ブルース・ダフィー*インタビュー・シリーズ(2)
●クラシックの変わり種、マイナー楽器の奏者たち●
This project is created by courtesy of Bruce Duffle.
<1992年4月27日、シカゴにて>
■ブルース・ダフィーによる前書き
わたしはノースウェスタン大学で数年間、「音楽入門」という授業を持っていたことがあります。これはまったくのところ「専門科目」ではなく、音楽で学位を得ようとしている学生のためのものではない、ということです。わたしのクラスにいたのは、医者や法律家、ジャーナリスト、科学者、政治家、、、といった職業を目指している人たちでした。つまり彼らは「本物の職業」を持つ人たち(音楽家ならこの冗談はわかると思いますが)。わたしの役割は、若く意気揚々とした学生たちをクラシック音楽の素晴らしい世界へ導き、その発見の喜びを植えつけ、生涯それを友に生きてもらえれば、といったことでした。これが始めるにあたって、わたしが心に描いたことです。
わたしの入門編は、話題を取り上げることでした。時系列を追うという通常のやり方ではなく、ある考えや概念が、音楽の理解の助けになることでした。一回の授業ごとに、楽器(木管楽器、金管楽器、弦楽器、打楽器、鍵盤楽器など)を紹介します。それぞれのレッスンでは、拍子とりや棒振りを通して、学生たちを指揮者になるよう導きます。3学期の間に、声楽について(男声、女声、コーラス)を学びます。またアジアの作曲家、アラスカの作曲家、そして女性の作曲家の楽曲を鑑賞します(それを明かすのは、授業の最後ですが)。さらには鳥や乗り物が持つ音楽、音調も学びます。またヘンリー8世、フリードリヒ2世、アメリカ独立宣言の署名者といった、政治家や指導者の作った曲にも触れます。しかしわたしのお気に入りの授業のテーマの一つは、「変わった楽器」でした。普通の楽器を一通り済ませたあとで、グラス・ハーモニカ、普通のハーモニカ、カリオン、そういったものに注目します。さらにそこにアコーディオン、が加わります。学生たちの目をのぞき込んで、作り声でこう言います。「クラシック音楽の授業で、コレを聞くことになるとは、考えてもみなかっただろうネ!」
彼らは戸惑いますけど、ときに夢中になります。これがわたしの狙いです。
それを可能にしてくれた音楽家の一人が、ロバート・デヴァインです。彼はノースウェスタン大学で学んだことがあり、1992年にコンサートをするためにやって来ました。わたしがノースウェスタンで教えはじめる10年前、ラジオ番組をもっていて、いつも何か変わったものを探していました。それでわたしのプレイリストにアコーディオンを加えるチャンスが巡ってきたのです。このブウブウいう楽器を奏でる心優しい演奏家、デヴァインは彼の仕事について、わたしと話すことを喜んでくれました。
以下がその日の午後に話した内容です。
ブルース・ダフィー(以下BD):あなたは自分の演奏している楽器が、コンサート用のものであって、『スペインの姫君*』のためじゃないと、どうやってわからせているんでしょうか。
*スペインの姫君:トルチャード・エヴァンス作曲による、1931年のポピュラーソング。
ロバート・デヴァイン(以下RD):多くの人がアコーディオンにできるのは『スペインの姫君』タイプの音楽だけ、と思ってるんですから、難しいことですよ。それを打ち消すには、一番いいのは、出ていってコンサート用の曲を演奏することだね。ライブで演奏したり、レコーディングしたりすること以外の方法はないでしょ。
BD:新しい楽曲以外に、編曲ものもやるんでしょうか?
RD:ええ、そうね、やりますよ。
BD:自分でも編曲をします?
RD:いくつかやったし、出版されたものもありますね。
BD:ピアノ曲やオーケストラ曲からアコーディオンにもってくることで、難しいことは何でしょう。あるいはやりやすい方法は。
RD:難しさというのは、当然ですけど、オーケストラ曲を使う場合、作品にある和声や対位法的な手法をできるだけ取り入れたいですよね。でも多くのケースで、それはできません。音楽の持つ特性によるんです。あとアコーディオンには適さない手法、ショパンのような曲があります。またバラードも、ちゃんと演奏するのがほとんど不可能なものでしょうね。
BD:どうしてです? どこがうまくいかないんです?
