Billie
サーカス時代のチェーンを外させなかったビリー
ビリー。1962年インドの森で生まれた雌のゾウ。体高2メートル21センチ、好物はバナナ。2006年2月、商業活 動から引退し、仲間のゾウ7頭とともにサンクチュアリーにやって来ました。
アメリカに来た頃(1歳)
頭に干し草を乗せて

サンクチュアリーの池で遊ぶビリー
ビリーはこの世代の多くのゾウと同様、小さな頃に森で捉えられ、人間を楽しませる施設で働くため、アメリカに送られました。着いてしばらくの間、サウスウィック動物園(マサチューセッツ州メンダン)で過ごし、その後、別の商業施設に売られます。
記録によれば、10歳のとき、ビリーはホーソーン・コーポレーション(サーカスで芸をするゾウを訓練したり、貸し出したりする会社)の手に渡りました。ビリーはサーカスで芸をして旅する生活を、そこから23年間送ります。街から街へ、トレイラーの後ろに積まれ、チェーンをかけられ、サーカスで芸をする生活でした。冬は暗く寒く、夏は耐え難い暑さの中、トレイラーの中で多くの時間を過ごします。
そうした中、ビリーはトレイナーに対して攻撃的に振る舞うことが多くなり、ついにリタイアーさせられます。そしてホーソーン・コーポレーションの冬場の施設に収容されました。
その後ホーソーンは、USDA(アメリカ合衆国農務省)から、ゾウに対して虐待や不適切な扱いがあるという理由で起訴され、2006年2月、ビリーをはじめとする8頭のゾウを手放すことになります。その8頭すべてが、テネシーのサンクチュアリーに送り込まれました。
そのときビリーは44歳、サンクチュアリーの21番目の居住者になりました。ホーソーンから送り込まれた8頭のゾウのうち、ビリーは、フリーダとともに最後に到着したゾウでした。危険なゾウとして知られていましたが、サンクチュアリーのスタッフは、ビリーがとても恐がりであることに気づきます。しかし時間がたつうちに、他のゾウたちと交流するようになり、小屋のそばの池で仲間のゾウたちといっしょに泳ぐようにもなりました。
サンクチュアリー到着後、ビリーはフリーダとリズとともに行動していました。この3頭は結核菌の陽性反応を示すなど、慢性病の症状を見せており、隔離エリアに居住していました。フリーダがいつも先駆者として活発に行動するのに対して、ビリーはひとり丘の上で、草をはみながら小屋の方を見下ろしている姿がよく見られました。またフリーダがからだを横たえると、リズとビリーがそばに立って見守っていることがよくありました。
ビリーはサンクチュアリーにやって来て5年ほどたった2011年、サーカス時代の名残りであるチェーンを足から外すことを、サンクチュアリーの世話係に許しました。サンクチュアリーに来たとき、ビリーは左前足にチェーンをぶら下げていました。サーカスでゾウを拘束するためのものでした。サンクチュアリーに来たのちも、ビリーはそれを外すことを拒み続けていました。世話係が充分そばまで行って、チェーンを外すことが不可能だったのです。
サンクチュアリーが管理体制をPCと呼ばれる「保護下のコンタクト」に切り替えたことで、ゾウと世話係は常にフェンスなどの障壁で分けられることになり、それによってビリーは人に対する不安感を減らしていきます。仕切りがあって、直接コンタクトを取らないことによって、ゾウは自分の意志で人間と関わるかどうかを決定できます。これによりビリーは人間への信頼度を大きく回復したと思われます。ビデオに撮られた映像を見ると、足を柵の上に乗せて、チェーンが切られるのに協力しています。
Billie’s Last Chain(ビリーのチェーン、ついに外される)
水浴びをするビリー
2015年、フリーダとリズが長く患っていた慢性病が悪化し死亡します。世話係たちは仲間を失ったビリーに、ロニーと交流する機会をつくろうとしました。ビリーとロニーは、やがて互いの存在を認めあうようになります。以来、ビリーはロニーと長い時間、いっしょに過ごすようになりました。しかしデビーとミニーに対しては、まだ近づきたい気持ちが起きないようでした。

ビリーとロニー
リズの死以来、ビリーは今まで以上に、隔離エリアの中のまだ行ったことのない場所へ、足を延ばすようになります。最初はたいてい、デビーやミニーのいない小屋の近くのエリアにとどまっていました。しかし時がたつうちに、離れた場所まで出て行くようになり、すぐ帰ってくることもなくなりました。ビリーが池で泳ぐため歩いていく姿が目撃され、また「フリーダの草地」と呼ばれる遠いエリアで草をはんでいるところも見られました。(敷地の地図)

フリーダの草地にいるビリー