは違った見方をするといった。

 

OG:それはそうだね。違う見方があることは気にならない。質問の意味はわかるし、あなたが何を聞き出そうとしてるかわかる。とても重要な問題だけど、わたしはある音楽の解釈や演奏が、作曲家が与えたものと違っている必要がある、とは思ってないんだ。学生たちに教えたり、曲の説明をしているとき、そう感じることがある。

 

それはわたしが聴いたことのない、まったく新しい曲の場合もある。その前の晩に、あるいは1週間前に作曲されたばかりの曲かもしれない。それをわたしの生徒が演奏する。その学生はその音楽を演奏し、ときにそれを作曲した友だちと連れ立ってやってくる。わたしはその人を知らない、で、どんな曲か見る。そして生徒が演奏したあとに、その曲をもう一度見て、彼が曲から取り出せなかったすべてのものを取り出してみせる。これによって演奏は変わる、そして作曲をしたその友達の顔に笑顔が広がるのを見るわけだ。それは彼がやりたかったことだから、だけど口にしたり、書いたりできなかったことなんだ。作品にあたる方法は他にない。別の言い方をすれば、それはある種のしるしであり兆しであり、その兆しを理解するということ。演奏者は、ただスコアに書かれていることを演奏しているのではない。そうじゃなくて、そこにあるものの意味、しるしをね、ごく小さなものから大きなものまで音楽における身振りを理解するとき、それが何を意味しているのか、何を言わんとしてるのかを理解するわけだ。その音楽がストラヴィンスキーであろうとバッハであろうと、誰に書かれたものであっても、関係ない。意味はそこにある。

 

BD:音楽の中にある美しさの金塊を掘り出す鉱夫みたいに聞こえます。

 

OG:そのとおり。そこにある金塊を掘り出す、そして削り取る、そしてそれは様式以上のものだ。だけど何もない石にそれをするなら、うまくはいかない。

 

BD:あなたが探しているのはそれでしょうか、ただの石ではないものという。

 

OG:それ自身が持つものだろうね。いい見栄えの石はあるが、中身が素晴らしいものもある。

BD:ギターのレパートリー曲や編曲されたものから、どのようにして演奏したり、練習に時間を使う曲を決めるのでしょうか。何が決め手になりますか。

 

OG:どれくらい時間があるかにもよるし、その街で何回演奏したことがあるかにもよる。いろいろな要素が、選択のプロセスに関係してくるね。もっとも好きな曲を演奏することになっている場合、問題は何もない。しかし25年間の間、毎年のように行って演奏してきた街でやる場合は、同じ曲を繰り返すことはあっても、いつもではないね。

 

BD:でもそれはあなたのレパートリーにある曲の話ですよね。レパートリーにどれを入れるかは、どうやって決めるんでしょう。

 

OG:わたしはレパートリーにあらゆる種類の作品を、あらゆる様式、あらゆる時代のものを入れたいと思ってる。現代もの、過去の曲、ルネッサンスやさらに古いもの、あるいはバッハのようなバロック音楽、ヴィラ・ロボス、フェルナンド・ソルのような様々なギターの作曲家のもの、さらには外の世界を探し求めている今日の作曲家、ギター曲を作ったことがなく、初めてやってみようとしている作曲家、とね。フランコ・ドナトーニの書いた曲を演奏したことがあるんだけど。それはわたしのために書かれた新しい曲で、2、3度演奏していたけれど、いい響きの曲だとは思ってなかった。実際のところ、醜い曲といってよかった。わたしはそれをミシガン北部の小さな教会で演奏しようとしていた。そこでこの曲を聴く人たちは、好きななれないだろうな、と思った。なぜその曲がプログラムにあったかというと、行くところどこででも同じプログラムを演奏していたからだ。で、わたしは聴衆に向かってこう言った。「警告しておきます。これから演奏する曲は、美しい曲とは言えません。醜いと言っていい部分が含まれています。耳にするのに気持ちのいい曲とは言えません。尊大で挑戦的なところがあり、皆さんは好きなれないかもしれない。だから好きになる必要はありません。でももしいいと思ったなら、それを表すことをためらうことはありません。

 

BD:聴衆は好きになったんでしょうか?