RD:左手でアルペジオを弾いたり、ピアノのペダルがいるようなものですね。アコーディオンはオルガンのような音色で、たとえばバッハのプレリュードみたいなね。こういう曲はうまくいきますよ、オルガン曲であればなおのことね。あまり変える必要はない。
BD:アコーディオン は、基本的にリード・オルガンですね。
RD:フリーリードの楽器ですよ、木のブロックに金属リードをセットして、振動させるとある高さの音が出ます。半音階に調律されます。リードは片方の端がしっかり固定されて、もう一方の端が振動します。その原理は紀元前300年の中国の笙*にあります。
*笙(Sheng):17本の竹管を使った中国のフリーリードの楽器。日本の笙(しょう)は奈良時代に中国から伝わったとされる。
BD:オルガンでは、空気圧を保持できるのに対して、アコーディオンでは歌い手のように息を吹き込む必要がありますね。
RD:そのとおり、100%そうです。息をします。木管楽器や弦楽器の弓のように考えてもいいでしょうね。考え方は同じです。圧によって音の性質がまったく変わってきます。リードにどれくらいの強さで空気を送り込むか、ですね。
BD:すると大きな音を出すために、空気をたくさん送り込もうとすると、違う音に移るのに時間が足りなくなるんじゃないでしょうか。
RD:さらなる空気を必要としますし、レジストレーション*にもよるでしょう。もしすべてのリードを振動させようとすれば、小さな音で演奏するのと比べて、かなりの量の空気を使います。
*レジストレーション:リードのグループ(列)のこと。音色の違い・オクターブ変化を操作する。
BD:レジストレーションとおっしゃいました。オルガンのように、違うリードのセットで演奏できる、いくつかの制御があるんですね。
RD:そのとおり。標準的な楽器では、四つのリード・セットが右手にあって、計算上、10の違うストップ(レジストレーション)が使えます。楽器に備えられているもので、自分で用意する必要はありません。
BD:右手には鍵盤状のものがあって、左手にはボタンの列がありますね。
RD:標準的な楽器の場合、ボタンは単音のバスと、コードのセット(長三和音、短三和音、属七、減三和音)の組み合わせです。
BD:すべての調で?
RD:そう。ボタンを一つ以上使えば、他のコードも出せる。一つのボタンにとどまってる必要はないんです。で、コードのバスを一音で弾いて、それからその和音をやってもいい。そういう風にかなりの響きの変化を得ることができます。フリーベースのアコーディオン、バセッティとも呼ばれてる楽器があって、右手で弾くのと同様、左手でも単音が出せます。またコードも弾けます。左手で幅広い音域が、3オクターブから4オクターブ半まで出せるんです。
BD:ワオ! そんな広い範囲とは知りませんでした。「標準の」と言われましたけど、標準的な楽器がいくつかあるとして、特別なものもあるのでは。
RD:フリーベースのアコーディオンは、ある意味、特別な楽器です。それはバスと一定のコードをもつ標準的なもの(ストラデラ)のような使われ方ではないからです。左手を単音のバスに切り替えたり、標準のコードに戻したりできる楽器もあります。
BD:自分用に特化したアコーディオンを、メーカーに作ってもらったことはあるんでしょうか。
RD:ないですね。わたしの見るかぎり、音域の問題は大きなものではなく、音質の方が気になります。それと演奏の際、他の楽器とうまく溶け合うかですね。
BD:アコーディオンは、あなたが最初に手にした楽器でしょうか。
RD:いいえ、最初はピアノを弾いていました。そのあと、子ども時代ですが、アコーディオンに魅了されたんです。
BD:どうしてそっちに引っ張られたのか、聞きたいですね。
RD:まずは単純にその外観でしょうか、楽器の見てくれに心を奪われました。この楽器を弾いている人を見て、夢中になったんです。それにもちろん音もですけど。子どものわたしはその音を忘れることができず、どんどんとりつかれていきました。学校放送で弾いていましたし、行事でもいつも演奏してました。言うまでもなく、そういうことで人気が出ますし、そういう場で演奏することをとても楽しんでいましたね。
Originally it was simply the physical cosmetics of that instrument just fascinated me. To see someone play that instrument was the original fascination. And of course the sound; I couldn't get over the sound as a child. It simply just grew on me, I suppose, and I've played in school programs, every school show I could possibly play.
