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Bruce Duffie インタビューシリーズ(3)

音楽家と音楽業界を後押ししたスペシャリストたち

This project is created by courtesy of Bruce Duffle.

Record  Producer 

Wilma  Cozart  Fine

ウィルマ・コザート・ファイン
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マーキュリー・レコードのクラシック部門で、録音エンジニアの夫、ボブ・ファインと共に、1950年代〜60年代にかけて、数え切れない程の歴史的名録音に携わった伝説的プロデューサー。死後の2011年、その功績によりグラミー賞を受賞。(1927〜2009年)

【マーキュリー・レコード】

1945年にシカゴで設立されたレコード会社。「You are there」を謳い文句とし、音楽が生まれる現場にいる臨場感を再現する録音を特徴としていた。クラシック、ジャズ、カントリー、ロックと幅広い音楽を扱い、商業的に成功した。1961年にフィリップスに買収され、その後、親会社が何度か変わり、現在はユニバーサルミュージックの傘下にある。

インタビュー 1995年11月20日、シカゴにて

(書き起こし:2007年、ブルース・ダフィー)

 

21世紀に入ってから、音楽業界に大きな異変が起きていることに気づかされます。音楽そのものやその制作とは別に、レコーディングおよび流通部門はかなりのカオス状態です。あらゆるジャンルでレコードの売り上げは下がる一方で、音楽家たちは自主制作、自主流通を試みていますが、「なぜ」という重要な疑問がないままに、あらゆる方面から「どうやって」「どこで」の叫び声が上がっています。

 

大きな混乱が起きていますが、中でもこの業界が安定した時期に育った者にとっては、そしてレコード盤によって日々の暮らしに素晴らしい音楽がもたらされ、リビングルームの棚が芸術で満たされていた人々にとってはなおのこと、混乱は大きなものです。この先に何が起きようと、様々なフォーマットでたくさんの音楽が生み出されたことに対して、我々は、大いなる感謝の気持ちで振り返ることが可能ですし、またそうするべきでしょう。

 

レコード産業の草分けの一人、それがウィルマ・コザート・ファインです。モノLPの時代に始まり、彼女はマーキュリー・レコードの目録づくりを献身的に行なってきました。これらのレコーディングは、彼女自身による再リリース(最初はLPで、のちにCDで)を通して生き続け、過ぎ去った過去の音がどんなものだったか、学び、楽しむことを可能にしました。

 

1995年11月、過去の遺産をプロモートするため、彼女は各都市をまわっていましたが、シカゴにやって来たとき、話を聞く機会に恵まれました。彼女は物事のあらゆる側面に対して、心からの誠意をもって、自分の専門分野のみならず、レコード業界全体に対しての知識を披露してくれました。

 

以下はそのときの会話です。

 

 

ブルース・ダフィー(以下BD):ここ最近のレコード業界の傾向に満足していますか?

 

ウィルマ・コザート・ファイン(以下WCF):そうね、クラシック音楽の聴衆がもっと多ければと思うわね。わたしがレコーディングを始めた頃に、そう願っていたわけだけど、大きくは変わってないでしょ。でも今は、以前と比べたら、レコードを買う人たちがたくさんいるわね。その多くがクラシック音楽を購入する人であったら、クラシックを評価する人たちであったらという希望はもってるの。たくさんの人がコンサートに行くし、熱心にレコードを集めている人たちもいる、だからどうしてかなと。いつも考えていることの一つは、クラシック音楽のレコードをつくっている私たちにできることは、聴衆を増やすこと、中でも若い世代の人々をね。

 

BD:あなたが何年も前につくったたくさんのレコードが、今戻ってきて、再リリースになっていることは嬉しいですか?