 

OG:ものすごくね! コンサートで最も受けた曲だった。

 

BD:それであなたは勇気を得て、行く先々で、その警告を発したとか。

 

OG:(笑) そうだな、あらゆる曲で、同じようなことを、違った言い方でしようかってね! でもそれを見るのはとても楽しかったね。聴衆の反応は、本当に素早くて、自然発生的で、彼らが音楽を理解していることを示していた。映画『ハエ男の恐怖』を見ているみたいな感じなんだよ。真夜中の2時にテレビで見れば、もう朝まで眠れないかもしれない。何かにたちどころに取り憑かれるわけだ。ホラー映画だから、もし見たければ、見ればいい。好きになってもいいけど、そうならなくてもいいんだ。わたしは主演のジェフ・ゴールドブラムが好きでね、今は『ジュラシック・パーク』に出ているけど。

 

BD:ギターのために作曲したいという人々に、どんなアドバイスを授けますか?

 

OG:ただやればいい、前に進むことだね。それから腕のいいギター奏者に会って、自分のやりたいことが可能かどうか、オープンに話し合うことだ。もしピアニストかヴァイオリン奏者であれば、自分の楽器で演奏してみたらいい。曲の演奏が、ギターでも生きるかどうか確かめる必要がある。

 

BD:技術的に、うまくいかないとか?

 

OG:うまく行かないかもしれない、だから直す、それでも演奏には向かない場合もある。ギター言語に翻訳し直す必要がある。そこには高い音も低い音もある。いい響きを持っているのは高い音域だ、低い音域では本領は発揮できない。

 

BD:増幅装置は使いますか?

 

OG:いや、通常は使わないね。オーケストラとの協演で使うことはあるけど、あまり好きじゃないね。わたしはセゴビアみたいなんだ。彼はギターを増幅しようとすると、とても怒ったね。

 

BD:コンサートホールで音が生きるには、音が小さすぎないかなと。

 

OG:それはある、増幅装置を使ったコンサートは聞いたことがある。音が鳴っている限り、確かによく届く。でも会場に一つ、二つ、三つ、四つと増幅装置が見えているのは、あまりよくないね。

 

BD:でも見えないところに置かれていれば、あることに気づかないかも…..

 

OG:それならいいけどね。実際のところ、問題はないと思う。我々は道具や手段を持っている。よく聞こえない人に、補聴器を配ることもできるね。補聴器がハウリングしたりすると、ホールで問題になるけど。

 

BD:それはオーケストラとギターのバランスを取らなかった作曲家の責任でしょうか。

 

OG:そのとおり。オーケストラというのはすごく大きくて、ダイナミックな世界だ。ささやくようにも、爆弾みたいに馬鹿でかい音でも演奏できる。でもこれが理解されないことがある。ヴィラ・ロボスは素晴らしい作曲家で、またギターを熟知していた。運の悪いことに、彼はギターとトロンボーン、バスーンを一緒にした。これらの楽器は対話をもつには大きすぎる楽器だが、可能ではある。ヴィラ・ロボスのコンチェルトをやる学生オーケストラを指揮したことがあるんだけど、わたしはバスーン奏者ができる限り小さな音で演奏してくれることを願い、トロンボーン奏者には、ベルにミュートを入れてもらうことになった。やるべきことはたくさんあるが、それでもこれは不可能に近いことで、この二つの楽器を使わないしかない。トロンボーンとバスーンについて、もし作曲家が考えるなら、話は別だ。わたし自身は曲を書くとき、ギター協奏曲に金管楽器を入れたことはないね。

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オスカー・ギリア(左)とアメリカのギター奏者、エリオット・フィスク(1975年、アスペンにて)

BD:あなたのキャリアにおいて、ソロでの演奏、オーケストラとの共演、マスタークラスをもつこと、教えることをどのように分配してるんでしょうか。

 

OG:すべて一緒くただったね。今は2、3のコンサートと、2、3のクラスを教えることをしている。バーゼルで年間授業を持っているんだ。1983年からバーゼルのアカデミーでクラスを持っていて、とてもやりがいのある仕事だね。イタリアのシエナのアカデミーでも教えてる。わたしが子ども時代に、セゴビアの教えを受けたところだ。そこで1976年から教えている。

 

BD:自分が学んだ学校に戻るというのは、特別なものでしょうか?