BD:どんなきっかけで、ポピュラーな曲からクラシック音楽の演奏へと変わったんでしょうか。
RD:ハイスクールの終わりの方でしょうか、幸運なことにとてもいい先生に恵まれて、たくさんの編曲作品に出会いました。当時、アコーディオン用の曲はあるにはあったのですが、芸術的なものとは言えませんでした。ところがノースウェスタン大学で、室内楽の授業をとったときのこと。それを教えていた先生は、素晴らしいビオラ奏者でした。彼がわたしに何の楽器をやっているか聞いてきたので、トランペットですけどアコーディオンも大好きです、と答えました。
先生はアコーディオンの可能性を探すことを、心から励ましてくれました。彼はベルギー出身で、そこではアコーディオンが、民謡だけでなくコンサート音楽にも使われていると話してくれたんです。またノースウェスタンのアンドリュー・リゾのもとでも学びましたが、当時、彼はアメリカでも一二を争う良い先生でした。この先生も、アコーディオンとはどういう楽器かについて、わたしの目を開いてくれましたね。
BD:アコーディオンを弾く人はたくさんいると思いますけど、コンサート楽器として演奏する人の数は多いのでしょうか?
RD:才能のある演奏家はたくさんいますよ、素晴らしい演奏をする若い人々がね。問題は多くの機会がないことで、あなたもさっき言ってましたけど、聞こうとする人があまりいないですね。それでもコンサート音楽に興味をもつ良い演奏者はいますよ。
BD:その可能性を開いていくのは、あなたの使命でしょうか。
RD:そうしたいですね、使命かどうかはわからないですけど、でもアコーディオン の曲を書くことに興味を示してくれる作曲家たちとの仕事を楽しんでますね。彼らはいつも、様々なレジストレーションや音色への試みで、新たな展望を開いてくれます。そういうことは実に楽しいことです。アコーディオンで大きな問題だと思うのは、公開の機会と取り組む作品ですね。アコーディオンの名演奏家になることはできても、質の高い作品を演奏できない、そうするとコンサートの常連客、通の人たちは、音楽としての真価を認めようとしないです。
BD:では、あなたは自分の高度な技術を無駄にしていると。
RD:そう思います。
BD:アコーディオンのソロ曲や室内楽曲を書きたい作曲家に、どんなアドバイスをしますか。
RD:アコーディオンの曲をどのように書くか、という意味でしょうか。
BD:もし誰かがやって来て、「あなたのために曲を書きたいんですけど、どこかから始めましょう」と言ってきたら。
RD:最初にやることは、その人と語る場をもって、もしこの楽器についてよく知らなかったら、楽器のメカニズムを説明しようとするでしょうね。どうやって音が出るのか、どういう問題点があるか、手を鍵盤やボタンから離したら、音が消えるといったね。
BD:オルガンと同じですね。
RD:そのとおりです。それから音域について話しますね。左手で半音階を弾くことは、鍵盤でやるより難しい、といったこともね。こういったことがまずあって、それからすでにアコーディオンのために書かれた曲を、弾いてみせます。そうすればどんな楽器なのか、そしてもちろん、どんな音が出るのか、知ることができます。
BD:譜面はどういうものでしょう。ピアノの楽譜のような2段の楽譜ですか?
RD:そうです、そのとおり。
BD:ということは上に単旋律があって、下にコードがあるような。
RD:ええと、コードである必要はないんです。右手も左手も単旋律でも構いません。そういうものはカール・ハインリヒ・グラウンのコンチェルトにはたくさんあります。オルガンのためのもので、バロック後期ですね。バスは多くが単旋律で、1、2箇所程度コードになっている場所があります。ですからほとんどが二つの旋律が流れていく感じですね。
BD:自分でバスの形成をすることが求められる?