 

WCF:再リリース、レコード・クラブ*の創設、過去の音楽家の紹介、といった私たちが計画してきたことの中の1番の到達点と言えるわね。音楽家たちのレパートリーや芸術性を違う側面から紹介したり、新たな音楽家を紹介したりと、その両方をやろうとしてきた。全部を網羅するのに少し時間がかかるけれど、マーキュリー・リヴィング・プレゼンスの録音の再リリースを成し遂げることが、ゴールの一つであるのは確かよ。

*レコード・クラブ:アメリカでは1950年代に、メジャーレーベルがレコードを通信販売をする仕組をもっていた。

 

BD:マーキュリー・リヴィング・プレゼンスのコレクションはLPで手に入った時期があり、それから一時期なくなり、今また戻ってきました。オリジナルのカタログのすべてが戻ってくるまでに、時間がかかるのでしょうか。

 

WCF:その方向で進んでいることは確かなの。オリジナルのテープの劣化や状態によって、難しい問題が出るものもあるかもしれない。実際のところ、すべてのレコーディングのプロジェクトがそうであるように、オリジナルがあって、聴衆がそれを望んで買いたいと思うかぎり、リリースしていくと思う。マーキュリー・リヴィング・プレゼンスの再リリース計画は、フィリップスにとって高くつくものだからね。世の中の人が私たちのやってることを評価して、レコードを買ってくれれば、目録を増やし続けていくことができる。熱心なコレクターの大きな層を持っていることは恵まれたことだし、再リリース計画がスタートしたのも、そういった人たちの要望によるものでもあるの。その人たちは、何度も何度も繰り返し、要望の手紙をよこしたわね。だからその人たちは、マーケットの状態を良くする助けになっているし、新たなファンの獲得にも役立っているの。

 

BD:いつまでマーキュリーはレコーディングをしていたのですか?

 

WCF:最後のレコーディングは、1967年だと思う。

 

BD:では1950年から1967年までやっていたんですね。モノの録音のいくつかも、リリースしていくのでしょうか?

 

WCF:どこかの時点でやりたいわね。いつになるかはわからないけど、歴史的な演奏だから、いつか必ずやりたいわね。

 

BD:重複になってもですか?

 

WCF:そうよ、そうであってもね。

 

***

 

BD:最初にLPにプレスしたオリジナルのテープからCDをつくるとき、音のバランスとか音響などを変えたいという願望はあるんでしょうか?

 

WCF:その正反対よ。わたしが目指していること、成し遂げようと努力してきたことは、オリジナルの3トラックのマスターのサウンドを、2チャネルでできる限り再現することなの。それが常にLPを録音してリリースするときの目標だったし、CDの目標にもなっている。

 

BD:あなたはいろんなところで、指揮者が最終決定権を持っていると言明しています。指揮者はどの録音の場合も、リリースされたLPに満足していますか?

 

WCF:もし指揮者が満足でなければ、リリースはしませんよ。いつも指揮者が音楽的な許可をしたし、私たちも指揮者にプレイバックをたくさん聞いてもらって、どれを選ぶかできるようにしてたわね。私たちはあとでLPやCDにリマスターするときに使うのと同じ三つのスピーカー*と同じテープレコーダーを使ってた。だから指揮者がプレイバックを聞くときは、私たちがスタジオで使っているのとまったく同じ装置で聞いていたわけ。

*同じ三つのスピーカー:マーキュリーでは録音の際、三つのトラック(左、中央、右)を使っており、プレイバックのときも、それぞれのスピーカーに三つのトラックを当てている。またリマスターの際も、同様の方法を取っていた。

 

BD:レコーディングをしているとき、聴く人がリビングとか寝室とかまったく違う音響空間で、音を耳にしていることを意識するのでしょうか。

 

WCF:ああ、それはそうですよ。実際のところ、私たちはいつも、聴く人とともにあるの。わたしがずっとやってきたことは、LPやCDのマスタリング(原盤制作)でもプレイバックでも同じ装置でやろうとすることで、それはオリジナル・セッションで録音を始めたとき以来、わたしがずっと使い続けてきたものなの。だから聴衆にとってどんな作品であれ、彼らが過去にどんな環境で音楽を聞いてきたとしても、今も信頼に足るものだと思ってるわけ。レコーディングやリマスターをするのに、他に方法はないということを考慮に入れておかなくてはね。わたしにできる唯一のことは、演奏に対して誠実なレコーディングをして正確に再現させること。家で聞く場合、ラジオで流される場合、車の中で聞く場合の問題は、プロデューサーや製造者にはコントロールできないわね。私たちは演奏の誠実な複製として、それぞれの家に手渡したいということ。

 

BD:どのようにして各家庭の装置で聞くか、ブックレットで伝えた方がいいんでしょうか?