 

OG:ああ、そうだね、とてもとても特別なものだけど、第一日目はがっかりしたよ。シエナはとても古い町で、ルネッサンスの町だね、楽しみという点からはあまり刺激的とは言えない。学生たちに会って、食事をして、ダンスをして、その辺を散歩して、学生たちが「さようなら、マエストロ」と言って帰っていけば、わたしは一人残される。寂しかったけど、わたしはいつも学生たちと一緒にいるのが好きだった。それを手放したくはないね。いつだって生徒たちと仲がよかったし、だから続けていられるんだ。

 

BD:10年、20年前と比べて、あなたのところにやって来る学生たちは、ずっと良くなっているんでしょうか。

 

OG:今の学生たちは、情報を持っているということが言えるね。自分がしたいこと以上の知識があるよ。

 

BD:技術的も優れているんでしょうか。

 

OG:確かにそのとおり。

 

BD:技術に優れ、情報も充分にあるとなると、音楽家としても優れている?

 

OG:それは難しいね。優れた音楽家になるには時間がかかる。長い時間が必要だ。もちろん、情報を持っていることで、よりたやすく学ぶことはできる、とはいえ、いつの時代にもときどき素晴らしい才能の持ち主が現れるわけだ。その点は昔と変わらない。

 

BD:世界を見て、ギター奏者は充分にいるのか、それとも多すぎるくらいなのか。

 

OG:充分だったことはないよ。ヴァイオリンやピアノの奏者の多さを考えたら、充分じゃないと思うね。充分ではないけれど、20年前と比べたら、ずっと今の方が多いよ。1964年にここで教え始めたとき、ほんの少ししか生徒がいなかった。ジェイムス・ノリスがいた。彼はここシカゴでクラシックギター・ソサエティを始めたね。クラッシックとジャズの両方を演奏する演奏家はいたけど、クラシック専門の奏者は少なかったよ。カリフォルニアのロン・パーセルがいて、わたしはこれらの街から街を飛んで歩いていた。わたしがシエナのセゴビアのクラスからやって来たというんで、みんなは「吉報」を運んでくる人と思っていたわけだ。わたしには学位があったし、彼らはわたしがすべてと思ってたんだ。

 

授業がどんどん増えていって、自分で抱えきれないくらい教えていた。それで何年かして、教えるのをやめた。友だちと会ったり、新たな友を作ったり、教えることが仕事になる、といった点ではよかったんだが、わたし自身にとっていいとは言えなかった。それはあっちの街こっちの街と移動することに、多大な時間を使っていたからだ。1969年にアスペン音楽祭でクラシック・ギター部門を始めた。それは今も続いている。わたしの以前の生徒が、そこで教えている。シャロン・イスビンだ。彼女はもうそこで10年くらい教えている。1986年にわたしはそこを離れた。学校を維持し、わたしの給料を払うだけの充分な資金が賄えなくなったからだ。資金集めでいつも出歩いているわけにいかなかった。あそこに住んでいた時は、美しい街でね。高くはつくが、なんとか賄えた。最初の年、学生たちは肩からギターをしょって、教室に入って来て、夜は森で眠っていた。2年目は少しよくなった。3年目、生徒は65人になった。そのときには学校は有名になっていて、わたしは助手を必要とするようになった。エリオット・フィスクとシャロン・イスビンの二人が主な助手だった。資金が枯渇するまでの何年もの間、そのようにやっていた。そして政府から助成金をもらう必要が出てきた。

 

学生たちは学校にはらうお金がなく、授業料は上がっていった。そこにいたヴァイオリニストで教師の人と話をしたところだけど、彼が言うには、さらに難しくなっているそうだ。今や百万長者は追い払われ、億万長者の時代だ。(両者、笑)

The first year, the students came with their guitars across their shoulders, and just walked in and were sleeping in the woods.  The second year it was much better, and the third there were sixty-five students.  We became very famous then, and I had to start having assistants. 

BD:あらゆることが増大し続けています。

 

OG:そうだね、増大している。1969年当時、わたしが住んでいた小さなアパートを購入していたら、どうなっていたかな、と思ったね。充分に住めて、それほど高くはなかった。今はすべてがずっと高くなってる。

 

BD:当時も高かったのに、今だから安いと感じてるだけでは。

 

OG:おそらくそうだろうけど、当時みんな金を持ってなかったからね。

 

BD:常に手が届かないという。

 

OG:(ため息) いつもちょっとだけ手が届かないわけだ。

 

BD:音楽がいつも手の届くところにあることに、満足してますか?