RD:通奏低音として演奏するならそうですけど、通常ははソロですから。
BD:アコーディオンのための協奏曲は書かれたことがあるんでしょうか。
RD:あります。かなりの数と言ってもいいかな。ロイ・ハリス(アコーディオンとオーケストラのためのテーマと変奏、1947年)、ポール・クレストン(アコーディオン協奏曲:Op.75、1958)、アラン・ホヴァネス(アコーディオン協奏曲:Op.174、1959年)、ヘンリー・カウエル(アコーディオンとオーケストラのためのコンチェルト・ブレヴィス、1960年)があります。これはすべてアメリカの作曲ですね。他にも、、、、
BD:自分で書くことはあります?
RD:ありますよ。三つの木管楽器(フルート、クラリネット、バスーン)とアコーディオンのためのディヴェルティメントを書きましたけど、とてもうまくいきました。アコーディオンが聞き取れるかは、どんな風にコードを鳴らすかにもよって難しい場合もありますけど、他の楽器との混ざり具合はとてもいいですよ。
BD:つまりアコーディオンが入ってるというより、普通の楽器と同じように受け入れられているという意味でしょうか。
RD:そうです、まさにその通り。
BD:演奏者というのは、故障を抱えることがありますけど、バイオリン奏者の顎の問題とか、ピアニストの腕の筋肉とか。アコーディオンではどんな問題が起きるのでしょうか。
RD:多くのコンサート・アコーディオン奏者がするように、座って演奏する場合、楽器の重みは左足の上にかかります。それで左の肩に負荷がかかりますね、多くの奏者の場合そうです。だから左の肩ですね、あるいは左の腕もね、蛇腹を扱うせいです。
BD:つまり両方の手が一緒に開くわけじゃなくて、左手だけ動かして、右手はそのままで動かさないと。ではオペラ『リゴレット』のせむしの道化みたいな格好にならずに、どうやって蛇腹を閉じるんでしょう。
RD:そうね、おそらくやるべきは、椅子にまっすぐに座って(クスクス笑い)、楽譜台を真正面に据えることかな。そしてできるだけ楽器を左の端に寄せるようにすれば、重さは左脇にかかって、負担を軽減できる。こんな風にね(と、やって見せる)、もっと正面に向いてね。
BD:ここまでにしたレコーディングのことを教えてください。
RD:何年か前に、デンバーのレコード会社で、今はもうないんですが、プレミア・レコードというところで一つ出しました(『アコーディオン・デヴァイン』というタイトルのLPアルバムで、バッハの「トッカータニ短調」、ジョン・ガート「Vivo」、アルベニス「マラゲーニア」、コール・ポーター「恋とは何でしょう」などを収録)。あとクリスタルのアルバムはとてもよく出来ていると思いますよ。
BD:それはソロと室内楽曲でしょうか?
RD:そうです。
BD:さらなるレコーディングをするつもりがあるんでしょうか。
RD:ありますね。クリスタル・レコードがCDを作りたいと言っていて、またあそことアルバムを作るのを楽しみにしてますね。何を入れるかまだわからないですけど。カリフォルニアのハンボルト州立大学のある教授から、楽譜を手にしたところなんです。木管五重奏とアコーディオンのための曲を書いてくれました。わたしの知る限り、このジャンルで木管五重奏とアコーディオンの楽曲というのは、他にないと思いますよ。
BD:あなたはソロで弾いて、室内楽で弾いて、協奏曲もやると。もしどれかと言われたら、一番好きなのはどれなんでしょうか。
RD:わたしにとって一番の挑戦となるのは、室内楽じゃないでしょうか。
BD:混じり具合という意味で?