 

WCF:そうね、ハンドブックについての質問の答えではないけど、レコードを聞く楽しみの一部だと思うのは、聞く人の耳はそれぞれ違うということね。私たちが何を伝えようとするかに関わらず、聞く人が何を求めているか知る道はないし、その人が心から楽しむかどうかもわからない。こちらは熱心なレコード・コレクターが家で、注意深く音楽を聞いてくれることを望んでいる。そうやって彼らの好むものに到達するんじゃないかしら。もし充分な時間それを聞けば、音楽がどのように装置を整えればいいか教えてくれる。同じことが、録音のとき、私たちがどこにマイクを置くべきか、音をどう扱えばいいかがわかる方法でもあるの。音楽を聞くこと。それが私たちの知る方法であり、熱心なリスナーも設備の選定や設定のときに、同じことをしていると思う。

 

BD:多くの録音では、音楽が聴衆にそのまま伝えられるわけですが、『1812年』*は重層的な効果音がたくさん使われています。指揮者のアンタル・ドラティは、大砲の鳴り響くレコードに満足したんでしょうか。

*1812年:チャイコフスキー作曲の演奏会用序曲(1880年)。ナポレオンのロシア遠征の年を表し、曲のクライマックスに大砲を使う指定がある。本物の大砲(空砲)を使った演奏もある。

 

WCF:ええ、その通りよ。彼は実際のところ、その素晴らしい音楽的才能、指揮者としての能力、生き生きとした想像力とめいっぱいの遊び心で、言い表せないくらいどちらの演奏にも(B面の『ウェリントンの勝利』も含めて)貢献しているの。誰もが、バレエ曲『くるみ割り人形』からその他のバレエやシンフォニー、組曲に至るまで、彼のチャイコフスキーのレパートリーの演奏を知っていて、それは天性のものでしょ。『ウェリントンの勝利*』の演奏を申し出たときも、彼はすぐにその面白さに反応して、私たちが録音のために用意した(左右中央に分配した)三つのオーケストラに歓喜していたわね。ドラティは大砲の音をどこに置くか、ある箇所でより大きな音を鳴らすにはどうすればいいかの難題のあれこれに、ずっと笑い続けていたの。音楽の全体に、私たちは効果音(わたしは演出と呼ぶ)を施した。そのすべてを彼は面白がっていたわね。

*『ウェリントンの勝利』:『戦争交響曲』とも呼ばれるベートーヴェンの楽曲。楽譜には火縄銃の射撃音が織り込まれている。ベートーヴェンの全作品において最大級の管弦楽であり、管弦楽編成だけを見れば交響曲第9番をも凌いでいる。

 

BD:そして聴衆もそれに応えたんですね!

 

WCF:こういった楽しみや喜びの感覚というのは、音楽に対する尊敬の念と同じように、演奏の中で明確に伝わるものだと思う。演奏はいつも賞賛されていましたからね。演奏の効果が、批評家たちの目や耳に届かなかったことはないの。それは演奏がとても良いからだと思う。ドラティはそういう演奏をするの。何回も繰り返し演奏してきて、「またこれをやるのか、、、」みたいに彼はやらないの。まったくそういう演奏ではないわね。演奏は生きているの。彼も演奏も、真の祝祭のようなわけ。

 

***

 

BD:マーキュリーの始まりには、ここシカゴとの直接的なつながりがあるんですよね。

 

WCF:その通りね、マーキュリー・レコードはシカゴで創立されて、1960年代にフィリップスに買収されるまで、ここに本拠を置いてたわね。わたしは1950年にマーキュリーに来たの。ニューヨークのオフィスで働いていて、シカゴとの間は散々行き来したものよ。クラシック音楽にマーキュリーが着手したとき、最初に契約したのがシカゴ交響楽団だった。最初にレコーディングしたのが、ラファエル・クーベリック指揮による『展覧会の絵』。その音が「生のオーケストラを聴いているみたいに生き生きしている」と言われたことで、マーキュリー・リヴィング・プレゼンスと呼ばれるようになったの。