 

OG:ああ、それはいいことだ、そう言えるのはいいことだ。おそらく、わたしが金を作ることより、音楽を作る方が好きな理由はそれだね。金を作るときというのは、いつも手の届かないことがあって、自分の手に入らないものをいつも追い求めることになる。自分の手にしているものはすべて、無価値になる。心に音楽を持って仕事をすれば、自分の持てるものは何らかの価値になる。もっとも素朴な考えとしては、自分にとって続けられることが価値であり、小さなことを発展させれば大きなものに育っていく。手の届く範囲のことでも、そうは簡単じゃないわけだが。いろんなことを掘り出さねばならない。手に入れられるものは他にもあるからね。そうやって手に入るものだからだ。

オスカー・ギリア、セゴビアのマスタークラスで(1965年)

BD:あなたの楽器について教えてください。

 

OG:わたしの楽器はフレタのスパニッシュ・ギターで、1989年から使っているものだ。わたしの楽器の中でも最高のもので、このような楽器をたくさん持っている。

 

BD:たくさんのギターをお持ちだと思うのですが、もっとも気持ちよく演奏できるものがあるのでは。

 

OG:フレタのギターは大きな満足感を与えてくれるものだが、弾くのも非常に難しい。わたしの手には小さ過ぎるし、天気がそぐわない時は、旅に連れていくのにも適さない。音や響きが失われるといったね。

 

BD:湿度が変わるせいでしょうか。

 

OG:湿度と気温だね。でもうまく弾ける時は、どの楽器より素晴らしい演奏になる。他のものは限界があるね、それによってそれ以上の演奏ができない。しかし練習するときには、この楽器を手にすることはないんだ。他のフィンガーボードがぴったり感じられるものを使う。音や響きの点でそれらのギターは申し分ないのだけど、驚くほどというわけじゃない。フレタを手にし、深く音を探るとき、そこには金の塊がある。他のギターではそれはない。

 

BD:深く探る必要がある、でもひとたび深く掘れば、そこに金塊がある?

 

OG:そうだ、そこにある。非常に幸せな体験だ。人と同じなんだ、この楽器は。

 

BD:20世紀の音楽よりバロック音楽に向いている楽器はお持ちでしょうか。演奏する曲によって楽器を変えるのでしょうか。

 

OG:そうする演奏家はたくさんいるね。それを本気で考えるのは無理だ、なぜならバロック時代にギターはなかっったんだからね。

 

BD:リュートだった?

 

OG:リュートはリュートであり、リュートに過ぎない。ギターとはまったく関係がない。だからどうしたらギターでリュートのような音が出せるか、という風には考えないし、音がリュートに劣るとも考えない。

 

BD:リュートを演奏したことは?

 

OG:リュートは一つ持っている。リュート奏者もたくさん知っているし、リュートを聞くのは大好きだね。左手の奏法、タイ、スラーといったものが、スパニッシュ・ギターにとてもよく似ているんだ。残念なことに、今日、リュート音楽を演奏するとき、ギター奏者は鍵盤楽器を真似しようとする傾向がある。鍵盤楽器というのは、きれいに整列する鍵盤を持つ、人間的ではない楽器だ。弦から弦へと旅するものじゃない。ただ鍵盤を押し下げて音を出し、いつも同じ答えが返ってくるものだ。

 

BD:それは機械であると。

 

OG:リュートと比べると、ずっとずっと機械に近いね。リュートのような楽器を考えるとき、中国の薬草を思うといい。意味のある説明かわからないけれど、人間のからだのあらゆる部分は、他の器官に応答するし、あらゆる箇所への反応を持っている。ある指が心臓に通じている、といったね。この楽器は8本の弦があり、同じ音を様々な異なるムード、非常に違った感情で表すことができる。しかし鍵盤楽器の場合、すべての音はすでにそこにある。

 

BD:ギターを弾くとき、自分の前で手の中に抱えます。あなたは楽器を演奏しているのか、楽器はあなたの一部になっているのか。

 

OG:楽器はあなた自身が演奏している、いかなる意味でもね。実際のところ、楽器が自分自身になるというよりは、自分の環境の一部になるわけだ。その環境に対して演奏者は反応するし、同様に楽器に対して反応もする、だから歩いたり、踊ったり、座ったり、眠ったりといったようなことと同じだ。楽器に対して、演奏者がすることというのは、自分の体重を音から音へと移動させることだ、一つの指から別の指へというようにね。演奏しているとき、鍵盤楽器は演奏者の地面になる、そして演奏者のすることはすべて地面に送られる。そして地面の上で、地面の中で終わる。ギターを演奏するときは、自前の地面をつくる、それがこの楽器だ。我々はその上に生きている。

When you walk, the keyboard is actually your ground, and everything we do is transferred to the ground, and it ends up on the ground and in the ground.  When we play the guitar, we create an artificial ground, which is the instrument.  We live on it.