RD:そうですね、混ざり具合、それからアーティキュレーション*もそうですし、室内楽をやるときのあらゆる問題がありますね。(少しの間を置いて) でも、ソロも同じですね、能力が試されます。ニコラス・フラジェロ(1928~1994年)は『Introduction and Scherzo』(1964年)という曲を書きましたが、技術的に非常に難しく、アコーディオンのダイナミックレンジを開拓した素晴らしい作品です。
*アーティキュレーション:演奏のとき、音の強弱やレガートなど奏法における表情付けをして、旋律を区分すること。
BD:そういうものが好きなんですね、できる限り可能性を広げられたものが。
RD:そうです。技術的にいつもそうである必要はないですが、ダイナミックレンジや多様なアーティキュレーションについてはそうです。楽曲を面白いものにすると思いますね。
BD:協奏曲などの楽譜を手にしたら、それが演奏したいものかどうか、また、どこか直してほしいとか、どうやって決めるのでしょう。
RD:楽譜を一通り見て、それがいいと感じたら、旋律でも手触りでもリズムでもね、そこからしっかり見ることを始めますね。よく見れば見るほど、理解が進みます。もしソロ曲であれば、テクスチャーの変化や音域の広さ、それからアコーディオンに求められる、あらゆる必要と思われる方法を探しますね。一つの方法や一つの効果だけ試すのではなくね。
BD:どれくらいの重さがあるんでしょうか。
RD:アコーディオンによりますけど、10~12kgくらいでしょうか。
BD:自分でメンテナンスすることはあります? それとも楽器製作所に調整を頼むのでしょうか。
RD:(途中で口を挟む) 自分でできることはあまりないですね、気温の変化に気を配ること以外には。非常に寒い場合、楽器に影響が出ます。もし気温の非常に低いところに持っていって、そこでガンガン弾いたら、リードを壊してしまいます。でもチューニングに関しては、自分で出来ることはないですね。職人の手でなされます。手作業によるもので、正しい振動数を得るよう、リードを調整します。
BD:内部のリードの寿命はあるんでしょうか。
RD:もしあなたが注意深いプレイヤーであるとするなら、つまりどのくらいの空気が楽器で扱えるか、あるいは空気の収容能力を正確にわかっているなら、、、リード自体はあるいはリード・ブロックは一生ものです。消耗してしまうことはないです。ただ手を入れる必要はあります。調子を合わせるためにね。
BD:あなたの100回のコンサートの点検修理のために、それをしていくと。
RD:そうです、そのとおり。
BD:(心から笑って) この楽器について、一般の人が知らなかったり、見ていないことは他にあるでしょうか。
RD:いいえ、そういうことはないです。音が漏れていないか、蛇腹に気をつける必要はありますね。もし圧縮できなかったら、音量やダイナミクスをコントロールすることができません。だから注意している必要がある。鍵盤を跳ねさせないよう注意もします。鍵盤を浮かせてしまったとき、それを元に戻すことはできますけど、厄介なことになります。アコーディオンをケースから出したり入れたりするときは、注意深くやらなくてはいけません。
BD:あなたはハードケースをお持ちでは?
RD:そうです。確かに。
BD:それは運搬には適してますか、それとも気をつかう?
RD:デリケートですし、ちゃんと収納しないと、バスの部分のすべてがダメになってしまうか、陥没しますね。そうするとその部分を正しい位置に戻すのが大変です。厄介なことになります。かなり恐ろしいことですよ。だから収納するときは充分気をつけて、扱い方に注意します。
BD:アコーディオンにはミュートのような付属品はありますか?
RD:いいえ、本来ミュートはないですね。グリルにビルトインのミュートを付けてあるものはあります。よく知られたアコーディオン・メーカーの一つ、ニューヨークのエクセルシァー・アコーディオンは、演奏者が自由に切り変えられるミュートを付けてました。でも自分で付けるのではなく、ビルトインされてます。
BD:オルガンの箱みたいなものでしょうか。
RD:ああー、そのとおりです。
***
BD:あなた以外にツアーをやるアコーディオンの名手を知りません。他に誰かいますか?
RD:ええ、ええ、いますとも。現代の素晴らしい奏者の一人として、デンマークのモーンズ・エレガー (1935~1995年)がいますけど、アメリカにはあまり来ませんね。
BD:その名前は、ほんの2、3日前に耳にしたばかりです。アルネ・ノールヘイムのコンチェルトの録音を手にしまして、そこでモーンズが演奏してます。初めてそこで名前を知りました。
RD:彼はとてもいい演奏家ですし、アコーディオンのためのオリジナル曲を生むことに力を注いできました。彼は自分のために書かれた曲や彼自身の依頼による作品をたくさん演奏してきましたが、主としてヨーロッパの作曲家ですね。アメリカの作曲家は思い浮かびませんけど、何年もの間、世界中をツアーで回ってましたよ。ロシアのアコーディオン奏者には、素晴らしい人たちがいます。ユーリ・カザコフ(1924~1982年)は本当に優れた演奏家です。ロシアの演奏家たちは、バヤンという両サイドにボタンのついた民族楽器を、コンサート用に使っていますね。
Some of the Russian players are some of the greatest players ever. Yuri Kazakov (b. 1924) is just a marvelous player; the Russians utilize a concert instrument they call the bayan, and it has buttons on both sides.