 

BD:ではあなたのエンジニアとしての仕事は、コンサートホールの音を家庭に持ち込むこと、だったわけですね。

 

WCF:いえ、最初に断っておくと、わたしはエンジニアではないの。エンジニアの人とともに、音楽面で仕事をする人間よ。今日プロデューサーと呼ばれている職種ね、でもその通り、あなたの言ったことが私たちの仕事よ。そのときのレコーディングは、アルバム目録のほとんどを製作した素晴らしい人材によるチームだった。常に一緒に仕事をして、みんなが分担を持っていた。本当のチームワークというものがあったし、私たちがやろうとしていたのは、リスナーにコンサートホールで響く音を届けることだったの。シカゴにあるオーケストラ・ホールは、もちろん、素晴らしかったわね。そこは改装されるわけだけど、でも私たちが当時録音したレコードには、その場の演奏の雰囲気が再現されて、とてもよかったと思う。

 

BD:あなたは当時のレコーディングの時に関係していて、再リリースにも立ち会っているわけですね。現在、新たなレコーディングに関わっているんでしょうか?

 

WCF:いいえ、今はないです。人は一度に一つのことしかできないでしょ。あらゆる記録活動がそうであるように、保管のためのプロジェクトは多大な時間がかかるし、厳しさや責任を伴うから。私たちが最初のレコーディングをした時と同様にね。そして今、45年近く棚にしまわれていたテープを呼び戻そうとしているわけ。私たちがこのテープを作ったとき、これが40年もつかどうかなんて、誰にもわからなかったの。例がないわけで。テープは当時新しいもので、それを使うことも初めての経験で、それがどれくらい持つものなのか私たちにもわからなかった。幸運なことに、使用されたテープの多くは、非常にいい状態を保っている。問題になるのは、私たちが使っていたテープの繋ぎにあることが多くて、それはテープが重なる接着剤のところでダメージになるの。でもそれはテープそのものじゃなくて、接着剤がなければとてもいい状態なの。とは言っても、扱い上の注意は必要ね。CDを企画したとき、最初にわたしがやることになったのは、マスターの保管場所をつきとめること。アメリカにあるもの、オランダあるものとあったから。マスターがどこにあるのか、それを探し出す必要があるし、録音当時のオリジナルのマスターを手に入れる必要があるの。そしてその状態がどうなのか、査定するわけ。

 

BD:もしよく知られた録音があって、それを再リリースしたいけれど、テープに何か問題がある場合、LPに遜色なく複製することは可能なんでしょうか、それを使って。

 

WCF:古い録音を使って仕事をする場合、あるものを使うしかないわけで。それに尽きるわね。実際のところ、最も良い状態のソースを見つけることが、何よりも大切なことになるの。プロジェクト全体における決定という意味でね。というのもレコーディングによっては、いくつかのヴァージョンが存在するから。マーキュリーでは、オリジナルのテープを選択する、それがわたしの選択肢の一番よ。LPを作っていたときの1/2インチ・テープ(12.7mm幅)になるかもしれない。それは3チャンネルから2チャンネルのミキシングになるの。でも当時わたしがそうやって作ったテープは新しいもので、わたしがやったミキシングなの、そう考えてもらっていい。そこには繋ぎ目がない、だからそれを選択することになるでしょうね。

 

『イタリア奇想曲』は、『1812年』と『ウェリントンの勝利』のCDに入ってて、ステレオのマスターでレコーディングして3トラックのマスターを作ったの。当時私たちは、2チャンネルにするか3チャンネルにするか、テストをしていたのね。3チャンネルのテープレコーダーを二つは持っていなかった。最初の一つは私たちのために作られたものだったから。それでその当時、一つのテープレコーダーしかなかったわけ。さらに注文する前に、テストしておきたかった。『イタリア奇想曲』の3チャンネル・テープは使えなかった、だからオリジナルのステレオのマスターを使った。どのソースを使うかは、とても重要な決定になる。オリジナルが複数ある場合は、できるだけ良いものを確保する必要がある。わたしはまずそれを選択する。でも何か問題があったり、オリジナルがないときは、何があるか調べる必要が出てくるわね。

 

BD:多くの録音は、三つのマイク設定なんでしょうか?