BD:音響の上に生きている、と。

 

OG:いや、いや、ちがうね。響きも存在するが、それは非常に精神的な世界だ。現実の世界の話としては、木と弦でできた楽器だ、装置としてのね。機械のようなものと言っていい。

 

BD:でも非常に特別な機械でしょう?

 

OG:特別なものだけど、あなたが車を運転するとき、そこには特別な機械があって、それにあなたはいろいろなやり方で反応する。音を間違えて、ひどい事故でも起こさない限りね。(大きく笑う)

 

BD:今でもギターの構造において、改良はなされているのでしょうか。

 

OG:そうだね、それはあるね。ギター製造者の中には直感的なものがある人はいる。それは良い楽器はどのように作られるのかが、未だ本当には理解されていないからだ。考え方の流派はいろいろあっても、今は非常にいい楽器をつくる製造者がいるし、アメリカ、ドイツ、イギリスの製造者によって良い楽器が常に作られている。

 

BD:ヴァイオリンについては、演奏家はいつも古い楽器を求めてますね。ストラディバリウスとかアマティとか。ギターにも現代のものより優れたものがあるのか、それとも昔と比べて、質の高いギターを現在は作っているのか。

 

OG:作ってるよ。アマティの時代のギターは、今のものとサイズが違うからね。現代のものより小さいし、弦の数も少ない。今のものとは違った。違う楽器と言ってもいい。バロック時代の楽器だね。バロック・ギターは、バロックのヴァイオリンと同様、まったく違う楽器だ。当時作られたものと、今日のものは同じではない。今の時代、当然ながら、誰もアマティやストラディバリウスのようなヴァイオリンを作らないけど、それが問題ではないんだ。問題は、ヴァイオリン奏者はこういった楽器を魔法のように扱えること。演奏家の中には、自分がどんな楽器を演奏しているか知らなくて、現代の楽器と同じように演奏してしまう人もいるけどね。

 

フランコ・グッリという非常に名の知れたヴァイオリン奏者を知ってる。彼はブルーミントンで教えていて、演奏旅行にはいつもストラディバリウスを持っていく、でもそれで演奏することはないんだ! 別の楽器を演奏することを好んでいる。そっちの方が気持ちよく弾けるから、とわたしに言っていたね。わたしたち自身が楽器でもあり、問題は自分をどう調律するか、響きの世界にどう応えるかということなんだ。自分たちが演奏する楽器以上に、我々演奏家自身がより重要な楽器なんだ。

We are also instruments, and what matters is how we are tuned, and how we respond to the world of sound.  We are more important instruments than the instrument that we play.

BD:つまり音楽性や楽器の良さを、より多く取り出すことがあなたの責任ではあるけれど、あなたこそが重要であると。

 

OG:そのとおり、自分自身、それがあなたの楽器だね。演奏家は楽器としての自分を演奏している。自分が反響し、自分が起きていることに反応している。この音がわかるか、わかる。この音は、わからない。非常に素晴らしい楽器だったとしても、演奏家は自分の指で、自分のやり方で応えている。そこには関係性がある。ある女性と結婚して、その人があることであなたに不満をぶつけ続けるとき、最終的にはそれを受け入れて終わりにするだろ。(爆笑) 素晴らしい楽器にも同じようなところがある。最終的には、それがあなた自身の個性になるわけだ。それはあなたの個性の一部だね。受容され続けることで、同化する。スパニッシュ・ギターを演奏していて少したつと、楽器自身が倍音を響かせるようになり、同時に演奏家もスペイン流の倍音を身につけるようになる。

 

BD:一つの楽器と結婚しているように感じるのでしょうか?

 

OG:演奏家は一つの楽器と結婚している。

 

BD:(軽くつついて) それとも、もっと多くの楽器と結婚してる?

 

OG:たぶん一夫多妻制かもしれないけど、大きな出しものをやる場合は、いつも手にする楽器を選ぶね。

 

BD:音楽と結婚していると感じるんでしょうか?