BD:コンサーティーナ *のようなものでしょうか。
*コンサーティーナ:膝の上に乗せて演奏する正六角形または正八角形の小型の手風琴。
RD:いや、コンサーティーナとは違います。もっと大きい楽器です。音色的にはアコーディオンに似ていますが、もっと幅広い音域を高低領域に持ってます。ロシア人はそれをコンサート用のセッティングで使っています。何人かの演奏家は、わたしの見立てでは、世界でも有数の演奏家と言えると思います。
BD:楽器について話題が出ているので、バンドネオンについて教えてください。
RD:バンドネオンはアコーディオンのいとこですね。原理はアコーディオンと同じで、フリーリードが使われ、両サイドにボタンがあります。わたしの知る限りでは、バンドネオンを演奏したことはないですけど、あまりコードは使われてないみたいです。単旋律が多くて、それにとても合ってますね。主としてタンゴ・オーケストラで使われています。アストル・ピアソラ(1921~1992年)は、よく知られた偉大なバンドネオン奏者ですが、彼はこの楽器をコンサートの場に持ち込みました。タンゴの演奏だけでなく、あらゆる楽曲をね。また彼自身、素晴らしい作曲家でもあります。でもバンドネオンは、アメリカでは、存在しないも同然で、そのことは残念に思ってます。この楽器でコンサート・ツアーをしている人はいないでしょう。
BD:あなたはコンサートで演奏し、教えてもいます。年にどれくらいのコンサートをするのでしょう。
RD:ここ最近の演奏は、デンバー大学の一員としてですね。どこの大学でもそうですが、そういう場では、新たな楽曲の実験ができます。ですからコンサートが次々あるわけではないです。ツアーをしている演奏家のように、やってはいませんね。年に6回とか8回とかになるんじゃないでしょうか。
BD:ではアコーディオンの生徒をどれくらい持ってますか?
RD:今はそれほど多くはないです。一時期は18人いましたけどね。アコーディオンはもうあまり人気があるとは言えませんし、年ごとに生徒数は変化します。いまは大学院生が一人いて、あとは音楽が専門ではないけれど、アコーディオンを学んでいる生徒が数人います。ただ、アコーディオンがとても人気があった一時期のようではないですね。
BD:それは恐竜のように死滅していってるのか、それとも一時的な落ち込みで、また回復するのか。
RD:そう答えられたらいいですね。こう尋ねられますよ、「どうしてなんでしょう?」とね。理由はいろいろあると思いますけど。人気が戻ってくれるといいですね。アコーディオンが好きな人、楽しむ人はいつも存在します。演奏する人もいますし、聴くのが好きな人もいます。人気のある楽器として、生きた楽器としてよみがえってほしいですよ。
BD:あなたはポルカタイプ*のバンド・プレイヤーからは、どう見られているんでしょう。
*ポルカタイプ:軽い調子のポルカを踊るための音楽で、アコーディオンを中心とする小さなグループで演奏される。
RD:よく知らないんですよ。わたしはポルカをやらないので、彼らとのコンタクトがほとんどないんで。
BD:あなたは「アウトサイダー」あるいは「コンサート演奏家」として知られているのではないかな、と。
RD:そうね、そうかもしれない。彼らは「あの人はわれわれのような音楽をやらない、やってるのはコンサートものだ」と言ってるんじゃないかな。彼らがどう思ってるか、ちょっとわかりませんね。顔をつき合わせて、話し合ったことがないんでね。
BD:あなたの方は、彼らをどう見てます?