 

WCF:そのとおりね。

 

BD:3チャンネルのものをどうやって2チャンネルに分配するんでしょうか。

 

WCF:マーキュリーのレコードには、中心部があるように聞こえるかもしれないけど、実際にはそれはないの。左と右が混ざりあっているの。ステージで錯覚が起きるのと同じようになっている。別の言葉で言うと、そこに音の穴*はないってこと。オーケストラがステージ上で通常の位置にいるとき、管楽器は中央にいるでしょ。わたしは演奏時にマイクが捉えたものを、正確に再現しようとする。いつも同じようにはいかないし、ホールの音響によってどこまでできるかもあるわね。個々のマイクをどれくらいの近さに置くかは、ホールの音響によって変わってくる。思ったようにはいかないわね。

*音の穴:通常管楽器は、オーケストラの中央(弦楽器の背後)に位置していて、3本のマイクで録音される場合、真ん中のマイクで収録される。マーキュリーのように3トラックで録音されたものを2チャンネルに分配する際、中央マイクの音を左右の音にバランスよくミックスしないと、その部分が穴として欠落してしまう。

 

***

 

BD:オリジナルの録音をするとき、レコードの演目はどうやって決められるんでしょうか。

 

WCF:私たちは運に恵まれていたわね。このプログラムを始めたとき、LPの創生期だったから、誰もがレパートリーの再取り組みをしていたの。同時に、海外からの録音が第二次大戦後になって再びアメリカにたくさん輸入され始めた頃で、だから私たちは選べる素材が幅広くあったわけ。もちろん、音楽家がやりたいと思ってるものを録音したいとは思うけれどね。その音楽家の何が最高なのか、考えるわけ。その人の得意なものがどういうものか、というね。最高のものを提供することを考え、聴衆が何を望んでいるかを考える。どの作品がまだ録音されていないか、そしてレコード会社としてどれをやるのがベストか考える。たとえばレコーディングにおいて、私たちの強みは音質にあるから、素晴らしい音響的な結果が得られるものを録音したいと思ってきたわね。

 

BD:弦楽クァルテットをめいっぱい揃えて、大音響にするとかじゃなく、、、(ブルースの冗談)

 

WCF:そうね、かかるコストについても考える必要がある。あの当時であっても、交響楽団で新しい録音をしようとしたら、非常にコストがかかるプロジェクトになった。クラシック音楽の録音は、何によらず高くついたし、何が売れるのか考えなければならかったの。ソロの録音ももちろんしたし、室内楽もやったけど、オーケストラのものはそれほど多くはないわね。現代の作曲家たちの作品をすごくたくさんやった。誰もやっていないときに、アメリカの作品シリーズをやったし、アメリカの音楽を広範囲でそのときやっていた。録音のときに、まだ楽譜のインクが乾いてないときだってあったのよ。そんな風に私たちはやろうとしてたわね。

 

BD:もしそのプロジェクトを1995年の今、始めようとしていたとしたら、何が同じで何が違うでしょう。

 

WCF:あらゆるレーベルのたくさんの既刊の演目がCDでリリースされてきたから、レパートリーにおいてそれほどの選択肢はないわね。最初に私たちが録音したときは、たくさんの演目があって、市場に初めて出たレコードというだけでなく、多くの場合、初めて演奏されたものでもあったの。つまり最初の演奏であり、最初の録音だったということ。ドラティはどこで彼が指揮をしても、新しい音楽をやるときには録音を依頼してきたから、その中から私たちは録音した。彼は当時あまり演奏されなかった楽曲もやったし、もちろんそのレコードもなかった。だからレコード会社が今探せるチャンスは、以前のようにはないでしょうね。それが今と昔の違いの一つ。