 

OG:わからないね。ある芸術と結婚するということが可能とは、思えない。人とは違うように作用するんじゃないかな。一つは、やきもちを焼くことはないからね。何かと結婚する場合、それが他のものとも結婚していたら、やきもちを焼くだろう。そういう風にはならない。一般論として、たぶん我々はみんな芸術と結婚している、だから我々誰もがそれを受け入れ、それを必要とし、崇拝し、それを楽しむ、そういったことかな。でも我々は一緒にいなければならないという契約があるわけじゃないし、それを強制されることもない。いつかわたしが演奏をやめるときが来たら、関係は終わる、で、違うことを始めるだろうね。

 

***

 

BD:あなたはキャリアにおいて、現在の立ち位置に満足していますか?

 

OG:(しばし考える) イエス、でありノーでもある。芸術的な面ではイエスだし、職業としてはノーだね。ただこれはわたしの選択した結果だから、全体としては満足しているよ。

 

BD:あなたはいくつかの録音をされてます。今後、さらなる録音の予定は?

 

OG:これが問題の一つだね。これまでに10枚以上のレコードを作ってきたけど、絶版になってる。再リリースしてほしいけど、難しいんだ。権利を買うことができない。彼らは売ろうとしないんだ。彼らは販売権を渡そうとはしない。再リリースしてくれるレコード会社を見つけたいね。

 

BD:では初期に録音したレコードには、満足している?

 

OG:とてもね。とてもいい録音だったと思う。だから再リリースしたいわけで、とてもいい録音だからね。それに技術的な面でも、音が美しい。わたしは当時20代から30代の間だった。それも違いを生んでいる。

 

BD:若さみなぎる演奏だった?

 

OG:そうだ、若さみなぎる演奏だ。

 

BD:(軽くつついて) 今は中年の活力に満ちているんじゃないですか?

 

OG:(笑) そうだね、そうも言える、でも二つを交換したいとは思わないね。一方は現在、もう一方はまた別のものだ。今、それを求めはしないよ、腱鞘炎になってしまうからさ!(笑)

 

BD:歌い手はコンサートとコンサートの間に、2、3日休む必要があります。ギター奏者はどれくらいの間隔で演奏するんでしょう。必要があれば、毎晩でも?

 

OG:うまく管理できれば、できるのではと思う。毎日演奏していれば、より良い演奏ができるかもしれない。もちろん1年間、毎晩演奏しなければならないとしたら、それは無理だ。肉体的な強度ではなない。心理的にやり続けることが難しくなる。毎回、演奏のたびに養分を絞り出していれば、いつか何も出てこなくなる。過去に一番辛かったツアーは、1964年の日本ツアーで、バークレーでの授業*のすぐ後だったね。1ヶ月の間に、23回だったか、24、あるいは25回のコンサートをしたんだ。

*バークレーでの授業:1964年の夏、カリフォルニア大学で、ギリアはセゴビアの授業のアシスタントに指名された。

 

BD:そりゃまた多いですね!

 

OG:多すぎだね、でもとても楽しんでやったよ。列車に乗って、街から街を訪問してとその繰り返しだった。城を見に行ったね。素晴らしい場所も見物した。そして演奏し、次の街まで電車で移動。疲れはしなかったよ。別のツアーでは疲れたね。それはもう殺人的スケジュールで、ボルティモアに1週間いて、16回コンサートをしたんだからね。

 

BD:エイジェントに、殺す気かと言えばよかった。

 

OG:でもそれは最初のツアーだったんだ、で、エイジェントはわたしが了解したって言うんだ。1日に3つコンサートをやって、土曜日にも1回やったね。今ならなかったことにしてくれ、って言うだろうね。

 

BD:ノースウェスタン大学にまた戻ってきてくれて、そしてわたしと話す時間を取ってくれて、感謝しています。

 

OG:どうもありがとう。楽しかったよ。

Ghiglia bio

オスカー・ギリア | Oscar  Ghiglia

 

14歳のとき、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアで、クラシック・ギター及び音楽理論を学び始める。1957年よりシエナのキジアーナ音楽院で、1958年から1963年まで、スペインのギターの巨匠セゴビアの元でギターを学ぶ。サンタ・チェチーリア卒業後、ギター演奏における重要な賞を数多く受け、以来、たくさんのコンサートとマスタークラスを世界中で行う。アメリカと日本での最初のツアーを皮切りに、北米、南米、ヨーロッパ、トルコ、イスラエル、オーストラリア、南太平洋の国々と各国で演奏を重ねる。後進の教育にも情熱を傾け、1969年にはアスペン音楽祭(コロラド州)のギター部門を設立し、そこで20年間教えた。また客員教授としてジュリアード音楽院やノースウェスタン大学など複数の音楽大学で教えている。

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