RD:彼らが自分たちのやってるものでいい仕事をすれば、それは素晴らしいと思います。彼らはああいうタイプの曲を楽しんでいるわけで、そこでいい仕事をするなら、素晴らしいでしょうね。あっちにもとてもいい演奏家がいますからね。
BD:セゴビアとその他のギター奏者たちの間にあるような、混じり合わない関係性が、あなたとその他多くのアコーディオン奏者にもあるんでしょうか。芸術をやる数少ない演奏家がいて、それ以外の多くは、この楽器をポップスやロックに使っています。
RD:ああ、わたしもそう思います。デンバー大学のわたしの生徒たちも、芸術的な音楽に興味があり、アコーディオンが好きで来ています。何人かの素晴らしい演奏家がいましたね。ウィリアム・ポップはかつての生徒ですが、今はワシントンの米軍室内弦楽団でアコーディオンのソロ奏者です。世界中を演奏でまわっていて、編曲も担当しています。素晴らしい音楽家で、あらゆる室内楽曲を演奏していますよ。でも彼が愛するのは、いつも芸術的な音楽です。まずは芸術的な音楽が好きになって、それからそれをアコーディオンで弾いてみるのがいいんじゃないかな。
***
BD:アコーディオンを演奏するのは楽しいですか?
RD:アコーディオンが楽しいか? (長い沈黙ののち、真面目な、厳しいといっていい表情で) 時にはね。いつもではありません。非常に苦労の多い楽器かもしれないと感じてるんです。楽器の調和が大変ですし、ときに調和しないこともあります。取り組む必要がある問題ですね。多くは調和の問題ですけど、それは楽しくはないです。左手を使用しながらダイナミックレンジをこなし、ボリュームを調整して、と非常に大変です。他の音楽家たちと演奏していて、自分が本当に楽しめる曲をやっている場合は、楽しいですね。実に楽しいものになります。
The accordion fun? [Long pause, then speaks solemnly, almost grimly] Sometimes. Not all the time. I find that it can be a frustrating instrument. The coordination involved is extraordinary and sometimes that coordination doesn't happen. You just have to work at it. So much of it is coordination, and that's not fun!
RD:以前に自然史博物館で演奏しましたけど、そこはデンバーで一番大きな博物館でした。2年前、博物館は「ユーラシアのノマド」という素晴らしい展示をしたんです。デンバー、ロスアンジェルス、ワシントンDCの3カ所のみに巡回したと思います。そのとき博物館がわたしに声をかけて、ロシア音楽をやってほしいと言ってきました。バラライカの演奏家をデンバーで見つけることができなくて。でも素晴らしいマンドリン演奏者がいたんです。その人は大した楽譜コレクションを持ってました。それでマンドリンとわたしのアコーディオンと、コントラバスでやることにしました。毎週土日に、わたしたちはロシア音楽を演奏し、それはとても楽しいものでした。チャイコフスキーもやりましたけど、多くは技量のいる民族音楽に向けられました。聴きにきた人々は、心から楽しんでいましたね。反響の良さは信じられないほどでした。やる前はバックグラウンド・ミュージックのような扱いかと思ってたんですが、毎回、ミニ・コンサートのようになりました。
BD:では聞いている人たちは、あなたたちの演奏をしっかり聞いていたんですね。
RD:そのとおりです。いつも人々がやって来て「あー、アコーディオンっていいですね」とか「マンドリンが好きだなあ」とか「楽器のアンサンブルが素晴らしい」などと言ってくれました。
BD:自分をなんと呼ばれるのがいいですか? アコーディオニスト、アコーディオン奏者?
RD:「アコーディオニスト」がより適切かと思います。アコーディオンの使われ方で人々が気づいてないことがあります。それは映画の中ですね。アコーディオンは映画でたくさん使われていますけど、アコーディオニストか調律師でもないかぎり、この楽器が鳴っていることに気づいている人はいません。非常に広範囲の映画で、アコーディオンは使われています。シェールの『月の輝く夜に』(1987年)とかね。ドミニク・コルテス(1921~2001年)は素晴らしい演奏家で、そこでアコーディオンをたくさん聞かせてますね。
BD:あなたは映画やスタジオでの仕事をしたことは?
RD:スタジオではありますけど、映画は一度もないですね。いつか是非ともやりたいですよ。コマーシャルや業界用のものはやったことがあります。レコーディングもしてますが、わたし名義のアルバムではないです。
BD:たとえば?