 

もう一つは、聴衆やレコード・レーベルが現代音楽をどのように感じてるかの違いがある。今は聴衆も(ある程度まで)そうだし、レコード・レーベルや演奏家、様々な制作者、コンサートも新しい音楽を探してるでしょ。そういったものを録音できるし、人々はそれを知ることができる。でも現在の主たる問題は、録音された音楽があまりにたくさんあることね。

 

BD:多すぎる、っていう意味でしょうか。

 

WCF:そうね、かつてこんなにたくさんあったとは思わない。本当にね。今はすごく豊かだわね。これだけあるのは壮観だと思う、これが続けばいいと思うし、それを聞く聴衆が得られればいいと思う。でもこれを今あるレーベルでやる場合、注意深く選択する必要があって、その最終的な判断は質だと思うの。わたしはいつもそのことを考えてきた。レーベルをやっているなら、そこで最高の仕事をすることを考えなくちゃいけないし、それをいつも心に留めておくことね。

 

BD:レコードが、生の演奏(コンサート)と比較される、競争していると感じたことはあります?

 

WCF:いいえ、ないわね、互いに賞賛しあっているのよ、正直なところ、それに実際、そういうことを考える人がいるのか、あまり想像できないわね。コンサートに行くというのは、ある種の経験でしょ、とても豊かでとても素晴らしいね、レコードを聴くというのは別のことだと思う。ちょっと考えてみて。もしコンサートに行って、ステージに立つ音楽家を眼の前にして、その人間が生で演奏するのを見て、それが素晴らしいものだったら、その音楽家を好きになって、その曲を好きになるでしょ。レコードを買った場合は、同じ演奏家が録音していたとしても、何度も聞いて検証することができる。レコードをかけて、あっちを聞きこっちを聞きとできる。何度でも聞きたいだけ聴くことができる。そしてそれを楽しむなら、聞きたいようにどんな状態であれ、パジャマを着ていようが、食事のあとであろうが、朝起きたばかりであろうが、いかようにも聞ける。他の音楽家がどんな風にその曲を演奏しているか知りたければ、そのレコードを買いに行けばいい。すでにその音楽家の演奏を聞けない場合もある。もう生きていないとか、もう演奏活動をしていないとか、何年も自分の住んでいる街で演奏していないとか。レコードがあって、互いが助かっているんじゃないかしら。

 

***

 

BD:モノで録音されたものも、リリースする予定でしょうか。

 

WCF:モノで録音されたものをリリースするときは、テープがどんな状態か見たいでしょうね。できる限りいい音質にしたいと思うわね。モノの音質に非常に信頼を置いている人たちがたくさんいるでしょう。モノの音質の集中をその人たちは愛してるの。もしたった一本のマイクが正しく配置されていたら、録音は非常に焦点があったものになる。そこが彼らは好きなのね。わたしがモノを出すときは、彼らのために、最も熱狂的なファンがいいとするような音にしたいわね。それがわたしのしたいこと。ウケ狙いじゃなくて、いい音のためにね。

 

BD:LPに信頼を置いている人たちが今もいます。彼らはデジタルより音が温かいと言ってます。あなたはそうは感じてないでしょう、そうでなければ、LPで再リリースしようとするでしょう。

 

WCF:考え方において、この議論には間違いがあると思うのね、まずは。これについて議論の余地があるとは思えないから。二つの手法は全く違うものよ。

 

BD:ではLPとCDの両方を作ったほうがいい?

 

WCF:LPの市場は、熱狂的なファンがいるとしても、小さなものだから、そうするのは難しいでしょうね。でもLPはクラシック音楽の選択肢として、市場にとっていい部分になるわね。数が小さいからと言ってみくびるんじゃなくて、LPはLPとしてあるわけで。ただCDがLPよりいいという論争は、わたしの考えでは議論にならないと思う。この問題のポイントは、繰り返しになるけど、オリジナルの録音にこそあるの。もしどっちが技術的に優れているか、家庭に持ち込まれるまでのところで判断しようとする場合も、すごくたくさんのことが影響してくるわけだから。

 

もしCDがLPのようにはいいと思わないと言った場合、あるいはCDの方がいいと言った場合も、そう言えるだけの具体的な演目と関連づけていなかったわけで、そこに根拠はないの。二つは同じ環境、同じ装置を通して聞かれているわけじゃない。アナログ録音は、今ある中で最高のものだと思うし、そこに疑問の余地はないと考えてる。絶対的に素晴らしいと思うけど、家で聞こうとするときにより良いとは思わない。それは何を使って聞いているかを含めて、いろんなことが違ってくるから。レコードをかけるとき、表面にキズをつけてしまうこともある。買ってすぐ取り出したときに起きなかったとしても、次に出したときとかね、最初に通して聞く前に傷つけてしまうことがある。

 

マーキュリーのCDが質的に高いことの理由の一つは、アナログの音源を使っているからだと思ってる。もう一つの理由は、CDをつくる際、真空管を通して変換しているから、トランジスターじゃないの。この二つは音に決定的な影響を与えるわけで、私は音源がアナログのオリジナルから来てることがとても嬉しいわね。

 

BD:もしあなたが未開の島にいたとして、オリジナルから取ったLPとCDのどちらかを選べるとしたら、どっちを持っていきます?

 

WCF:マスターリングしているときは、いつもLPを使うわね。最初のチェックはもちろん、テープそのものだけど。わたしがデジタル方式に行くときは、アナログのオリジナルを聞いてチェックするし、LPとも比較する。LPはオリジナルに近いけど、CDはLP以上にオリジナルに近いの。いくつかのことで比較ができるし、バランスが同じかどうか見ることができる、でも意味がないと思うの。それはわたしのCD制作では、CDのバランスの方がいいことがあると知ってるから。それに多くの場合、CDの方が水準が高いということもわかってる。その一方で、CDを作るとき、LPと同じ音質にするために相当な努力をしたというケースもある。でもその努力を続けてる。やり終えたと思えるまで、とにかくやり続けるの。このことは、レコードがコンサートに干渉するか、コンサートがレコードに干渉するかの、さっきのわたしの答えととても似てると思う。レコードを買う人たちはLPでもCDでも買えて、運がいいんじゃない。率直に言って、今は、以前手に入らなかった(新たに作られた)LPを買うことができるわけで、とても丁寧に作られたマーキュリーのLPを買うことができる。両方を買ってもいいわけで、もし好きなアルバムであれば、どっちの様式が気にいるか比べることもできるでしょ。そういうことを考えるわね。

 

BD:一つ思うのは、あなたの作ったCDは他のCDにはないものがありますね、愛が。

 

WCF:わたしがCDの市場を独占したとはまったく思わないけど、愛があるのは確かね。

 

BD:あなたは自分のキャリアがここまで来たことを喜んでいます?

 

WCF:あー、それはそう。素晴らしい時間を過ごしてきたわね。何年間もの間、素晴らしい音楽家たちと仕事ができて、彼らと知り合えて、とても幸運だったと感じてる。音楽同様、直接知り合えたこともね。レコーディングの時はいつもそれを学ぶわね。それは録音に関わるすべてを見渡しながら、ひとたび音をバラして、また一つに戻さなければならないからよ。わたしは心から音楽を愛してるし、音楽の仕事をしたいって、子どもの時から思っていたの。この仕事ができる特権を手にして、考えられないくらい自分が幸運だと感じてる。最初に始めた時と同じように今も楽しんでいるわね。

 

BD:これから先もずっとそうなんでしょうね。

 

WCF:世の中がマーキュリー・リヴィング・プレゼンスを好きでいてくれる限り、素晴らしい協力者やフィリップスの支援で、これを続けられたらと願ってるの。彼らはこのシリーズにとても力を貸してくれていて、この目録を誇りにもしてると思ってる。

 

BD:いろいろお話しいただいて、感謝してます。

 

WCF:こちらこそ、楽しい時間でした。

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