RD:何年も前になりますが、マントヴァーニ・オーケストラがフィラデルフィアでレコーディングしたとき、そのアルバムに参加しました。1950年代です。[ ヴェネチアの軽音楽オーケストラの指揮者、アンヌンツィオ・パオロ・マントヴァーニ(1905~1980年)が、1955年から1972年にかけてアメリカで40枚を超えるアルバムをリリース ]
BD:これらのアルバムには、あなたの名前はないんでしょうか。
RD:ないです。すべて彼のオーケストラの一員という扱いで、全部で50名いました。ヘンリー・マンシーニはアコーディオンをずっと使っていました。『ピンク・パンサー』(1963年)にはたくさんアコーディオン曲があります。アコーディオンが使われている映画はたくさんあるんですけどね、誰も気づかない。それは控えめな使われ方だからです。他の楽器と混ざり合っていることもあって、そうなると聞き取るのが難しいですね。
BD:色合いを加えるといった。
RD:そういうことです。あるいはハーモニーを埋めるか。ラジオ時代には、デンバーのNBCで、それからサンフランシスコのCBSで、ハーモニー補助として使われていました。6人の演奏者がいた場合、全体をアコーディオンが調合するといったね。
BD:あなたはアコーディオン演奏について、楽観的でしょうか?
RD:(大きく息を吐き出して) そうですね、一方ではそうです。もう一方では、疑問も持ちます。それはわたしの経験から言うと、それほど多くの人がこの楽器で、芸術性のある音楽をやろうとはしてないですから。おそらく、様々な民族的な音楽を通して、もっと親しまれるものが人気を博すようになるかもしれない。ザディコ*のバンドがいくつかあって、ルイジアナ州のケイジャン*みたいな、フランス系クレオールの音楽で使われています。またメキシカン・バンドでもね。そういうものがきっかけになるかどうか、わからないですけど。今日では、シンセサイザーで複製できる楽器がたくさんありますし。シンセサイザーで、アコーディオンはうまく再現できるのではと感じてますけど、実際のところ、わかりませんね。もっと肯定的に答えられたら、と思いますが。
*ザディコ:ルイジアナ南西部で生まれた、アコーディオンを中心とするクレオール系黒人たちのフォーク音楽。
*ケイジャン:ケイジャン(北米東部のアカディア地方に入植したフランス系移民)によって始められたダンス音楽で、アコーディオンやフィドルなどで演奏される。
BD:あなたがエヴァンストンにまたコンサートで来てくれて、とても喜んでいるんですよ。
RD:ありがとう。ノースウェスタン大学が演奏するよう、わたしを呼んでくれたことは嬉しいですし、誇りに思ってます。明日の晩のコンサートが楽しみです。こういう風になったことのすべてにワクワクしてるんです。
ロバート・デヴァイン | Robert Davine
アメリカのアコーディオニスト(1924~2001年)。コンサート・アコーディオンのソロ奏者として、高い評価を得ている数少ない音楽家。またデンバー大学レイモント音楽学校のアコーディオン学科の創設者として、1950年代より長期にわたりコンサート・アコーディオンの発展に寄与した。演奏家としてはキャリア初期より、著名なチェリスト、エニオ・ボロニーニとの共演、マントヴァーニ・オーケストラの全米初のツアーに参加するなど活躍し、その後も多くの著名室内オーケストラとの共演をしてきた。1960年代後半には国際的な音楽家として名を知られるようになり、パリでクラシック・アコーディオンの夏期講習を指揮したり(パリ・アメリカ・アカデミー)、1984年には、中国音楽家協会と文化省の招きで中国を訪れ、演奏会やマスタークラスを持ち、中国のアコーディオン音楽の発展に大きく貢献した。数十年にわたるアコーディオン教育とその音楽的才能に対して、デンバー大学より最優秀教員賞を1999年に得ている。
About the quotation of the images:
I believe the images in this project are used within the copyright law and personal rights. But if any should not be displayed here, let us know, so we will remove it immediately. Or if any need credits, tell us and they will be added. (Kazue Daikoku: editor@happano.org)